薄明宮の奪還 更新日:2009.07.31


 死が二人を分つまで

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「ブルーに紫、ピンク、イエロー……明るいクリアな色ならたいてい似合うね。選択肢が多すぎて、かえって迷うなぁ。自分では、どれがいいと思う?」

 レスターにそう聞かれ、アイリーンは自分の回りを見回した。座っているソファや足下の絨毯の上に、色とりどりの布が広げられている。
「……わからないわ。こんなに沢山の布を見たのは初めてで……」
 困惑しながらも、美しい色彩に心がときめく。このところ沈みがちな自分を元気づけようとしてくれる兄の心遣いも嬉しかった。

 彼は食が進まないアイリーンのために、アドニアでは見られない珍しい果物やお菓子を持ってきてくれたり、どこで調達して来るのか、時には美しい工芸品などを携えて来ることもあった。一度など、そっと閉じた両手の中に、見事な羽を持つ蝶を捕まえていて、アイリーンの目の前で放して見せたこともある。

 彼は今、アイリーンが座るソファの後ろに立ち、少し身をかがめて背もたれに片手をあずけていた。アイリーンの肩越しに手を伸ばし、透けそうに薄い、淡い紫の布を確かめている。アイリーンは感嘆してつぶやいた。
「きれい……」
「うん、そうだね。これほど鮮やかな色に染めるには、その前段階の晒しの技術がモノを言うんだよ。真っ白な布を発色の良い染料で染めて初めて、こういうクリアな色調が生まれる。残念ながら我がアドニアには、ここまで高度な染色技術は存在しない。でもね、この布はアドニアで織られた物だ、賭けてもいいよ」
「アドニアで? どうしてわかるの?」
「素材がアドニアにしか生えない種類の麻だからさ。それに、こんな具合に斜めに模様が入る織り地はアドニアの南方地方特有のもので、今のところ他では見られない。たぶん生成りの状態で輸入してきて、こっちで染めたんだね。薄物の機織り技術では、アドニアはどの国にも引けを取らない。お互いにない物を交換し合うことで貿易は成り立ち、国と国との経済は動いているんだ」

 アイリーンは感心して、兄の整った横顔を見上げた。
「お兄様は本当に、何でも良く知ってるのね」
 レスターは彼女の視線を面映そうに受け止め、微笑んだ。
「王家の教育の賜物だよ。国を運営していくために必要な知識だから……ぼくは跡継ぎじゃないけど、勉強はそりゃ厳しかった」
「……」

 アイリーンは二重の意味で不安になった。一つには、エンドルーアの王になろうという自分に、全くそのような知識がないこと。しかしそれは考えても仕方がないと、レスターにも諭されたばかりだ。
 もう一つは、これまでも何度か感じたことのある罪悪感だった。父や、その跡継ぎである長兄の補佐役として、レスターがいかにアドニアで必要とされているかを考えると、心が苦しくなる。

 そんな彼女の胸の内を、察しの良いレスターはすぐに見抜いたようだった。体を起こし、明るい表情で、おどけたように肩をすくめてみせる。
「もっとも王宮での勉強より、実際に街で体験して得た知識の方が何倍も多いよ。それにぼくはもともと、こういう事に興味があってね。何しろ女性受けするもんだから……いや、これは余計だったな」

 いつもの冗談口調に、アイリーンの口元も思わずほころんだ。彼女は少しレスターの方に向けていた体勢を元に戻し、前を向いて深く背もたれに身をあずけた。レスターがそっと彼女の肩に触れ、尋ねる。
「疲れた?」
「いいえ……大丈夫」

 アイリーンの心はやはり沈んでいたが、兄にこれ以上、心配をかけたくない。だからそばにあるピンクの布を手に取って、それに気を取られているフリをした。レスターはソファの後ろから前に回ってきて、アイリーンが見ている布に目を注ぎながら言った。
「ま、実際にはすでに出来上がっているものを借りるわけだから(※)、あとはデザインを確かめて選ぶしかないね」
「何だか、申し訳ないみたい……。宴なんて、私、……そのぅ、お兄様だけだから言うのだけれど、本当はあまり……」
レスターはクスクス笑い出した。
「ああ、わかってる、君の宴嫌いはよ〜く知ってるからね。でも、もしも君が本気でエンドルーアの王女になるつもりなら、社交の場を毛嫌いしてちゃ勤まらないよ」
「……ええ、そうね」
うつむいて答えるアイリーンに、レスターは優しく言った。
「心配要らないって言っただろう? それとも、ぼくが信じられない?」

