薄明宮の奪還 更新日:2009.08.13


第5部 エンドルーア

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 第1章

2.山頂の岩城-2



黒竜、赤竜、青竜と 数在る竜の種の中で
我ら光の一族と 友愛で結ばれたるホワイトドラゴン

受け継がれてきた古き血の 滅び行かんとするその末裔
リーラニールの顎に守られて 白の王女は難を逃れぬ……


 誰かが歌っている。高く、細い女性の声。
“この懐かしいメロディは……”

 アイリーンの意識が歌に集中すると、彼女の脳裏に、ある光景が見えてきた。
金の髪と銀の髪の幼子が眠るゆりかごを、一人の女性が屈み込むようにしてのぞき込んでいる。歌っているのは彼女だった。美しい金の髪を長く伸ばし、ほっそりとしたその姿を見て、アイリーンは心の中で叫んだ。
“お母様……!”

 しかし彼女には聞こえないらしい。
アイリーンには、悲しみに沈む彼女の表情まで、手に取るようにわかった。伏した紫の目に涙が溜まり、長いまつげの先から、今にもこぼれ落ちそうだ。彼女が見つめる先の子供たちは、安らかな表情でスヤスヤと眠っている……。


 突然、唇に、柔らかく暖かいものが押し付けられるのを感じ、アイリーンは目覚めた。口の中いっぱいに、もうすっかり覚えてしまった薬草の味が広がっていく。
 しかしそんなことより問題なのは、目の前でアップになっているティレルの顔だった。アイリーンは反射的に身をよじって、彼から逃れようとした。しかし意外なほど強い力で締めつけて来る腕は、アイリーンを放そうとしない。そればかりか、まるで彼女の抵抗を楽しむように、口づけはますます深くなっていく。

“……ティレル! やめて!”
 アイリーンは目を閉じて心話で叫んだ。ティレルに抱き上げられてから、ほんのわずかの間だけ気を失っていたらしい。部屋の中の、ベッドの上に戻されていた。まだ体のあちこちに、先ほどの名残の痛みが残っている。まるで吸い取られてしまったかのように、全く力が入らなかった。

 ティレルに唇を解放されても、アイリーンはぐったりと彼に抱かれたまま、為す術もなかった。うすく目を開けると、青く澄んだ瞳が、不思議な表情をたたえて自分を見下ろしている。そこに現れている、悲しくなるほど強い切望に胸を締め付けられ、アイリーンは苦しい息の合間にそっと彼の名を呼んだ。
「……ティレル?」

 すると、ティレルの表情がみるみるうちに変化し、口元に冷たい微笑みが浮かんだ。
「随分と参ってしまったようだね。あの戦いで無茶をして、まだ充分回復していなかったのかい?」
クックッと楽しそうに笑う彼の顔を、アイリーンはぼんやりと見つめた。さっきの表情は、気のせいだったのだろうか?

「……あなたこそ、傷はもういいの?」
彼女の問いかけに、ティレルは一瞬、驚いたように目を見張った。そして破顔した。
「ああ。残念だったね、もうすっかり元通りさ。だから言っただろう、“私を殺さなかったことを後悔する”と」

「後悔なんか、しないわ」
アイリーンはキッパリと言った。
 罪人である彼に、それでも生きていて欲しいと願った自分の責任を、改めて噛み締める。さっきまではただ、逃げることしか考えていなかった。けれど……。目の前のティレルの笑顔の中に、かつて自分が愛した彼の面影が宿っていると信じたかった。そこに一縷の希望を託し、彼の説得を試みることこそ、今、自分がやるべきことではないのか。

 ティレルはたじろいだように口をつぐんだ。けれどすぐに、再び笑顔になって言った。
「……では、これからたっぷり後悔することになる。私がどんなに残酷になれるか、教えてあげよう……」
 凄みを増したティレルの笑顔が迫って来て、アイリーンは思わず顔を背けた。相変わらず、体は思うように動かない。ほんのしばらく間が空いたかと思うと顎をすくわれ、再び塞がれた口に、薬が流し込まれる。魔力と体力の回復のため必要なものと知っているので、とにかくアイリーンはそれを飲み下した。しかし薬がなくなってしまっても、ティレルは口づけをやめようとしなかった。

“やめて、……やめてよ!”
 心話で叫ぶアイリーンにおかまいなしに、ティレルは彼女の背中に手を回し、ドレスのボタンを外しにかかった。アイリーンは戸惑いを通り越して恐怖を感じ始めた。いったい彼は何をするつもりなのだろう?

“せめて、体が自由に動いたら……”
 アイリーンには未だに、何が自分の力を奪い取ってしまったのか、よくわからなかった。

  彼女の疑問が伝わったのだろう。ティレルはほとんど唇を触れ合わせたまま、囁くように尋ねた。
「知りたい?」
アイリーンは息を弾ませながら言った。
「私に、何をしたの?」
「なんにも」
「とぼけないで!」
 こんな状況でさえなかったら、慈愛に満ちていると錯覚してしまいそうなほど、美しく優しげな彼の笑顔をアイリーンは睨みつけた。

「別に、嘘は言っていない。ただね、ここは特別な場所なんだ」

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