薄明宮の奪還 更新日:2008.12.30
(2009.01.05加筆)


4部 リムウル〜エンドルーア

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 第4

9.月影-1



 昼間、ダンスの特訓をした館の屋上に、今は月の光が明るく降り注いでいる。
レスターは一人、胸壁に寄りかかり、愁いを帯びた瞳で眼下を見下ろしながら低くつぶやいていた。
「……罪深いかがやきの色をひろげるよりは、喜んでわたくしは絶望を慕いもとめよう……君の眼の、鳩のような和らぎの色を乱したとして、傷ついたこの心が静まることがあろうか……(※)」

 手に持ったワインの瓶を高く掲げ、酒をあおる。その拍子に足下がふらついて、彼はズルズルとその場に座り込んだ。
「んん……っと……ここまで飲んだのは久しぶり……でもさ、今夜くらいは深酒したって……許されるよなぁ?」
酒瓶に向かって問いかけ、うんうんと自分でうなずく。
「……あ〜あ。何だか自分が不憫に思えてきた。こんな気分は生まれて初めてだ……」

 東屋で何曲か竪琴を弾いた後、レスターは女性たちを適当にまいてしまった。その後、顔を出したのは、古巣と言える軍の傭兵部隊だった。
 元、レスターの部下たちは喜んで彼を迎えた。彼が携えて行った上物の酒ですっかりテンションが上がった彼らと共に、しばしドンチャン騒ぎの中に身を置いたレスターだったが……。どうにも、心から楽しめないでいる自分をもてあまし、そっと抜け出してここへやって来たのだ。

 落ち込みの原因は、もちろんわかっている。ギメリックとアイリーンがお互いの想いを通わせ相思相愛の仲になるようにと、自分でお膳立てしたくせに……やはりどこか気に入らないのだ。

 姉とのことは、気持ちの上では、他の女性たちと何ら変わりはなかった。誘われたから応じた、ただそれだけのことだ。しかし相手がアイリーンとなると……どうしてこうも妙な気分になってしまうのか。実の妹だというのに……。

 レスターは自分でも自分の気持ちがよくわからず、いつものように考えるのをやめようとした。
 他人に対しては鋭い洞察力を発揮する彼だったが、自分のこととなると、深く考えるのは苦手だった。

 昼間の暑さをぬぐい去る涼風が、ゆるく頬をなでて行く。穏やかな眠りの中へと引き込まれていくのを感じながら、彼は目を閉じてつぶやいた。
「仕方ないじゃないか……彼女はあいつを愛しているんだし。ぼくは、彼女に借りを返している最中だ。そう……前世からの借りをね……」

“前世からの借り?……? 何を言っているんだろうな、ぼくは……”
自分で自分の言葉にギョッとして、レスターは目を開けた。

 その時、煌煌と辺りを照らしていた光が一瞬だけ、ゆらぐように陰った。月の表を雲が横切ったにしては短すぎる間だった。
“……?”
空を見上げたレスターの上に覆いかぶさるように、今度は明らかな人影が落ちて来た。



※ 新潮文庫『バイロン詩集』「M・S・Gに」より抜粋



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 アイリーンはベッドの上に半身を起こしたまま、ぼうっとしていた。ちゃんと休んでおくように、と言いおいてギメリックは宴に戻って行ったのだが……。横になると、彼から受けた熱い口づけや抱擁の感覚が思い出され、恥ずかしくなってすぐに飛び起きてしまう。とても眠れそうにないのだ。

 頭の中で繰り返し繰り返し、宴から先ほどまでの彼とのやり取りを反芻している自分に気がつき、アイリーンは火照った頬を両手で押さえてつぶやいた。
「いやだわ……何してるのかしら、私……」

 予想外の彼のプロポーズの言葉や優しい仕草が、信じられないぐらい、嬉しくて……幸せだった。けれど、考えなければいけないこと、気がかりなこともたくさんある。

 これからの戦いのこと、エンドルーアの未来のこと。ティレルと自分の出生の秘密……。ヴァイオレットの真意について……。

 ギメリックは随分と彼女の意志を気にしていた、と、改めてアイリーンは思い返した。彼がかたくなに王になることを拒んだ理由が、アイリーンにもやっとわかった。ヴァイオレットは本当に、ギメリックがそう思っているように、彼ではなく自分をエンドルーアの王にと望んだのだろうか?

“ヴァイオレット……”
 彼女はアイリーンの古い記憶の中で、常に冷静沈着で毅然としており、時に冷徹に思えるほど自分の職務に忠実だった。

“でも……包み隠された芯の部分では、情愛の豊かな人だったと思う……私にも、無理に厳しくしていたようなところがあったもの……”

 アイリーンは思い切って足をベッドからおろし、室内履きに滑り込ませた。腰掛けたまま、サイドテーブルに置かれた、髪を飾っていたバラの花をぼんやり眺める。そして、遠い記憶に思いをめぐらせた。はっきり意識して前世のことを考えるのはこれが初めてだった。



 今から400年ほど前、不幸な偶然が重なり、魔力保持者の秘密が隣国に知られてしまったことがある。何年もかけて周到に準備を進めたその国が、ついにエンドルーアを襲撃してきた時、先頭に立って戦ったヴァイオレットは真っ先に敵の捕虜になってしまった。

 そしてその時、まだ産まれて間もない赤子だった、たった一人の王女……それがアイリーンの前世の姿だった。後に「白の王女」と呼ばれた彼女は、当時、城の中で空飛ぶ乗り物として、そして利口なペットとして飼われていた白竜の口の中に隠され、城を逃れた。しかしその戦いで、彼女の両親であるエンドルーア王夫妻も、その他の王族もことごとく命を落としてしまった。

 現在のソルグの村にある、洞窟にたどり着いた白竜は、そこで王女が10歳になるまで、彼女を育てた。そして……寿命により竜が死んだ時、敵の手から逃れて彼女を捜していたヴァイオレットに、王女は見出された。その後ヴァイオレットに教育され、16歳になった白の王女は、エンドルーア再興のために彼女と共に戦ったのだ。



“ヴァイオレットは私が「白の王女」の生まれ変わりだと知っていたのかしら……? だから私に石を託したの……?”

 アイリーンは目を閉じ、過去を旅した際、ほんのひととき再会を果たした彼女の面影を瞼の裏に思い浮べた。

“もう一度、今度は自分の意志で、会いに行けたらいいのに……そうしたらきっと、色々な謎が明らかになるのに……”

 そう思うのだが、あれは半死半生の状態だったからできたことだと、今のアイリーンにはわかっていた。過去を旅する術など、誰も知りはしない。おそらくあの時、ヴァイオレットの手助けがなければ、自分の魂は二度と肉体に帰れなかっただろう。

“では、自分の記憶を探ってみるのは? 小さい頃、石を手渡された時のことを思い出せたら……”

 アイリーンはヴァイオレットによって封じられたその記憶を、心の中に深く潜って探ってみようとした。そして、魔力が全く使えないことにびっくりした。

“えっ……?”

 一瞬、まだ“儀式”も行なっていないのに魔力を失ってしまったのかと思い、ドキリとしたが、すぐに思い出した。

「あ、……そうだった。今日は満月……」

 気づいてみると部屋の中はすっかり暗くなり、窓から斜めに差し込んだ月の光が、床の一部を白銀の光の池に変えていた。

と、その光がさっと暗くなり、すぐに戻った。

“何かしら……?”

 そう思った時、背後でコトリと音がした。ハッとして振り返った彼女は、部屋からバルコニーに通じる扉が開け放たれているのを見た。

そしてそこには、黒いシルエットとなった人影が立っていた。



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