薄明宮の奪還 更新日:2012.09.22


第5部 エンドルーア

<< 前へ 目次 次へ >>
 第2章

13.癒し手-1



“いや……うそよ!……いやぁぁっ!!”

「アイリーン様!」
「あ……」
 アイリーンが目を開けた。
額に玉のような汗が浮かび、目には涙があふれている。

「……失礼。ひどくうなされておいでだったので」
 ルイザの声はいつもと変わらず冷たい。
けれど悪夢を見ていたアイリーンを揺り起こしたのは、この老女だった。
半身を起こして部屋の隅をうかがい見ると、ティレルはやはり眠っている。

「ティレルは……目を覚ました?」
 期待を込めて尋ねてみたが、ルイザは相変わらず無表情に首を振る。
「いいえ」

 アイリーンはうなだれ、片手で顔を覆った。掌が涙で濡れ、夢を見ていたことを思い出す。しかし急に起こされたためか、夢の内容は覚えていなかった。
 ただ、非常に切迫した思いと、胸をえぐられるような悲しみが、鋭い刺のように心に突き立ったままだ。何か恐ろしいことが起ころうとしている予感に、アイリーンは身を震わせた。
“あぁ……こうしてはいられない! 早く、早く行かなくちゃ”

 アイリーンは顔を上げ、もう何十回目かも忘れた同じ言葉を繰り返した。
「お願い、私をここから出して!」
 ルイザはそれには応えず、支度を整えたテーブルを指し示す。
「……どうぞ。食事をなさってください」

 アイリーンは黙って立ち上がると、テーブルとルイザの横をすり抜け、ティレルのそばへ行った。そして彼の手を取り、魔力を分け与える呪文を唱え出す。
 しかしいくらも経たないうちに目眩がし始め、フラフラと彼の上に倒れ込んでしまった。

 ティレルの命令に忠実に、ルイザは決してこの隠れ家から出て行くことを許してくれない。死んでも阻止するという言葉が本気であることは、心を読まなくてもわかった。
 一か八かで戦って、怪我をさせずに彼女の力を押さえ込むことが出来たとしても、自分の魔力はひどく消耗させられるだろう。そんな状態で結界から出て、平気でいられるとはとても思えない。山に含まれる金属質のためにさらに魔力を奪われ、その上で暦司に遭遇したのでは……皆を助けるどころか、生きて会うことさえ、かなわないかも知れない。

 だからアイリーンは、ティレルを起こして彼を説得するしかないと思った。そして彼が少しでも早く目覚めるように、自分の魔力を分け与えようとした。
 しかし彼女も先の暦司との戦いで、魔力をかなり失っていたため、一回目は無理をしすぎて、途中で気を失ってしまったのだ。

「……私、どのぐらい眠っていたの?」
かろうじて自力で身を起こしながらアイリーンが尋ねる。
「さあ……五、六刻ほどでしょうか」

 アイリーンは深いため息をついた。ティレルと自分に十分なほど魔力を回復させるには、いったいどれぐらい眠らなければならないのだろうか。
 魔力の使い方を習い始めた頃は、力を自在に操れるようになれば、何でも思い通りになるような気がしていたが……これほどまでに魔力の状態が体調に影響し、しかも金属という弱点までついてくるのでは、メリットよりもむしろデメリットの方が多いのではないかと思ってしまう。エンドルーアの貴族たちが、魔力のことを極力、秘密にしようとした訳がわかる気がした。

「食事を摂ることも大切ですよ。さあ、どうぞ」
 アイリーンの思いを見透かし、ルイザがまた勧めてきた。仕方なく、アイリーンはノロノロと移動して、ルイザとテーブルのそばに座った。

 岩城の地下だというこの洞窟の部屋は、あまり広くはないがそれなりに居心地良く整えられている。部屋の両隅に棚のようになった岩があって、ティレルとアイリーンはそれぞれそこに寝かされていた。2、3歩で部屋の中央に置かれたテーブルに行き着く。低いテーブルで、床に敷かれたカーペットの上に直接座ってちょうどいい高さだ。
 寝棚があるのとは別の壁の一方は、天井まである岩の切れ目によって、天然の通路となっている。少し下りになったその先に、地下水の流れる細長く大きな、別の洞窟があった。

 部屋に開いている入り口はそこだけだから、外に出られるとすれば、その大きな洞窟に繋がって道があるはず。そう思って、アイリーンはルイザの目を盗んで何度か遠くまで行ってみようとした。が、その度に見つかって渋々引き返した。

“……命がけでティレルの指示に従うだなんて……”
 アイリーンは沈んだ気持ちで、お茶を入れてくれているルイザをぼんやりと眺め、ポツリと、つぶやくように尋ねた。
「彼はそんなに怖い人?」

 ルイザ自身は、アイリーンが死のうが生きようが興味はないのは明らかだ。だから、たとえ殺されてもアイリーンを阻止しようとするのは、ティレルの命令に背けば死ぬより酷い仕打ちを受けるからなのか、と思ったのだ。

