薄明宮の奪還 更新日:2007.06.01
(06.02 一部修正)


 秘められた時を待ちて

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「遅いぞ! ウィリアム!!」
塔の上から、よく通る快活な声が降って来た。
“あなたのおかげで、たっぷり父にしぼられていたんです……”
心の中で悄然とつぶやきながら、ウィリアムは尖塔を見上げた。

 レスターは塔の見晴らし窓の枠に座って、どこで調達してきたものか、顔の大きさほどもあるパンにかじりついているところだった。

そう言えば、もうお昼だ……。
食べ盛りの少年のこと、ウィリアムは急に胃の辺りをキュッと絞られるような感覚を覚え、力なくため息を吐く。
どうせレスター様につきあっていたのでは、今日はお昼を食べ損ねるのだ……。

 レスターは登ってきたウィリアムの姿を見ると、ポンと窓枠から降りて近づいてきた。かじりかけのパンを目の前に突き出され、ウィリアムは思わず反射的に受け取った。するとレスターはその半分をむしり取り、面食らっているウィリアムに向かって笑ってみせる。
「お前があんまり遅いからだ。半分のはずが、みろ、取り分が減った」
そう言うと彼は再び窓枠に座り、眼下に広がる城内の様子を眺めながらパンを食べ出した。

「どうしたんですか?……これ……」
「うん? 兵舎の調理場に行ったらくれたんだ。ほら、これも」
そう言ってレスターは、水筒を投げてよこす。
あぁ、また父のお目玉の元が増えた……と、ウィリアムは肩を落とした。

 南の大国と呼ばれるこのアドニアの、城の敷地は広大だった。その中心にある王宮で暮らす王族が、下働きの者たちが出入りする場所に出向くことなど、普通、皆無なのだ。それなのにこの人ときたら……国の宝、王の掌中の珠とも言うべき第二王子という身分でありながら、しょっちゅう行方知れずになるかと思えば城中どこにでもヒョッコリ顔を出す。そればかりか……

「食べないのか?」
そんなそぶりは微塵も見せなかったくせに、困ったようなレスターの表情からは、彼がウィリアムのためにわざわざその食料を運んで来たことがハッキリ見て取れた。

ああ、これだから……どんなに大変な思いをしようとも、自分はこの方に生涯お仕えすると、心に決めたのだった……。

「いただきます……」
ウィリアムがそう言って食べ始めたのを見て、レスターの顔に嬉しそうな、安心したような笑みがこぼれる。それは少年らしい無邪気さとともに、周りがパッと明るくなるような華やぎを備えた、輝くように愛らしい笑顔だった。

  母親譲りの白っぽい金髪は、柔らかく上品な光沢の絹のよう。優美な弧を描く眉、鮮やかなブルーグリーンの瞳。長いまつげと色の白さは少女かと見間違うほどで、黙って座ってさえいれば、まるで魔法使いの手によって命を吹き込まれた宝石細工の人形のようだった。

 この笑顔の魅力に、いったい誰が逆らえるだろうか……。彼がニッコリ笑いかけるだけで、誰もが彼に夢中になる。それを利用して欲しいものを何でも手に入れてしまう要領の良さといったら……あきれるのを通り越して感心してしまうほどだ。
 しかし傍若無人に振る舞っているように見えて、弱い者には優しく思いやりがある彼は皆に愛され、身分が知られていようがいまいが、どこに行っても人気者なのだった。

 もっとも、この年頃の少年にとって、主に女たちから浴びせられるカワイイだのキレイだのという賞讃は気に入らないものらしく、彼はわざとのように毎日泥だらけになって走り回っている。一度など、頭のてっぺんから足の先まで真っ黒になり、あまりの汚さに彼だと判別できなかった衛兵に王宮からつまみ出されてしまうところだった。烈火の如く怒ったレスターに、鼻に噛み跡をつけられたその衛兵が、しばらく笑い者だったことは今でも語りぐさだ。

