薄明宮の奪還 更新日:2012.07.25


 夜ごとの夢 <後編>

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「カーラ……!!」
「やっぱりね。来ると思ってたわ、さぁ入って」
 真夜中だというのに、カーラは寝ないで待っていてくれたらしい。
彼女の部屋に迎え入れられると、アイリーンはワッと泣き出してしまった。
「あらあら……ギメリックったら、しょうがない人ね。あなたをこんなに泣かせるなんて。それで? 彼は何と言ったの?」
「……何にも。でも、わかったの。ただ面白がってたのよ……ひどいわ、私がどんなに不安だったか……」

 ソファに並んで座ったアイリーンの背中を優しくさすりながら、カーラは二人の喧嘩の微笑ましさに口元を緩ませた。
「そう……確かに、ひどいわね。でも私、彼の気持ちが少しだけわかるわ。だって……」
カーラの言葉に、心外だと言わんばかりにアイリーンが顔を上げる。
「あなたの反応が可愛いんだもの。つい、からかいたくなるのよ」
 美しいアイリーンの笑顔は、周りの者の気分まで、明るく穏やかにさせる。しかしそれ以上に、すぐに赤面して困ったり怒ったり、恥ずかしがったりする生き生きした彼女の表情が可愛らしいことは、おそらく本人にとっては災難なのだろう。

「カーラまで、そんなこと……! ひどい!」
 やっぱり顔を赤くし、潤んだ瞳で睨んでくるアイリーンを、カーラはクスクス笑いながらなだめにかかった。
「ああ、ごめんなさい。でも彼を許してあげてね。面白がっていたというより、きっとあなたのことが可愛くて仕方なくて、つい言いそびれたのよ。それに1日だけのことでしょう? 今日は言うつもりだったのかも知れないし」
「……」

 うつむいたアイリーンは心の中で、“でも、私が不安だったのは1日だけじゃないわ”と、つぶやいた。
 契りを交わすたびにお腹の中の赤ちゃんが増えていく、と思い込んでいた彼女は、毎夜、戸惑いと不安に襲われながら、それでも彼と過ごす僅かな時間を大切にしたい一心で、彼を待ち続けたのだ。もっと早くに言い出せなかったのは、恥ずかしかったせいでもあるが、孤独だった彼が望むなら望んだだけ、たくさんの家族を、与えてあげたいと思ったから……。

“ だけど、こんなことなら、もっと早くに言っておくんだった。そしたら、こんなにひどく不安になることもなかったし、……彼に腹を立てることも、なかったんだわ”

 アイリーンが一つため息をついたのを見て、カーラは優しく声をかけた。
「さ、今日はもう休みましょう。明日も忙しいわ」



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 カーラの隣で横になっても、アイリーンは寝付けなかった。
窓から月の光が差し込んでいる。
 それを見ると、今まで忙しくて思い返す暇もなかった旅の間の様々な出来事が、アイリーンの脳裏をよぎって行った。

 死ぬほど恐ろしかった戦いも、悲しい別れも、まるで遠くにある山のように霞がかかり、今鮮やかに蘇るのは、ギメリックと二人きりだった頃の事だ。
先の事は何もわからず、ただ自分の本能が告げる彼への信頼だけを頼りに、旅を続けていたあの頃……。

 彼女の記憶はさらに過去へと遡って行った。
運命の導きによって、彼が彼女を見出した、あの宴での初めての邂逅。
そして彼がティレルに化けて彼女の部屋へやって来た、あの夜のこと……。

 突然、アイリーンはハッとして窓の方へ向き直った。
「ギメリック……?」
月光を浴びて窓辺に佇んでいるのは、紛れもなく現在のギメリックの姿だ。
しかし逆光で陰になって、アイリーンには彼の表情が見えなかった。

 彼は音もなく進んで来ると、驚いて起き上がったアイリーンの体を肩に担ぎ上げた。
「きゃっ!!」
思わずあげた悲鳴に、カーラも目を覚まして驚いている。
「こんな夜中に騒がせてすまないな、カーラ。だが、彼女はもらって行くぞ」
「はいはい、ご自由に。でも無茶はしないでよ?」
「わかっている」
 担がれているアイリーンが声を張り上げた。
「無茶、してるじゃない! 降ろしてよ!!」
 ギメリックは構うことなく、そのまま窓を乗り越えて庭へと出て行った。



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「降ろして、降ろしてったら!!」
 肩に担いだアイリーンが怒って暴れるのをものともせず、ギメリックはスタスタと宮殿の中庭を歩いて行く。何人か夜警の衛兵とすれ違ったが、ギメリックが魔力で目くらましをしているらしく、誰も気付かない。

「裸足だから降ろしても歩けないだろう?」
「そ、そうだけど……」
「なら、おとなしくしていろ」
 そう言うとギメリックは彼女を肩から降ろし、横抱きにした。
「裸足なのは、あなたのせいでしょう?!」

 やっと見えるようになった彼の顔を睨んでそう言ってから、アイリーンは、彼が向かっているのが自分たちの部屋の方向ではないことに気がついた。
「え……どこへ行くの?」
「久しぶりに遠乗りがしたくなった。つきあえ」
「えぇ?!……こ、このままで?!」
「朝までには帰る」
「ちょっと……!!そんな……」

 エンドルーアの気候は寒冷で、初夏とはいえ夜は冷える。しかし魔力を持つギメリックが、自分にもアイリーンにも寒い思いをさせることはない。そうとわかっていても、アイリーンは薄い夜着のまま遠出をすることには抵抗があった。
 そんな彼女の気持ちを汲み取ったのか、厩に着くとギメリックは、自分のマントでアイリーンを包んで馬に乗せた。彼女の後ろに乗り込み、城を出発する。

