薄明宮の奪還 更新日:2007.06.30


 秘められた時を待ちて

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8


 大騒ぎの一夜が明け、ノロノロと一日が過ぎていった。
そして次の朝。
ウィリアムは、明るい初夏の日差しが降り注ぐ王宮の回廊を、重い足取りでレスターの部屋へと向かっていた。

 ウィリアムと二人きりで会わせて欲しい、とレスターが言っていると、王様から直々に遣いが来たからだ。そうでなければ、正式に処分が決まるまで父の屋敷で謹慎し、二度と役目を帯びたまま城に出仕するつもりはなかった。

“私はあなたをお守りできなかった……従者失格です。お暇をいただきます。もちろん、どんな罰もお受けします”
ウィリアムはレスターにそう言うつもりだった。

 誘拐団のリーダーはあれから間もなく、ウィリアムがもたらした人相の報告によって首都警備兵に捕まった。今は牢に入れられ、尋問を受けている。残り3人の男たちは、怪我の手当は受けたものの、すでに確定した死刑を待つ身だった。



 レスターの居室には、王室つきの医者と侍女たちが大勢、控えていた。その中から女官長が近寄ってきてウィリアムに言った。
「レスター様がどうしても、と言われるので許可しましたが、あまり長くはお話できませんよ。すぐに、お薬が効いてきますからね」
ウィリアムは黙ってうなずき、寝室の扉をノックした。
入室許可を伝える鐘の音が、チリン、と澄んだ音を響かせる。

 中に入ると、広い部屋の奥に天涯付きのベッドがあり、寝かされているレスターの姿が目に入った。
 レスターはウィリアムを見て嬉しそうに笑った。いつもと変わらぬ、輝くような笑顔だった。しかし顔色は青白く、ウィリアムには、いつもよりずっと弱々しく見える。
 ゆっくり歩を進めて近づいて来るウィリアムを、レスターはじっと見つめていた。

 至近距離から放たれた矢はレスターの左胸を貫通していた。しかし奇跡的に急所を外れていたこと、そして傷口を広げて矢じりを取り出す必要がなかったことから、彼の命を奪うには至らなかった。
 レスターを探していた警備兵のうちの一団が、墓地のすぐ近くにいたことも幸いだった。あまり動かしてはいけないと判断したウィリアムが、応急処置をしたレスターを置いて城まで駆け戻ろうとして、その一団に出会ったのだ。
 彼らの手によって慎重に城へと運ばれたレスターは、すぐに医者の手当を受け、出血が多かったにもかかわらず一命を取り留めた。

 ウィリアムがベッドの傍らに立つと、レスターは笑って言った。
「お前、これからぼくの葬式に行くところ、……みたいな顔してる」
ウィリアムの頭にドカンと血が上る。
「あ、あなたって人はっ……!! 冗談にも程が……っ」
クスクス……と笑いかけて、傷が痛むのだろう、レスターは辛そうに眉をひそめた。
「だっ大丈夫ですか?! 誰か呼んで……」
「ウィル」
レスターの声が、走り出そうとしたウィリアムを引き止めた。
振り向いたウィリアムに、真面目な瞳をしてレスターは言った。
「……ごめん」

 ウィリアムは何も言えなくなり、ただ彼の顔を見つめた。
「お前の言うことを聞かなかったぼくが悪いんだ。皆だって、ちゃんとわかってるよ。だから……父上には頼んでおいたから、従者を辞めるなんて、言わないで欲しいんだけどな」

 それだけ言うと疲れてしまったらしく、レスターはベッドに深く身を沈め、目を閉じて長い息を吐いた。
「……もっとも、お前がもう懲り懲りだ、って言うなら仕方ないけど。でもせめて、今回のほとぼりが冷めるまでは……その方がファルドも安心する」

あぁ、かなわない……こんな怪我を負った身で、どうしてこうまで……私が処分を受けないようにと、そのことばかり気にかけて……。
きっと自分は一生、この人に、先回りされ続けるのだろう……。

 突然、レスターは目を丸くしてウィリアムの顔を見上げた。
「お前……何泣いてるんだ?」
「……!! 泣いてなどいませんっ!! 私は、怒ってるんですっっ!!」
ウィリアムはくるりとレスターに背を向けた。
「い、いつか……いつかこんな日が来るのではと……だから、あれほどおいさめしていましたものをっ!!」
ウィリアムの手に、レスターの熱い手が触れてきた。
ハッとして、ウィリアムが振り返る。

 傷から来る熱が出てきたのか、白磁のような頬は少し上気し、いつもは涼しげなブルーグリーンの瞳が潤んで濡れている。紅を引いたように赤い唇がうっすらと微笑み、レスターはささやいた。
「泣かなくていいんだ……」
「……レスター様?」
レスターは再び目を閉じると、つぶやくように言った。
「ぼくがいなくなっても、誰も、悲しむことなんてない……この命は、借り物なんだから……」
「……それはいったい……」
どういう意味ですか?という言葉を、ウィリアムは飲み込んだ。
レスターがもう眠ってしまっていたからだ。

