薄明宮の奪還 更新日:2012.11.18


第5部 エンドルーア

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 第2章

14.癒し手-2



 ルイザはアイリーンから顔を背けた。
彼女に握られていた右手をそっと引き抜きながら、低くつぶやく。
「“癒し手”とは皆、あなたのように、誰かれ構わず手を差し伸べるものなのでしょうか」
「え?」
「たとえ噛み付いてくると決まっているオオカミの子であっても? ……たぶん、そうなのでしょうね」

 ルイザは再びアイリーンを見返し、相変わらず酷薄そうに見える顔で薄く微笑んだ。その瞳は歳を取って白っぽくなっている。が、元は澄んだ紫であったことにアイリーンは気づいた。

 ルイザが続けて言う。
「だからこそ“癒し手”は希有な存在なのだと、今わかりました」
「癒し手……?」
初めて聞く言葉に、アイリーンが首を傾げると、ルイザは呆れたように言った。
「ご存じないのですか? 私の変身術と同じく、非常に稀な才です。他人の傷を癒したり、魔力を分けたりする術を使えるのは、癒し手の持ち主だけです」
「……」

 呪文さえ唱えれば誰でも出来ると思っていたアイリーンは、少し驚いた。
けれど、そう言えば……ギメリックは自分が出来ないからこそ、アイリーンに呪文を教えて彼女にティレルを助けさせたのだろう。でなければ自分でやっていたに違いない。

“ああ、……私はギメリックに魔力を分け与えて彼を目覚めさせた。そのことで、“癒し手”だと彼に知れたんだわ。でもソルグの村の人たちは、……いえ長老は、なぜ私があの術を使えると知っていたのかしら”

「同じ才を持つ者にはわかるのでしょう」
 びっくりして目を丸くするアイリーンに、ルイザは肩をすくめて小さく首を振ってみせた。
「失礼。でもあなたの心はまるで街中の広場のように開けっぴろげです。あなたがイメージした男の姿に見覚えがあるのですよ」
 アイリーンは増々驚いて、口を開けた。
「長老を知ってるの?」
「クーデターの際に迫害されて国を逃げ出した、庶民の男の一人ですね。そうですか、彼が長老に……」
 ルイザは遥か遠くを見つめるような眼差しになった。
「彼が最後の“癒し手”だったのです。エンドルーアから“癒し手”がいなくなって久しい……もうその術は絶えてしまったものと思っていました」

 つかの間、彼女は追憶の中にさまようかに見えた。
しかしすぐにテーブルの方へと戻って行き、お茶を入れ直しにかかった。彼女の背中を見つめたまま、突っ立ているアイリーンにキビキビと声をかける。
「さあ、お食事の続きをどうぞ」
「……」
 アイリーンはテーブルの側に座り、ルイザの手元を見つめた。
「痛くない?」
「……ええ。お陰さまで差し支えなく給仕が出来ます」
 アイリーンは嬉しくなって考えた。
“やっぱり、魔力があって良かった……”

 相変わらず筒抜けのアイリーンの心を感じ、ルイザはそっとため息を吐いた。
「あなた様なら……奇跡をおこして全ての人々を救うことが出来るかもしれませんね。ですが……申し訳ありません。私はやはり、ティレル様の命に背くことはできないのです」

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 ギメリックは呆然と、宮殿の前の庭園に立っていた。

  いや、そこはもはや、庭園と呼べるものではなくなっていた。どれほどの間、手入れをする者もないまま放っておかれたのか……。かつて美しく咲き競っていた花々は痕跡すらなく、固く凍った土の上にはまばらな雑草が風に揺れている。
 そして、その向こうに見える宮殿もまた、どんより曇った寒々しい空を背景に、人影もなくひっそりと佇んでいた。

 長い放浪の年月、ギメリックは何度、懐かしい薄明宮の姿を夢に見たことだろう。しかし、たとえどんな悪夢の舞台となっても、夢の中の薄明宮は昔と変わらず美しかった。それはおそらく、ギメリックがこのような事態を、予想することすら出来なかったからだ。

 脇に垂らされていただけのギメリックの手に、次第に力が入る。険しく眉がひそめられ、唇が引き結ばれた。トパーズの瞳に強い光を宿し、ギメリックは宮殿の中へと踏み込んで行った。

 もちろん、自分が去った後の詳しい事は知るはずもないので、どのような経過を辿ってこの状況になったのかはわからない。しかし今、ギメリックは感じていた。以前より遥かに強大になった魔物の存在を……。恐ろしい障気が宮殿を、街全体を包んでいるのがわかる。それが、今まで見て来たこの国の現状全てに影響しているに違いなかった。

 だが今は、魔物に関わっている暇はない。ギメリックは真っすぐに、向かって左側の夜の塔へと向かった。一刻も早く、魔力保持者が金属質の山に立ち入れる方法を探り出さなくてはならない。アイリーンや仲間を救い出すために……。


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 後ろに下がった拍子に何かにつまづいた。
もう足にも充分な力が入らず、踏ん張ることができない。
レスターはとっさに身体をひねった。
横ざまに倒れた彼の目の前に、仲間の死体が転がっていた。傭兵の一人だ。

 レスターは重い身体にむち打って何とか跳ね起きると、相変わらずニヤニヤしている敵を視野に捉えながら、辺りの様子をうかがった。
「ウィリアム……!!」
 仲間たちはすでにほとんどが死んで横たわっている。妖術により同士討ちをさせられた結果だった。
残っているのは二人だけ……そのうちの一人はウィリアムだ。
彼らは激しく切り結び、太刀を合わせては後ろに飛び下がる動きを繰り返していた。
「目を覚ませ! ……ウィリアム!!」

 必死になって叫び、彼に近寄ろうとするが、素早く敵が彼との間に現れて切り掛かってくるので、それもままならない。自分のことは諦めかけていたレスターだったが、これ以上仲間を犠牲にしたくはない……。
 そう思った矢先だった。切り合っていた二人が同時に倒れるのが目の端に映った。
「ウィリアム……!!」

 不意に、レスターは敵に対する身構えを解いて、ただ真っすぐにその場に立った。
こめかみの傷から流れて来る血のせいで、ほとんど見えない右目を閉じ、左目も閉じる。
そして俯いた彼を、暦司は赤く光る目でじっと見つめた。
抵抗する気力を失い、自らを仲間の所へと連れて行ってくれる刃を、進んで受けようとしているのだ。

 そう解釈した暦司は、望み通りにしてやろうと、最後の一撃を加えるために彼に近付いて行った。




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