薄明宮の奪還 更新日:2013.1.19


第5部 エンドルーア

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 第2章

15.喪失-1


ギャァァ〜〜〜〜!!

 巨大なかぎ爪のついた手が、ポトリと地面に落ちた。
見事に二の腕から切り落とされている。

 レスターは目を閉じることで全神経を耳に集中し、役に立たない視力ではなく聴力で、敵の動きを察知することに懸けたのだ。
 もちろん、戦う気力を無くしたと思わせ、敵が油断することも計算の上だった。

 腕を押さえてうずくまる相手に、とどめを刺そうと迫る。
しかしその姿はサッとかき消すように見えなくなってしまった。
あれほどの傷を負いながら、目にもとまらぬ速さで動けるとは。
まだ危険は去っていないと意識しながらも、レスターはウィリアムの側に駆け寄ろうとした。
「ウィリアム……!!」

 倒れていた彼は、死にものぐるいの形相で立ち上がっていた。
左脇にひどい傷を負っているらしく、そこから下が真っ赤に染まっている。

  一刻も早く手当てを、とレスターは焦った。
しかし、一歩手前で足を止めざるを得ない。
ウィリアムが剣を構え、鋭い闘志を込めた目でこちらを睨みつけていたからだ。

 レスターは信じられない思いで彼を凝視した。
「ウィル!! ぼくだ! わからないのか?!」

“まだ、奴の暗示から覚めていない……ぼくを敵だと思い込んでいる?”
そう思い当たった時、ウィリアムが動いた。
「おのれ……化け物め!!」
叫びながら真っすぐレスターに向かって来る。

 避けようとしたレスターの身体が、金縛りにあったように動かなくなかった。
“?!……くそっ!奴の仕業か? やはりどこかに隠れて……”
剣の切っ先が迫る。
思わず目を閉じ、レスターは歯を食いしばった。

 その耳元で、凄まじい悲鳴が上がる。

ゥオォォォ〜〜〜〜ッ!!

 剣身はレスターの頭の上を通っていた。
後ろにいた暦司の右目に、深々と突き刺さっている。
暦司はヨロヨロと2、3歩後ろに下がったかと思うと、またもや姿を消してしまった。

「ウィリアム!!」
目の前で倒れて行く彼を、レスターが抱き止める。
しかしその重みを支える力は、レスターにもほとんど残っていなかった。
崩れ落ちるように膝をつき、かろうじて、地面にそっと彼を降ろす。
「しっかりしろ! ウィル!!」

 急いで手当てをしようとしたレスターは、あまりのことに息をのんだ。
傷は柔らかな下腹をザックリとえぐり、おそらく内臓にまで達している。

「いいんです……私はもう……」
虫の息でウィリアムがつぶやいた。
「な、何を言ってるんだ! バカ!! 目を開けろ、ウィル!!」

 鳶色の瞳がレスターを見上げ、ウィリアムはうっすらと微笑んだ。
「泣か、ないで……ください……私は、嬉しいのです。生涯、ただ一人と、仰いだ主君……あなた様に捧げた、この命を……全うして死んでいける、ことが……」

「やめろ! ぼくはお前の主なんかじゃない!」
レスターは喉を詰まらせ、囁くような声で、懸命に言葉を紡いだ。
「兄弟だ……そうだろう? 本当の血を分けた兄上より、いつも……ずっとずっと近くにいてくれた……死ぬんじゃない、ぼくなんかのために……頼む、逝かないでくれ……」

「……ありがとう、ございま……あなたの、おそばに……とても、楽しかっ……」

 ウィリアムは微笑みを浮かべたまま目を閉じ、静かに息を引き取った。


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 どれほどの間、ただ無言で、彼の顔を見つめていたのか。
レスターにはわからなかった。

 気がつくと、白っぽい曇り空が見えた。
横を向けばウィリアムの安らかな寝顔がある。
仲良く並んで寝転んでいるのだった。

“まるで子供の頃と同じだな……”
疲れ切るまで剣の稽古をしたあと、よくこうやって二人で空を眺めたものだ。
 アドニアの空は青かった。
しかし今、空は白く、何か粉のようなものがレスターの顔に降りかかって来る。

“雪だ……!!”

 吐く息が白いのはわかる。
しかしレスターは寒さを感じなかった。
そればかりか、体中に受けているはずの傷の痛みさえ、今は感じない。
全ての感覚が麻痺しているようだった。

“ああ、いよいよぼくも終わりかなぁ……”
 レスターは目を閉じ、深く息をついた。

 アイリーンの顔、ギメリックの顔、そして懐かしいアドニアの思い出が、頭の中に次々と浮かんで来る。
 けれど不思議なことに、何の感情もわいては来ないのだった。
レスターはただ傍観者のまなざしで、それらが通り過ぎて行くのを見守った。

 やがて訪れた静寂の中で、レスターはつぶやいた。
“あの世ですぐに顔を合わせることになったら……ウィル、お前にまた散々、小言を言われそうだな……”
 色を失った唇に、微かに笑みが浮かぶ。
“ まぁ、それもいいか……”

 レスターの意識は、柔らかな闇の中に沈み込んでいった。
血まみれの身体を、粉雪が見る見るうちに覆っていく。

  辺りの惨状もまた、白一色に塗り替えられていった。
まるで、汚れを払う厳かな魔法のように……。


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