 湖を見下ろす断崖の上に建つ薄明宮の正門は、湖の反対側、宮殿前の広場に向かっている。しかし王族が暮らす居室は表から奥まっているため、湖側の裏門に近い。ギメリックが城を出たのも裏門からだった。

 満月に近い丸い月が、湖の上に浮かんでいる。
静かだった。
穏やかな湖面に月の光が反射し、夢のようにきらめいている。
 アイリーンがボーッと見とれていると、彼の声が降って来た。
「忙し過ぎて、まだどこにも案内してやれていないが……いずれこの国を、一緒に巡り歩こう。お前に見せたい、美しい場所が沢山あるからな。今夜はその手始めだ」

 アイリーンは馬に揺られながら、背中に感じる彼の温もりに、心が満たされて行くのを感じていた。きっかけは彼の態度にあったとしても……爆発してしまった自分の怒りや悲しみの原因は、彼と過ごせる時間があまりにも少な過ぎることへの不満にあったのではないか、という気がしてきた。
“もし、そうなら……ただの八つ当たりだわ。私ったら、なんてワガママなの……彼は国のために、あんなに一生懸命なのに……”

 夜遅く帰って来るギメリックを待って起きていても、ほとんどベッドへ直行となると、彼と普通に会話する時間など皆無に等しい。体力的に彼より弱いアイリーンは、彼に開放される前に崩れ落ちるように眠ってしまって、朝、目覚めるとすでに彼はいない、ということも多かった。
 しかしだからこそ、どんなに不安がつのろうと、彼と過ごす夜を大切にしたかったのだ……。


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 一刻ほど湖に沿って馬を進めると、森に行き当たった。生い茂った木々の葉が月光を遮り、暗いトンネルのようになったその中へと、ギメリックはさらに馬を進めて行く。
 しばらく行くと少し木がまばらになり、広場のような場所に出た。ちょうど、月に薄く雲がかかる。ほの暗いその場所がさらに暗くなった時。
アイリーンがハッと息をのんだ。

 広場は短い草に覆われていたが、そのあちらこちらが、ボウッと金色に光っている。よく見るとそれは、いつかギメリックに連れられて行った“光の一族”の遺跡にたくさん咲いていた、薄黄色の花だった。
「……きれい……」
「“聖なる女神の瞳”と呼ばれる花だ。条件が揃うと、こんな風に発光する」
「……女神の瞳。あなたの目の色だわ……」
「お前の髪の色だ。闇の中でも、道しるべのように光って俺を導いてくれた……」
 騎乗したまま、後ろからそっと抱きしめられ、アイリーンは彼の体にもたれかかった。

「……見せてくれて、ありがとう。明日もお仕事でしょう?……帰って、ちゃんと休まないと」
「お前がいない部屋に帰っても仕方がない」
「……」
「まだ、怒っているか?」
 アイリーンはうつむいて首を振った。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていい。悪かったのは俺だ」
「違うの。私が、ワガママだからいけないの……」
「……? どうしてそうなる?」
 アイリーンが涙をこぼしていることに気がついて、ギメリックは馬を降りて彼女を抱き降ろした。盛大にため息をつき、「泣くな!」と一喝する。
 そして一瞬、息を詰めた彼女を引き寄せて、唇に優しく口づけを落とした。いつもの常で、最初はその気はなくてもつい、ギメリックは長く激しく彼女を求めてしまう。くたりと腕にもたれかかって苦しげに息をする彼女の耳元で、彼は囁いた。
「どうして欲しいのか、言ってみろ」 
「……私、もっとあなたと一緒にいたい……一緒にご飯を食べたり、普通に話をしたり……でも……こんなに国が大変な時に、それはワガママだって思うから……だから……いいの……」
「……」

 しばらく黙って彼女を抱きしめていたギメリックは、急にまた彼女を抱き上げて言った。
「今夜はここで野宿するか」
「え?……二人で旅してた頃みたいに?」
「ああ」
「でも皆が心配するわ」
「朝になったら、心話で連絡しておくさ」

 柔らかな草の上に彼女を降ろし、ギメリックはその隣に横たわった。
フゥ、と一つ息をついて、彼は言った。
「そうだ。もう少し、一緒にいる時間を増やせばいいんだ。そうすれば……仕事の効率も上がる」
「……?」
どういうことかわからず、アイリーンが黙っていると、ギメリックは後を続けた。
「昼間、お前の姿が目の前にチラついて困るんだ。ときどきボーッとしていると言って、宰相に責められる」
「……宰相に?」
「ああ。わかるだろう? あいつのあの口で、嫌というほどやり込められるんだぞ。たまったもんじゃない」
 アイリーンはクスクス笑い出した。ひとしきり笑った後、彼女は少し恥ずかしそうに尋ねた。
「……ねぇ、ギメリック。あなたは何人、赤ちゃんが欲しいの?」
「ん?……そうだな。1日1人で年に365人。400人ぐらいかな?」
「バカ!! 知らない……ん……」
 耳まで赤くなって叫んだアイリーンに、ギメリックが口づけを落とす。
「あっ……ん、やっ……こんなところで……」
「誰も見ていない」
「ダメっ……」
「お前の心配は解消した。もうダメではないのだろう?」
「え、そ、それは……ギメリッ……」

 二人の甘い時間を、月の光が静かに照らし続けていた。


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