 ルイザは表情も変えず、素っ気なく言った。
「主人の命に従うのは、召使いとして当然のことです。たとえそれがどのようなものであっても」

 アイリーンはハッとして、老女の顔を改めて眺めた。ずっとティレルの側にいたのなら……彼がしてきた残酷な所行の数々を、否応なく見てきたのだろうか。そして時には、命じられてその手伝いをすることも、あったのだろうか……。もしそうなら、とても普通の神経ではもたないだろう。冷たく心を閉ざしているのは、自己防衛なのかも知れない……。

 アイリーンは彼女を痛ましく感じ、思わず彼女の手を握った。
「……!!」
 ルイザが一瞬、ひどい苦痛に見舞われた表情をしたので、アイリーンは驚いた。そして不審に思って魔力で探りを入れ、さらに驚く。
「ルイザ!! 手首を……怪我してるのね? お、折れてるんじゃ……?」

 ルイザは右手首をかばいながらサッと立ち上がり、一歩後ろへ下がって警戒するようにアイリーンを睨んだ。
「これぐらい何でもありません」
 アイリーンも立ち上がって叫ぶ。
「何言ってるの! 早く手当てしないと! ……どうして……」

 尋ねかけて、気がついた。弱みを見せればアイリーンがそこを突いて、自分を倒して出て行くと考えたのだろう。きっと今まで、目くらましを使ってアイリーンの目をごまかしていたに違いない。

 アイリーンは心を込めて懇願した。
「私に手当てさせて、お願いよ」
「かまわないでください」
 老女の頑な心はアイリーンの本心を読もうとしない。いや、基本的には王族であるアイリーンの方が魔力は強いので、いくらでも偽りの心を表して見せられると疑っているのだ、とアイリーンは思った。

 いら立ちと怒りが、極限にまで減っていたアイリーンの魔力を増幅した。唐突に自分の中に満ちてきた力を使って、ルイザの身体をしばり、動けなくする。
 そうしてルイザに近寄ると、傷ついた右手をそっと両手で包み、目を閉じて癒しの呪文を唱え始めた。

 しばらく懸命に呪文を唱えると、額に汗が浮かんできた。アイリーンは一息ついて、少しの間、黙ってルイザの手に視線を落としていた。
「……暦司に追われて墜落したときに怪我したのね。こんな手で……私達を運んでくれたの?」
ルイザがバカにしたように鼻を鳴らす。
「変身すると手は翼になるのです。あなた方を掴んだのは足ですよ」
「あ、そう……」
アイリーンは自分の無知が恥ずかしくて少し顔を赤らめた。
「それじゃあ怪我した翼でここまで飛んで来て……痛かったでしょう?」
「……」

 ルイザは老女にしては背が高かった。ちょうど目の高さにアイリーンの、日の光を紡いだような金の髪がある。すぐ側でうつむいているので、彼女の表情はよく見えなかった。が、もちろん魔力によってその心を感じることは出来る。

 ルイザには不思議で仕方なかった。魔力保持者は近くに同類がいる時は、常に心に障壁を立てて防御を張る。気分の変化までは隠しきれないのが普通だが、同程度のレベルの魔力保持者の間では、心の表層に浮かぶ言葉が筒抜けになることは、まずなかった。
 しかしアイリーンの場合、その防御の姿勢が全く感じられない。川底の石までが透けて見える澄んだ水の流れのように、心の奥にもその表層にも、障壁らしきものは存在しなかった。

 彼女が育ったのは他に一人も魔力を持つ者がいないアドニアだ。エンドルーアの魔力保持者が子供の頃から訓練を受けるのに対し、彼女がつい最近まで、自分が魔力を持つことさえ知らずにいた影響があることは間違いない。だがそれにしても、ここまで魔力を使いこなせる今になっても、心を閉ざそうとしない彼女が、ルイザには理解できなかった。

  まして自分とは利害が対立しているのだ。始めは、巧みに偽りの心を見せられているのかと思って警戒していた。だから弱みを見せないよう、怪我を隠し通そうとした。しかしアイリーンが他人の痛みに自分も心を痛め、無心に癒しの呪文を唱えている姿を見て思い出す。他愛もないことを含めて彼女の想いはいつも、口にする言葉通りであったと。

 アイリーンが再び呪文を唱え出した。ルイザは、手首の痛みが薄らいでいくのと同時に、一時的に増えた彼女の魔力が、徐々に底をつきかけていると感じた。
「……こんなことに魔力を使ってしまって良いのですか? 守りたいと思う大切な人たちがいるのでしょう?」

 アイリーンは集中を切らさず呪文を唱え続けたが、ルイザの動きを封じ込めていた力がフッと消え去った。ルイザにもう拒む気がないことを知ったためであり、余計なことに魔力を裂く余裕もなくなったからだろう。
 やがて彼女は呪文を唱え終わると大きく肩で息をした。顔を上げ、紫の瞳で、ルイザの目を覗き込む。

「……遠くにいる人は、今はまだ、助けられない……。不確かな未来のために力を取っておくよりも、目の前で苦しんでいる人のために力を尽くしたいと思うのは、そんなにおかしなこと?」



▲ページTOPへ
<< 前へ 目次 次へ >>
inserted by FC2 system