薄明宮の奪還 更新日:2012.04.12


第5部 エンドルーア

<< 前へ 目次 次へ >>
 第2章

10.遭遇-1



「ヘックション!!」
「うぅ…なんてぇ寒さだぃ」
 レスターの後ろを歩く傭兵が、たまりかねたようにうめき声を上げた。
前を行くウィリアムが足を止め、振り返ってレスターに言う。
「全く、この程度の山で、昼間からこの寒さは異常ですね。いったいエンドルーアの気候はどうなっているんでしょう?」

 レスターとウィリアム、そして5人の傭兵たちは、山頂へと続く尾根のすぐ下を、一列になって進んでいた。道無き道は急な斜面で足場が悪く、先頭のウィリアムが立ち止まると、皆がそれにならって止まらざるを得ない。足もとに集中して黙々と歩いて来た一行は、立ったまま一息つく格好になった。

「さてねぇ……」
 レスターは一言つぶやいて、目前に迫った山の頂を仰ぎ見た。張りつめた空気の冷たさで、吐く息も白い。

 早朝、ギメリックたちと別れてから、一日半が経っていた。
一つ尾根を超えると、その後ろに控えていたもう一つの尾根が現れ、今ようやく、この辺りの山岳地帯で最も高いと思われる、その頂点に近づいている。
 たどり着いた尾根の向こう側には、中腹から山裾へ、そしてその遥か先へと、針葉樹の森が広がっていた。もはや危険な岩場ばかりのリムウル側の斜面を避け、彼らはその森のあるエンドルーア側に足を踏み入れている。

 休息のため立ち止まるたび、急激に気温が下がっていることに、彼らは嫌でも気がついた。何しろ、真夏のこの時期の、ごく一般的な装備しか身につけていないのだ。体を動かしている間はマシだったが、止まるとすぐに体が冷えてくる。おかげで昨夜は、もし敵がいれば見つかるに違いない危険を冒して、火を焚いて暖を取るしかなかった。

 しかし途中、敵の痕跡は何一つなく、アイリーンがここを通った気配も、やはり見つからないままだ。

「……とにかく、山頂までは行ってみよう。その後、できれば森を調べてみたいけど……この寒さではね。強行軍で山を降りるしかないだろうな」
 いかにも残念だったが、レスターは諦めるしかないと考えていた。この寒さで悪天候にでも見舞われれば、下手をすると遭難する恐れさえある。自分一人ならともかく、皆の命を無意味に危険に晒すわけにはいかない……。

 レスターがウィリアムを促し、一行は再び歩き出した。

 しばらくすると、どこからともなく、ドーンという太鼓のような音が響いて来た。
同時に、微かに足もとの岩が振動する。
「なっ、何だ?!」
 戦場ではひるんだことのない傭兵たちだが、慣れない不安定な土地での異変に動揺し、周囲を見回した。

 そうするうちにも、続けて何度か同じような音と振動がやってくる。
「地震……?にしては、どうも様子が変だな」
 レスターは眉をひそめ、足場の右側にそびえる斜面に耳をつけて、地中の音を探ってみようとした。

 その時、傭兵たちの一人が空を指差して叫んだ。
「あれは?!」
皆が一斉に見上げたその先に、巨大な黒い鳥が2羽、追いつ追われつしながら遠ざかって行く。

「あっ……レスター様!!」
 即座に、斜面を滑り降りるようにして森の方へと下り始めたレスターを、慌ててウィリアムが追いかけた。傭兵たちもそれに続く。

「レスター様!! 危ない、ちゃんと足もとを見て……!!」
 一刻も早く鳥たちに近づこうと、レスターはほとんど顔を上げたまま突進した。しかし鳥たちはまるで滅茶苦茶に飛んでいるようで、見ている間にも次々と向かう方角を変える。
 冷静に考えれば、しばらく様子を見守り、彼らの行く先が定まってから行動した方が賢明だとわかったはずだ。普段のレスターなら、間違いなくそうしただろう。しかし……。

 闇雲に突き進んだレスターは、森に近づき過ぎた。重く垂れ込めた樹木の枝葉が視界を遮り、ついに鳥たちを見失ってしまった。
「くそ……っ!!」
 ウィリアムが追いついた時、レスターは森の手前で空を見上げ、焦燥を滲ませた表情で唇をかんでいた。彼が妹姫を想う気持ちは痛いほど伝わって来る。しかしウィリアムにとっては、大切な主君を恐ろしい魔物から遠ざけたい気持ちの方が強かった。
「レスター様。お約束ですよ、すぐに山を下りましょう」

 一瞬、レスターは彼を睨みつけ、今にも怒鳴り出しそうに見えた。が、続いて追いついて来た傭兵たちの姿を見て口をつぐむ。そして固い表情のまま、しばらくじっと動かなかった。
 普段ひょうひょうとしているようで、実はめったに自分の考えや感情を人に悟らせないレスターが、これほどまでに感情をあからさまにするのは珍しい。傭兵たちにとっては初めてと言ってよかった。
 傭兵部隊にいた時、レスターの副官だった男が口を開いた。
「隊長、やつらを探しましょう」
他の男たちも次々と言った。
「ああ。俺らは傭兵になった時から、命なんか捨ててる。ホントにおっ死んじまっても、家族にたんまり補償金が入るようになってんだ」
「おうよ。だから遠慮はいらねぇぜ」
「さぁ、命令してくれ」
「隊長」

 むろん、傭兵とはそういうものだと、レスターも知っている。仕事にあぶれた者、貧しい家族の糧が必要な者、あるいは戦いの場にのみ、自らの存在価値を見出す者。言わば彼らは契約により、金で命を売ったのだ。
 しかし、その代わり、国家や主君への忠誠などというしがらみにも縛られない。本来なら、勝ち目のない戦いにはサッサと見切りをつけるのが、彼らの処世術だ。だからこの申し出は、純粋にレスターへの好意と忠誠の現れだった。
 レスターは彼らの気持ちをありがたく思った。しかし、だからなおさら、無謀な戦いに彼らを巻き込むことはできない。第一、自分にそんな権利はない……彼らを雇っているのはリムウルなのだ。

 レスターはうつむいて、彼らに頭を下げるように一つうなずいた。
そして苦しげな笑みを浮かべた顔を上げると、山を下りるために歩き出した。
「僕はもう隊長じゃないよ……。行こう、一刻も早くギメリックに、このことを知らせないとね」



▲ページTOPへ
<< 前へ 目次 次へ >>
inserted by FC2 system