薄明宮の奪還 更新日:2009.06.30


5部 エンドルーア

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 第1

1.山頂の岩城-1



 ……奇妙だ。まるで、長い夢を見ていたような気がする。
私は女を犯し、切り刻んで殺した。 何人も何人も、数えきれないぐらい。もしもその気になれば、平気で同じことができるだろう。
 だが、その自分を嫌悪しつつ眺めていた記憶も、同時に私の中に在るのだ……。

 ティレルは手にしたティーカップの中の、琥珀色の表面に映る自分の姿を見つめていた。長く真っすぐな銀の髪。氷のような青い瞳。ここでは姿を偽る必要はない。古くからクレイヴに、そして自分に仕えてきた、限られたごくわずかの者たちだけが働いているからだ。

 ティレルは記憶の底から揺らめきつつ浮かび上がってきた、陰惨な光景に目をこらした。快楽と愉悦、悲鳴、哀願、そして血と肉の塊。女たちはひとときの余興の相手として自分を楽しませてくれたが、どれもみな同じだった。

 だが、あの女は違う。あの女……いや、私の、血を分けた妹だ。
“アイリーン”
その名を呼ぶ度、わき起って来る胸のうずきに、ティレルは顔をしかめた。

 扉にノックの音がした。
「ティレル様。姫君がお目覚めになりました」
「そうか。今行く」
ティレルはカップをソーサーに戻して、立ち上がった。





 目覚めたアイリーンはしばらくぼんやりしていたが、自分をのぞき込む無表情な老婆の顔を見てハッと目を見張った。
「誰っ?」
問いかけに何の反応も見せず、老婆は背を向けて歩み去って行く。アイリーンはベッドから身を起こし、回りを見回した。

 天井の低い、狭い部屋だった。壁も天井も床も、一続きの岩石のように見える。まるで大きな岩の中をくりぬいて、作った部屋のようだ。小さいながらも、窓がある。それを見てアイリーンはまたハッとした。
“夜が明けている! だったら……魔力が戻っているはず……”

 昨夜は逃げようにも、満月だったから魔力が使えなかった。ティレルはきっと、それを見計らって自分をさらいに来たのだ。この秘密を知っていたのは、幼い頃から自分に会いに来てくれていたあのティレルだけのはず。もちろん、自分たちが双子だということも……。
“ああ、それなのに……”

  自分を見下ろしていた昨夜のティレルの、あの表情……。そして「世界を手に入れる」と言ったティレルの言葉で、アイリーンは確信したのだ。
 二人のティレルが、融合してしまったということを。いや、今のティレルの言動からすると、むしろ自分の知っていたティレルは、もう片方のティレルに吸収され、消滅してしまったと言えるのではないか……。
 ティレルが伝えて来た最後のメッセージを、アイリーンは覚えていた。おそらく彼は、死力を尽くして戦ったに違いない。そして、敗れたのだ……。

 そう思うと悲しくてたまらず、昨夜は、ただ泣くことしかできなかった。皮肉にもティレルに抱きしめられながら、彼の死を悼んで、泣き続けた。
 ……でも、いつの間に眠ってしまったのだろう? ここに着いたときの記憶が全くない。

「とにかく、逃げなくちゃ……今頃ギメリックたちが心配してるわ」
アイリーンは勢い良くベッドから降りて、置いてあった室内履きに足を突っ込んだ。部屋の出入り口は先ほど老婆が出て行った扉だけだ。そちらに向かいながら、アイリーンは魔力で回りをさぐってみようとした。
“えっ? 何……?”

 どうしたことだろう。全く魔力が効かない。自分の中に魔力は感じるのだが、その力が周囲に全く影響を及ぼせない、という感じだった。首をひねりつつ扉に手をかける。鍵がかけてあるかと思ったのに、扉はすんなりと開いた。狭い廊下の床や壁、天井は、やはり一続きの岩だった。

 誰もいない、と見てアイリーンは一歩踏み出した。
「きゃあぁっ!!」
あまりの衝撃に目の前が真っ暗になり、気がつくと彼女は、床に倒れ伏していた。
「う……」
体中を鋭い痛みが駆け巡る。手足が痺れて、麻痺したように動かない。食いしばった唇からうめき声が漏れ、泣くつもりはないのに、目から涙があふれ出た。できるのは浅く息をすることだけで、ただ痛みに耐えることしか考えられない。

「おやおや。可哀想に。ルイザから、部屋の外に出ないように言われなかったのかい?」
声からティレルだとわかったが、アイリーンはそちらを見ることも出来なかった。
「言ってもどうせ、無駄でございましたでしょう」
冷たい声はあの老婆のものだろう。
「まぁ、一度経験しておくのもいいもんだよ。これに懲りて、二度と逃げ出そうなんて思わなくなるだろうから」

 ふいに体が浮き上がったと思うと、アイリーンはティレルの腕の中に抱かれていた。
「良かったねぇ、すぐに見つけてもらって。どんなに意志の固い男でも、この痛みに1日も晒されると、自ら舌を噛み切って自害すると言うからね」
 ティレルはさも楽しげに微笑んで言った。
「さぁ、部屋へお戻りください、姫君。……いや、愛しい、私の妹よ」


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