クスクス……。
笑い声がするのでウィリアムが顔を上げると、レスターは一人、肩をふるわせて笑っている。かと思うとウィリアムの方を振り返り、上機嫌で言った。
「なぁウィリアム。ぼくが“おっさん”って言った時のファルドの顔、見たか? 可笑しかったなぁ!」

笑い続けるレスターに対し、ウィリアムはしょげた様子でつぶやくように言う。
「レスター様……お願いですから、父をあまり怒らせないで下さい……後でたっぷりしかられるのは、私なんですから……」
始めのうちこそ少しは効果のあったそんな言葉も、せいぜい小言を言われる程度でウィリアムが自分のために罰を受けるわけではないと気づいてから、レスターはまるで意に介していない。

「ぶたれる訳じゃないんだろう? 聞き流しておけばいいのさ」
と言いながら、ほんの少し残したパンを小さくちぎり、白く長い指でピン!と弾いた。
たちまち、物欲しそうにそばでウロウロしていた雀が数羽、先を争って寄って来る。レスターが残りのパンも撒いてやると、小鳥たちは忙しくそれをついばんだ。そのうち一羽が、パンをくわえてどこかに運んで行く。

 その姿を目で追って、遠く空の彼方を見つめているレスターに、ウィリアムはおずおずと尋ねた。
「レスター様、剣術の稽古をやめるというのは……?」
とたんに、不愉快なことを思い出したというように、レスターは険しく眉根を寄せた。
「フン! 手加減されて戦ってもこれ以上強くなれないだろ?」
「……」

 レスターとウィリアムは共に11才。同い年の自分に遅れをとるのを悔しがるレスターの気持ちは、わからなくもない。が……しかたのないことだ、とウィリアムは思う。いくら筋が良いとは言え、レスターには剣術よりむしろ、いずれ王の補佐として必要になる知識に精通することこそ、周りから望まれているのだ。剣士の代わりはいくらでもいるが、国の中枢を担う第二王子の代わりなど、むろん誰にもできない。

 だから自分がひたすら、国一番の剣士と誉れの高い父親相手にせっせと剣の鍛錬にはげんでいる間も、レスターは王子としての行儀作法や教養や、アドニアと近隣諸国の地理・歴史、そして経済学、……などなどを詰め込まれている。
 もっとも、聞くところによるとレスターは、それらの勉強を決して嫌がるわけではなく、むしろ貪欲に学んでいるということだったが。

「……主人を守るのが従者の務めです。だから私は、あなた様より腕が立たなくては……」
レスターはいらだった様子で、ウィリアムの言葉を遮った。
「違う。別にお前より強くなろうなんて、思ってないさ。ただ、……」
……いつか、必要になる時が来る。そんな気がするだけだ……。

時折襲ってくる不安と焦燥が、いったいどこから来るものなのか、レスターには自分でもわからなかった。それゆえさらに、いらだちがつのる。

 黙り込んでしまったレスターに、ウィリアムは不安な眼差しを向けた。
時折、遠くを見る目をするこの元気でしたたかなはずの主人が、ひどく儚げに、危うく見えることがある……。あまりにも美しい姿形がそう思わせるだけなのか、それとも……。

背景の空に溶け込んで、レスターの姿が限りなく薄く透明になって行くような気がして、ウィリアムは思わずギュッと彼の腕を握った。

「?!……何だ?」
驚いて振り返ったレスターの顔を見て、ウィリアムはハッと我に返る。
慌ててその手を放し、シドロモドロにつぶやいた。
「あっ、その、そんなに端に座られては、落ちてしまいそうで……危ないでしょう?」
「……心配性だなぁ。お前さ、どっちかというと従者より乳母に向いてるぞ」
「!!」
「アハハ! 嘘だよ、お前の剣の腕は買ってるさ。だから今日も……さぁ!行くぞ!」

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