薄明宮の奪還 更新日:2007.06.07


 秘められた時を待ちて

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「お願いですから、もうこんなことはおやめください!! あなたにもしものことがあったら……」
「あぁ、うるさいうるさいっ!! お前はぼくの母様か?! 同じようなこと言うなっ!!」

 城下町の狭い路地を、二人は城へと向かって歩いていた。
夕刻を迎えた街の大通りは、買い物をしたり家路へと急いでいる人でかなりにぎわっていたが、そこから一本奥まった裏通りは、ほとんど人もまばらだ。

「……あなたを見知っている人も増えてきてるようじゃないですか。そうでなくても目立つのに……悪い奴らに目をつけられたらどうするんです?」
「だから用心してるだろう? お前を連れて来るのだって、ぼくにしたら最大の譲歩なんだぞ」
「私一人でできることなんて限られてます! どうしてもあそこで剣術の稽古をしたいのなら、どうぞお父上にそう頼んで……」
「バカ言うな! そんなことしたら、城での稽古と同じじゃないか」

 街の中にはいくつか、剣術を教える道場がある。庶民の中にはそこで修行を積んで、傭兵として軍に入る者もいるのだ。
 レスターは、もちろん表立ってそういう場所に出入りしているわけではない。道場で学ぶには月謝がいるし、大人たちの中には、彼の素性に感づいてしまう者もいるだろう。だからレスターは慎重に、道場に通う子供たちの中から、口が堅そうで信頼できそうな者を選び、彼らが道場での稽古を終えて帰るところをつかまえて、丁寧に試合の申し込みをして腕試しをしているのだった。

 今日の相手は4才も年上だった。体格が良く、力も強いその少年にかなりやり込められて、レスターはすこぶる機嫌が悪かった。

「まだまだだ……全然、なってない。もっと力をつけなくちゃ」
「なぜそうまでして、腕を磨かなくてはならないのです? あなたがご自分で強くなる必要などないではありませんか。こんなことをしていて、また危険な目に遭うことにでもなったら、どんなに皆が心配するか……あなただって充分おわかりのはずでしょう?」
 その無鉄砲さのせいでレスターが一度は命を落としかけたこと、そのために自分が従者になったいきさつを、ウィリアムは聞いて知っていた。

「……」
ピタリとレスターが足を止めた。
無表情な彼の顔を見て、主人が相当怒っていると察したウィリアムが焦りだす。
「お前、先に行け」
「え……」
「早く!」

 ほぼ一列になって進んでいた彼らは、互いの位置を入れ替えた。不安げに後ろを振り向きながら歩くウィリアムが何を言っても、レスターは視線を合わせず、答えもしない。
 ウィリアムがあきらめて、黙って歩き出してからいくらもたたないうちに。ハッと気づいて彼が振り返った時には、すでにレスターの姿は消えていた。

 ウィリアムは肩を落とし、衣服のあちこちを探った。
こういう時、レスターは必ず前もって、ウィリアムと後で落ち合う場所を記した紙切れを、彼に残して行くのだ。従者であるウィリアムが、主人の居場所を知らないというのはシャレにならないからと……。いつも気をつけているつもりなのだが、いつの間に、どうやって彼がそれを忍ばせるのか、ウィリアムには未だにわからない。

 出てきた紙切れに書かれていた文字は『G』。それが示す場所は王宮の、レスターの部屋近くの中庭だ。城外へ出かけるとき、レスターが王家の紋のついた身の回りのものを全て外し、隠しておく場所だった。

 ハァ……。と、ウィリアムは深いため息を吐いた。
こんな、自分への気遣いより、城でおとなしくしていて下さるほうが、どれほど嬉しいか……。

 忘れもしない。
まだ遊びたい盛りで、自分の将来になど漠然とした思いしか抱いていなかった7才の夏。城への出仕から帰って来た父が、いきなり自分の前で土下座したのだった。
驚く自分に、父は言った。
「お前には辛い思いをさせることになるだろうが、お前にとっても乳兄弟に当たる尊いお方のために、力を貸してくれないか」と……。
そして、あまりにも奔放な王子を落ち着かせるために、彼の従者になることを言い渡された。
 レスターが勝手に城からいなくなってしまい、自分が罰を受けるだろうことも、最初から聞かされていたことだった。それでも父の言葉に従ったのは、武人として名高い父を尊敬していたからだ。そして父の、心から王子を心配し守ろうとする姿に胸を打たれ、少しでも役に立ちたいと思ったから……。

 そう、今では父の気持ちがよくわかる。あれほど人々に愛されていながら、当の本人はと言えば、ちっとも自分の身を顧みていない。なぜ、あんなにも無鉄砲で……少しもじっとしていないのか。まるで生き急ぐかのように……少しでも早く大人になろうとでも言うように。

 ハァ……。と、ウィリアムはもう一度、深いため息を吐いた。
大人たちが仕組んだ通り、ウィリアムが自分のために罰を受けたのを見て、レスターはしばらくおとなしくしていたのだが……結局、今となっては、自分は何の役にも立っていない気がする。そればかりか、大人たちの目を欺く盾に使われているのではないかとさえ思う。

 ウィリアムは、家々の隙間から、夕暮れに染まる空を見上げた。
“今日はもう夕食まで、それほど時間がない……きっとすぐに帰っておいでになるだろう……”
 昼の食事時にレスターが行方不明になっていることはしょっちゅうだったが、さすがに夕食の時間に彼の行方がわからないとなると大騒ぎになる。その辺りはちゃんとわきまえて、今まで一度もその時間に、彼が遅れたことはなかった。

 しかし、その夜。
ついにレスターは、ウィリアムの待つ王宮の中庭に、帰ってはこなかった。

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