 その表情に苦しみの影はなく、つい昨日、生死の境をさまよったとは思えないほど安らかで、美しい寝顔だった。
ウィリアムは彼を見つめてつぶやいた。
「……あなたがこの国一番の剣士になると言われるのなら、私は、その上を目指します。あなたをお守りするためにこそ、私の剣はあるのですから……」




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 その後レスターは一ヶ月間、部屋から出ることを許されなかった。
彼は退屈がってイライラし、あきれたことに全く懲りていないのか、二週間もすると隙あらば部屋から逃げ出そうとし始めた。が、レスターの母を始め、衛兵、侍女たち、そしてウィリアムの連携による完全防御によって、その試みはことごとく失敗に終わった。

 わめいたり、泣き落としをかけてみたり(もちろん嘘泣きだ)、しまいには死んだ方がマシ、とまで言い出すレスターに手を焼いて、侍女の一人が城下を訪れていた吟遊詩人を連れてきた。
 それが予想外の効果をもたらした。レスターは吟遊詩人と彼の音楽がとても気に入ったようで、退屈しのぎに竪琴を習い出したのだ。そして皆が驚いたことに、あっという間にプロ並みの腕前になってしまった。



 そうして、やっと久しぶりに、彼がウィリアムだけをお供に城の中を散策することを許された頃。

 城の外堀を渡る橋へと、一人の男が歩を進めていた。わずかばかりの荷を肩にかけ、旅装束に身を固めている。男は赤毛で、右の頬に大きな傷跡があった。

「ねぇおじさん」
良く通る明るい声が、頭の上から降ってきた。
振り向くと、大人の背丈の1.5倍ほどの塀の上に、一人の子供が座ってこちらを見下ろしている。

 美しい金髪もブルーグリーンの瞳も、明るい日の光の下で見るのは初めてだ。彼が一命を取り留めたことは、もちろん聞いて知っていた。そうでなければ自分がこうして許されているはずはない……。

 この少年を殺してしまったと思ったあの一瞬、なぜあれほどまでに動揺してしまったのか、男には自分の心が不可解だった。あらゆる悪事に手を染めてきた自分だというのに……しかもほんの直前まで、殺そうとやっきになっていた相手だというのに。
 いつものように冷静であれば、従者の少年に顔を見られて手配されるようなヘマはしなかったはずだ。あの少年をも切り捨て、逃げおおせる可能性に懸けていただろう。
 ……しかしもう、そんなことは考えても仕方がない。

 不機嫌そうに、男はつぶやいた。
「失せやがれ。お前のツラなんざ、二度と見たくねぇ」
再び前を向いて歩き出した男の背に向かって、レスターは問いかけた。
「教えてよ、“悪党のプライド”って何?」
「……フン。ただの負け惜しみさ」
レスターに聞こえようが聞こえまいがおかまいなしに、低くそうつぶやいた男の足が突然、ピタリと止まった。

 ずっと疑問に思っていたことの答えが、ようやく、わかりかけた気がしたのだ。王子の誘拐という大罪を犯した自分が一ヶ月以上も牢に入れられたまま過ごし、そして国外追放という、あり得ないほど軽い刑罰で済まされたのはなぜなのか……。他の男たち同様、即刻、死罪になって当然だったというのに。

 男はサッと振り向き、再び少年を見上げた。
「……まさかお前……それが聞きたくて、俺の命を助けたって言うんじゃ、なかろうな……」
男のあぜんとした顔を面白そうに見下ろし、レスターは微笑んだ。
「うん?……それも、あるけど……」
レスターは手に持った小さな竪琴を、白く長い指でポロンとかき鳴らした。
「ほら、ぼく、竪琴が弾けるようになったんだ。あの時おじさんが助けてくれなかったら、たぶん無理だったろうね」
「……」
「お礼は言わないよ。何しろおじさんのおかげで死ぬとこだったんだから」
少し厳しい顔をしてそう言ったレスターは、塀の上でひょいと立ち上がり、すぐそばに生えている木の幹に手をかけた。
「でもウィルに手を出さないでいてくれたことには、感謝してる。……じゃあね。よその国へ行って、悪いことしないでよね。さよなら!!」

  レスターは鮮やかに身を翻し、塀の向こうへと姿を消した。男は彼がいた場所を見つめたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
 やがてまた歩き出した男の口元が、微かにほころぶ。小さな声で彼はつぶやいた。
「お前がどんな大人になるか見られないことが、惜しい気がしてきたぜ……ボウズ」





「レスター様!! どこへ行くつもりです?!」
“うわ……ちぇっ、見つかった”
一瞬、首をすくめるようにして立ち止まったレスターは、開き直って顔を上げ、満面の笑みを浮かべて振り向いた。
「やぁ、ウィル。……お前、暗号やめてから、ぼくの居場所を探すのうまくなったね」
「“やぁ”じゃないでしょう! 全くあなたときたら……あんな目に遭っておきながら、まだ懲りてないんですか?」
「……お前も相変わらずで、嬉しいよ」
レスターは憂鬱そうにため息をつき、庭に咲いた白いバラの花に手を伸ばした。