 アイリーンは思い切って顔を上げ、真っすぐにレスターを見た。
「お兄様、やっぱり……私、お兄様にはアドニアに帰ってもらいたいの。きっとお父様も待っていらっしゃるわ」

 本当は、ずっと、心のどこかにひっかかっていた。けれども、まるでアイリーンに同行するのが当然であるかのようなレスターの態度に加え、再会してすぐ、立て続けに戦いがあったり自分が病気になったりしたため、今までじっくり考えてみることができなかったのだ。

 レスターは一瞬だけ真顔になり、彼女の顔を見返した。それから、いつものように軽く笑ってみせ、やっぱり冗談口調で言った。
「ぼくだけ追い返すなんて、ひどいなぁ。いよいよこれから伝説の地、エンドルーアへ乗り込んで行こうって時に。この目で色んなことを確かめられると思ってワクワクしてるのにさ」
「……」
 黙って見つめ返すアイリーンの無言の抗議を受け止め、今度こそレスターも表情を改めた。彼もしばらく黙ってアイリーンを見つめ、やがて静かに言った。

「ぼくはまだ君に、借りを返していない……いや、そんなこと、もうどうだっていいんだ。ぼくは命をかけて君を守ると決めた、ぼくがそうしたいからだよ。だからどんなことになっても、君はこれっぽちも気に病む必要なんかない」
「でも、……まだ戦いは終わっていないし、これから何があるかわからないわ。お兄様は、エンドルーアとは何の関係もないのに、危ない目にあわせるわけには……」

 レスターはふいに、めったに見せない怒ったような顔をした。そして彼女から顔を背けた。アイリーンは困惑し、首をかしげる。
「あの……お兄様……?」
 レスターは彼女から視線を外したまま、つぶやくように言った。
「君が殺人鬼かも知れない男に連れ去られたと知ってから、再会するまでの間……ぼくがどんな気持ちでいたと思う? 心配と自責の念で、考えすぎると気が変になりそうだったよ。あんな思いはもうたくさんだ」

 アイリーンはショックを受けた。再会した時、少し痩せたようだとは思っていたが、まさかそれが自分を心配しての心労のためとは思ってもみなかったのだ。そんなことを悟らせないほど、あの時の兄は自然で普段通りにおどけて見せていたから……。けれど、その態度の裏で彼がどれほどの思いでいたかということを、今初めて彼女は悟ったのだった。

「ごめんなさい!……お兄様……!」
 アイリーンは涙を浮かべ、彼に抱きついた。
彼女の存在を改めて確かめるように、レスターは強く彼女を抱きしめる。
「もう二度と離れない……君を守って死ぬなら本望だ。何があってもついて行くからね」
「そんな……死ぬなんて、言わないで……」
「どうしたの、随分泣き虫になったね。……それとも喜ぶべきなのかな? 昔とちがって、素直に感情を見せてくれるようになったんだから」
 優美な指で優しく涙を払ってやりながら、レスターは彼女の瞳をのぞき込み、微笑んだ。

 その時、突然ノックの音がした。慌ただしく扉が開き、入ってきたのはギメリックだった。彼は二人を目にして、一瞬、凍り付いたように固まった。
「……邪魔をしたようだな」
「そう、邪魔だよ。しっ、しっ」
 レスターは片手でアイリーンを抱きしめたまま、意地悪そうに微笑んで、追いやるように手を振って見せた。


※この時代、王侯貴族の衣装はもちろん一つ一つ手作りで、既製品などありません。この時点から作っていたのでは舞踏会に間に合わないので、体格が似ている人の衣装を借りることになるわけです。

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