薄明宮の奪還 更新日:2010.09.20


第5部 エンドルーア

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 第2章

5.揺れ惑う心-2



 アイリーンはハッとして目を見開いた。
“あ……夢……?”
夢のようだったけれど、いつものように、ただの夢ではない……きっとあれは、本当にティレルが会いに来てくれたのだ……。
「……ティレル……」
半透明になっていた彼の姿を思い出し、目の奥に涙が湧きあがってくる。

けれど今は泣いている場合ではない。
アイリーンは強く自分にそう言い聞かせ、辺りの様子をうかがった。

 一人でベッドに寝かされていて、部屋の中には誰の気配もしない。窓を見るとまだ明るかったが、気を失ってから、どのぐらい経つのかは判らなかった。

 窓枠の上の台座に水晶球があるのを見て、アイリーンはそちらに向かって手を伸ばした。すると球は彼女の魔力に反応して飛んで来た。
“良かった……まだ力が使える……”
水晶球を手に取り、ホッとしながら思う。つまり、まだ“儀式”は行われていないということだ。

 自分が魔力を失えば、石を持っているギメリックが、この世で最強の魔力保持者になる……ティレルも、クレイヴさえも勝ち目がないほどの。夢の中で彼も言っていたように、ティレルはそのことに気付いたのだろう。
“だから先にギメリックを殺す?……ダメよ、何とかしなくちゃ!!”

 体を起こしてみると、覚えている時のままの下着姿だった。飲まされた薬が効いたのか、魔力も体力も随分回復している気がする。

 すぐそばのテーブルにドレスが置いてあったので、手を伸ばしたとき。
物音がして、アイリーンはそちらを振り返った。そして、びっくりしてポカンと口を開けてしまった。
 今まで、岩の壁でしかないと思っていた所に裂け目ができ、みるみる広がって行く。亀裂はまるでドアのような四角形を描いて止まった。

 そのまま何も起こらないので、アイリーンは急いでドレスを着てそこへ行ってみた。するとそれを待っていたかのように、亀裂の内側の岩が音も立てずに消え失せた。現れた暗いトンネルから、冷え冷えとした風が吹き込んで来る。
 アイリーンはブルッと一つ身体を震わせ、肩をすくめた。どうやらトンネルの向こうは、薄いドレス姿では寒すぎるように思えた。

 けれど彼女は顎を上げ、決然とした表情を浮かべて中に踏み込もうとし……しかし一歩目の足を降ろそうとして、廊下に出た時の激しい痛みを思い出してしまった。
 思わず足を引っ込めて躊躇していると、頭の中にティレルの声が響いて来た。

“そこにも結界が張ってある、大丈夫だから入っておいで”
“やっぱり……ティレル、あなただったのね”
“ふふ……助けじゃなくて残念だったね。リムウル側からここへは、途中までしか馬は使えない。オーエンからは最低でも一週間はかかるだろう。まぁ、来れたとしての話だけど?”

 ティレルの声を聞きながらトンネルを進むと、すぐに隣の部屋に出た。床や壁が岩なのは元いた部屋と同じだが、ずっと広くて天井も高い。岩壁を削って作られた大きな窓からは、淡い紫に染まった空が、所々、夕焼けの光に照らされているのが見えた。

 部屋は面積で言うとオーエンの大広間ほどもあったが、妙に細長い。まるで広い廊下のようだ。おそらく山頂近くの峰に沿って、岩をくりぬいてあるからだろう。

 ティレルは部屋の奥のテーブルの向こうに、壁を背にして座っていた。傍らにはルイザと呼ばれた老婆が立って控えている。

 アイリーンはそちらに近づいて行きながらも、窓の外の景色に目を奪われた。岩肌が露出しているのは山の頂き部分だけらしく、黒々とした針葉樹の森が中腹から山裾にかけて広がっていた。森は弱い光の中で霞んで見えるほど遠くまで続いていて、点在する銀色の楕円形は……おそらく湖だ。
 森の果てには薄曇りの空を背景に、別の山脈が連なっている。雲の切れ間から、沈み行こうとするオレンジ色の太陽が鈍く光っていた。

「エンドルーア……」
 森と湖の国、とも聞かされていた母の故郷。もしかしたら一生、目にすることもないだろうと、憧れだけを抱いていた遠い遠い北の国……。
“とうとう来たんだわ……こんなに遠くまで……”
捕われて連れてこられたとは言え、その感慨はアイリーンの心を大きく揺さぶっていた。



 窓の側に立ち止まってしまったアイリーンに、ティレルはゆっくりと近づいた。初めて見るエンドルーアの姿に心を奪われた様子で、その横顔は一心に外に向けられている。  
 透き通るように白い肌が寒さのため赤らんで、薄く開いた唇から、白い息が漏れていた。夜会用のドレスは襟ぐりも大きく開いていて、いかにも寒そうだ。

 吹き込んで来た風にあおられ、柔らかな輝きを放つ金髪がふわりと揺れる。吹き戻しの風に、顔に乱れかかった髪を彼女が押さえた。

 ティレルはその手を掴み、もう一方の手で素早く彼女を後ろから抱きすくめた。気配を消して近づいたため、全く気付いていなかったらしいアイリーンがハッと息をのむ。体を固く強張らせた彼女の耳元で、ティレルはささやいた。
「ここは寒いだろう? こんなに冷えているじゃないか……」


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