薄明宮の奪還 更新日:2013.4.8


第5部 エンドルーア

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 第2章

17.喪失-3



 アイリーンは夢を見ていた。
夢の中で彼女は“アイリーン”ではなく、別の名前で呼ばれていた。

 様々な場面が切れ切れに目の前を流れて行く。
ヴァイオレットと一緒にいるシーンが多かったが、もう一人、時折出て来る印象的な顔がある。竪琴を弾く若い男……吟遊詩人だ。

 彼はまるで人形のように美しかったが、心も人形のようにからっぽだった。
どんな事にも、気持ちを動かされる様子がない。
そればかりか、隠し持った短剣で、顔色一つ変えずに人の命を奪う。

 今よりさらに混沌とした時代だったのだろう。
多くの人は貧しさに喘ぎ、劣悪な環境の中で生きていた。

 そんな社会で、彼は親に捨てられ孤児として育ち、吟遊詩人という天職を得るまでは、生きるためにありとあらゆる悪事に手を染めた。
 襲ってきたり、自分の利益を搾取しようとする者には、容赦なく刃を向ける。
彼にとっては当たり前の事だった。

この世で何一つ大切に思うものなどなく、他人の命にも、自分の心にも、無頓着だった。

 生まれてしまったから仕方なく生きている……そんな風だった彼がなぜ、変わり始めたのか。アイリーンにはよくわからない。
 記憶は断片的で、細かい事情はハッキリしなかった。

 ただ偶然出会って、たまたま利害が一致したため、少しの間一緒に旅をした。
そして敵と戦い、なぜか彼女をかばって傷を負った彼は、彼女の腕の中で死んだ。


 息を引き取ろうとする彼が、懸命に何か伝えようとしている……。
唇が動くが、声は聞こえない……。






 目覚めへと浮遊する意識の中で、アイリーンは泣いた。
悲しくて、心がちぎれてしまいそうなほど、痛い……。

 転生の記憶はあっても、“今、この時”は一度しかないことを、
アイリーンは知っていた。

 だから別れはいつも悲しい。
早すぎる別れなら、なおさらのこと……。






「アイリーン様……」
アイリーンが目を開けると、ルイザが側に立っていた。
夢の中に浸り切っていた心は、すぐには現実に馴染まない。
アイリーンはぼんやりと彼女の顔を眺めた。

 その頬に、二筋の涙の跡を見てもまだ、しばらくはその異常に気付かなかった。
ただ悲しそうだと感じ、声をかける。
「……どうしたの?」
ルイザは首を振って答えた。
「違います。これはあなたの悲しみ、私のものではありません」
「……」

 突然、ハッと身を起こしたアイリーンは、目を見張ってルイザを眺めた。
鉄の仮面かと思うほど無表情だった彼女が、泣いている……?

 ルイザはしかめっ面になり、顔を背けて涙を拭いた。
「だから違うと言っているでしょう? シンパシー(共鳴)ですよ。どうやら私とあなたの魔力は、長く一緒にいればいるほど、強くシンパシーを起こす相性のようです。全く……」
 眉をひそめたまま、 ルイザはアイリーンに向き直った。
「血縁の間でもめったに起こらないものだというのに、なぜよりによって……。それとも、これもあなたの力なのですか? とにかく、私はこれ以上、あなたの感情に振り回されるのはごめんです。出て行って下さい」
「えっ……」

 あまりにも急な展開に頭がついて行かず、アイリーンは呆然とした。
ルイザはさっさと彼女に背を向けて、出口の方へと歩いて行く。
アイリーンは慌てて起き上がった。眠っているティレルが目に入る。

「待って……いいの? 命令に背いたら、あなたがティレルから罰を受けるんじゃ?」
ルイザは足を止め、振り返らずに言った。
「かまいません、私は……。それに、状況も変わりました。暦司の力がひどく弱っています。おそらく戦闘があったのでしょう」
「え?」

 ルイザは珍しく迷うようなそぶりを見せ、それから振り向いた。
「アイリーン様、あなたもそろそろ、体質の変化が終わっている頃です。ティレル様があなたに飲ませていた薬……あれは、クレイヴ様がこの岩城で、長年にわたって人体実験を繰り返して完成されたもの。常人と同じようにとまではいかなくても、金属によるダメージを、前ほど激しく受けなくなっているはずです。現にこの洞窟には、魔力の気配を漏らさないよう結界が張ってあるだけで、金属の影響を防ぐ結界はありません。あなたも、この地を自由に歩き回る事ができるようになったのです」
「……」