“あんな目、って言うけどさ……お前が一人であの場に来たりしなければ、うまくいくはずだったんだ……”
 潜めた声で交わされた男とレスターの会話を、ウィリアムは聞いていない。だからレスターが自分を守ろうとして死にかけたなどとは、知る由もないウィリアムだった。
  しかしそのことをレスターは、自分の胸にだけ留めて誰にも言わなかった。もともとは自分が招いたことなのだし、それに……この忠義バカとその父親が真相を知れば、責任を取るとか言って、親子共々自害しかねない。そう思ったからだ。



 後で聞いたところによると、レスターの行方がわからず大騒ぎになって捜査隊が繰り出された後、ウィリアムは一人で、レスターとの暗号で示された場所を一つ一つ回っていたと言うのだ。
「大人たちに任せた後も、とにかくじっとしていられなくて……でもお探し出来て本当に良かった」と、何も知らずにウィリアムは言ったものだ。
「ああそう……うん、おかげで助かった……」
と言いながらレスターは脱力し、
“もう少ししたら、絶対、辞めてもらおう……その方がお互いのためだ、きっと……”と思った。

 はた目には全く懲りていないように見えるレスターだったが、彼は彼なりに反省してはいたのだ。今回のことで、自分がまだ非力な子供であり、護衛も連れずに城外へ出向けば一人で対処しきれない事態に巻き込まれかねない、ということを思い知らされた。何より恐ろしかったのは、一歩間違えば自分のためにウィリアムが命を落とすところだったという事実だ。
 しかしだからといって、これからは城でおとなしくしているかと問われても、それが出来ない相談であることは自分自身が一番良くわかっている。となると自分に出来ることと言えば、今まで以上に用心して行動すること、そして自分の行ないによって被害を被る人間を最小限にするよう努めることぐらいだ。

 けれど……考え込んでいるレスターを、ウィリアムは心配そうにのぞき込んで言ったのだ。
「レスター様、気分がお悪いのでは? 誰か呼んできましょうか? それとも横になりますか?……すみません、私があまり長く、お話しし過ぎましたね。お疲れになったのでしょう?」
「……」
そんなウィリアムを眺めてレスターは照れ笑いを浮かべ、やはり彼を遠ざけることは当分、できそうもないな……と諦めたのだった。



 バラの花に顔を寄せ、香りを楽しんでいたレスターは、その葉に一匹の青虫を見つけて微笑んだ。ナイフを取り出すと青虫つきのバラの枝を切り取り、丁寧に棘を取り除いていく。
 彼の唇に浮かぶさも愉快そうな微笑みを、ウィリアムは不安そうに眺めて眉をひそめた。
「それ……どうするつもりです?」
レスターは楽しげにフフッと笑って言った。
「母上にプレゼントするんだ。今から一番最初に出会う侍女でもいいな。とにかく女なら誰でも……この虫に気づいたら、キャーキャー言って面白いぞ」
「……レスター様、またそんな……バカなことはおやめください。ホントにもう、お願いですから、あまり世話をかけさせないでくださいよ……」

 困り果てた様子のウィリアムにニッコリ笑いかけ、
“その言葉、そっくりお前に返すよ”と思いながらレスターは言った。
「お前には、まだまだ面倒をかけることになるだろうけど、よろしく頼むよ。まぁそれも、ぼくがここからいなくなるまでの、辛抱だからさ」
「 ……いなくなるって……どういう、ことですか?」
「旅に出るんだ! ぼくはいつか吟遊詩人になって、世界を回る!!」
「……」
てっきり、いつものようにガミガミ言い出すかと思ったのに、ウィリアムが妙な顔をして黙ってしまったのでレスターは拍子抜けした。
「どうしたんだ? 変な顔して……」
「レスター様、あれは、どういう意味だったのですか?」
「?……あれって?」
「自分の命が、借り物だとか何とか……」
「???……お前、何言ってるんだ?」
レスターは全く覚えていないらしく、怪訝そうな顔をする。

 その時レスターの目がウィリアムの背後に向けられ、彼はつぶやいた。
「あ……見ろよ、アイリーンだ!」
振り向くとウィリアムにも、乳母に連れられた小さな金髪の少女の姿が見えた。今年7才になる、レスターの異母妹だ。普段めったに見かけないのだが、今日は天気が良いので、庭の散策に出てきたのだろう。
「グッドタイミング!! 最高の獲物を発見!!」
ありがたくないプレゼントの進呈先を彼女に定めた様子で、レスターは嬉々として彼女を追って駆けて行く。

 全く……誰にでもお優しいこの方が、いったいなぜあの薄幸な妹姫をこうも目の敵にするのかと、ウィリアムは解せない顔で後に続いた。イタズラはいつも、他愛もないものとは言え、彼女にとってはそうではないだろうに……。

 レスター11才の夏。彼が自分の使命に目覚めるまで、あと9年の歳月を要することになる……。


- Fin -
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