 アイリーンはティレルに歩み寄った。
まだ眠り続けている彼のそばに跪き、そっと手を取る。
「ティレル……やっぱり、あなたはもう……私が昔から知っていたティレルでもないし、黒髪の悪魔として殺戮を繰り返していたあなたでもない。それでも私を助けてくれたのね。ありがとう……私も、あなたの側にいてあなたが生きるために力を尽くしたいわ。でも今は……行かなくちゃ。皆の無事を確かめたら必ず帰って来る。だから待ってて」


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 ルイザがアイリーンを出口まで案内して帰って来ると、ティレルが起きて待っていた。
「ティレル様……申し訳ありません」
 ティレルは微かな笑みを漏らす。
「お前を懐柔してしまうとは、たいしたもんだね、あの子も」
「……あの方は無意識に魔力の障壁を取り払って、自分の心に二心がないことを開示しておられた。あの邪気の無さは最強です……とてもかないません」
クックッとティレルは笑い声を上げた。
「あの子の無知をいいことに、シンパシーだなんて……素直に、彼女の悲しみにほだされたのだと言わない所が、お前らしいな」
「聞いていらっしゃったのですね……」
「 まぁ、いいさ。確かに、今ならもう、それほど心配はなさそうだ。彼女の体質改善は成功したようだし。何より、暦司の力がほとんど感じられない。……おかしいな、ギメリックを始め、魔力保持者はこの山に踏み込めないはずだが。誰が暦司をこれほど弱らせたのか……?」
 しばし考え込んだティレルだったが、すぐに投げやりな調子で肩をすくめた。
「もう、ぼくにはどうでもいいことだ。さて……ルイザ、行こうか」
「どこへ行かれるのでしょうか? アイリーン様をお待ちにならないのですか?」

 立ち上がって背を向けたティレルから、深く静かな絶望と諦めの感情が伝わって来た。
「……ティレル様……?」
「彼女の側になど……いられるはずがない。ぼくが何人殺したか……自分でも覚えていないほどだ。この先、ぼくに出来ることと言えば……自分の死に場所を探すことぐらいじゃないか。……ルイザ、悪いがそれまで、もう少しだけ付き合ってくれるか……?」
「ティ……いいえ、坊ちゃま!!」
 ルイザはティレルに駆け寄り、思わず、後ろから抱きしめた。まるで先程の涙が呼び水になったかのように、せき止められていた感情がルイザの心に押し寄せて来る。遠い昔に枯れ果ててしまったとばかり思っていた涙が、またも溢れ出した。
「あなたの罪ではありません! どうか……どうかそのようなことをおっしゃらず、ここでアイリーン様をお待ちになってください!」
「……ルイザ……」
「クレイヴ様が、坊ちゃまをお屋敷に連れ帰られてからずっと、お世話をさせていただきました。坊ちゃまのお望みならと、どんなご命令にも従ってまいりました。ですが……坊ちゃまの死に場所を探すお手伝いなど……そのご命令にだけは、従えません!」


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 “ダメだ……!! 俺は、こんな所で死ぬ訳にはいかない……”
急激に力が消耗して行くのを感じ、ギメリックは焦っていた。
「クッ……」
ギリギリと喉を締め付けて来るのは母であるシルヴィアの魔力。そして自由を奪っているのは、クレイヴの魔力だ。 どちらも最高レベルの魔力保持者、一人ずつまともに戦ってすら、相当手強い相手のはずだった。そんな二人から同時に攻撃を受け、しかもギメリックには母を傷つけたくないという弱みがある。その上、タイムリミットも迫って来る。

 このままでは危ないと感じたギメリックは、一旦、体に戻って態勢を立て直すしかないと思った。攻撃を控えて魔力を温存し、二人の呪縛から自由になる事だけに集中しようとしたが、それすらもままならない。
 意識が霞んできた。
状況を打破するために、なりふり構わず攻撃するしかないのか……?
しかし、そうなれば母まで傷つけてしまう……。
 迷う間にもどんどん力が失われて行く。
「クク……さぁ、そろそろ良い頃合いだ。シルヴィア、とどめを刺してやれ!」


 
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