薄明宮の奪還 更新日:2008.09.24
(10.19 加筆)


第4部 リムウル〜エンドルーア

<< 前へ 目次 次へ >>
 第4章

6.石の主-1



 ざわめく人々の間を縫うようにして大広間を通り抜ける間、ギメリックは何も言わなかった。廊下に出てしばらくしてからようやく、彼は口を開いた。
「いつから具合が悪かった? どうして早くそう言わないんだ」

 恥ずかしさで口もきけず、真っ赤になった顔を両手で覆い隠していたアイリーンも、周りに人がいないとわかってやっと少し落ち着いてきた。しかし彼に抱き上げられている状況そのものに、心臓はまだドキドキしている。

 プロポーズされてのぼせてしまったなんて……恥ずかしくて言えない。アイリーンは小さな声で言った。
「私、あなたと踊りたかったの。だから……」
ギメリックが動揺する気配を感じ、アイリーンは彼の顔を見上げた。

 ちょうど庭園の中を通る回廊にさしかかったところで、すっかり傾いた太陽の光が柔らく辺りを照らしていた。ギメリックはまっすぐ前を向いて歩き続けている。その頬が、ほんのり染まっているように見えるのは、夕陽のせいだろうか。アイリーンはそう思いながら、じっと彼の顔を見つめ、ささやいた。
「……嬉しかったわ。……さっきの、あなたの言葉も」

 ギメリックは突然、立ち止まった。あらぬ方向へと目をそらせたまま、ぶっきらぼうに言う。
「お前がそうしたいと言うなら、いつでも踊ってやる。ただし元気になってからだ」
“本当は苦手だからできれば避けたいんだが……”と、一見、不機嫌そうなその顔に書いてある気がして、アイリーンは可笑しかった。

 アイリーンはクスクス笑い出した。幸せ過ぎて、少し涙が出た。指先で涙をぬぐっていると急に、ギメリックの腕に力がこもり、唇が重なった。

 狂おしく口づけを繰り返しながら、ギメリックが心話で尋ねる。
“それで?……返事は?”
“そ、そんなの……決まってる……”
“……言ってくれ。聞きたいんだ”
 乱れた息を吐きながらアイリーンが見上げると、トパーズの瞳が真剣に見つめていた。アイリーンは彼の不安を感じ取った。あまりにも長く、深い孤独に苛まれ続けてきたために、彼には自分の幸せがすぐには信じられないのだ……。

 そうと気づいたアイリーンは、はにかんだ笑顔を見せながら言った。
「ねぇ、覚えてる? 先にプロポースしたのは私よ。最初からずっと、あなた以外の人なんて、考えられなかったわ。……わからなかったの?」
「…………」

 ギメリックは言葉に詰まり、しばらく、ただ彼女の顔を見つめていた。そして、ゆっくりと力を込めて彼女を胸に抱きしめると、低くつぶやいた。
「……ああ、俺はバカだ。大馬鹿者だ」

 彼の力が強くて苦しいほどだったが、アイリーンは黙って彼に抱かれていた。先ほどまで胸の動悸とともに感じていた、どこか落ち着かない想いは消え去り、代わりに彼女の心を満たしていたのは深い安堵感だった。

 この人はもう大丈夫……きっともう二度と、自らの身をあえて無謀な戦いに駆り立てたりはしないだろう……。彼がこの世界にしっかりと根を張って生きていくために必要な絆、たぶんそれが自分の役目なのだ……。

 落ち着くべき所にようやくたどり着いたという、自分自身の安らいだ気持ちと、ギメリックの心から流れ込んでくる、寄る辺のない魂が暗闇の中で光を見出したような安心感とが彼女の中で混ざりあっていた。

 アイリーンが深く静かにため息をつくと、彼女の体が熱いと気づき、ギメリックは再び歩き出した。
「……お前さえ良ければ、石を預かっておこう」
「石を?」
「ああ。眠っている間は特に、魔物の瘴気の影響を受けやすい。体がなかなか回復しないのはそのせいだ」
「…………」

 アイリーンは自分を情けなく思った。一刻も早くエンドルーアへ向かいたいのに……魔力をコントロールする術を練習することさえ、今は体に障るからと禁じられている。

“そうだわ……ティレルは今頃、どうしているかしら……リーン・ハイアットに帰って傷を癒しているのだろうか……”
 突然アイリーンは思い出した。病に倒れた直後、夢の中でティレルが呼びかけてきたことを。

“あれは、別れの挨拶だった……”
どうして今まで失念していたのだろう。
あれほどの切ない胸の痛みを感じたというのに……。

 いても立ってもいられないような焦燥感に襲われ、彼女は身じろぎをした。
「ギメリック、もう大丈夫よ、自分で歩けるわ」
「歩くって……着いたぞ」
「え?」
見ると確かにもう、彼女の部屋は目の前だった。魔力で扉を開け、ギメリックは部屋へ踏み込んだ。そのまま寝室へ向かう彼に、アイリーンは言った。
「あの、降ろして……」
「ここまで来たらついでだ。おとなしく運ばれろ」
「だからもう大丈夫って……んっ……」

 彼女の唇を塞いでおいて、ギメリックは歩き続けた。口づけしたまま、ベッドに彼女を座らせると同時に、自分も腰をかける。さらにしばらくの間、彼女の唇を味わった後、ようやく彼は顔を離した。
 アイリーンはすっかり息が上がってしまって、何もわからない様子で脱力した体をギメリックにあずけている。可哀想なほど苦しげなのだが、それがまたたまらなく可愛かった。
「どうしていちいち息を止めるんだ? 鼻で息をしろ鼻で」
かるく鼻をつまんでやると、
「もうっ! いじわる!!」
その手を振り払って睨んでくる。恥ずかしそうに頬を染めながらも怒っている顔がまた可愛い。

 ギメリックは彼女の体をギュッと抱きしめた。そのまま何も言わずにじっとしているので、アイリーンは胸の鼓動がまた高まってくるのを感じた。息詰まるような緊張感に耐えられなくなりかけた時、彼が彼女の髪にそっと指を差し入れ、髪どめのピンと、バラの花を抜き取り始めた。
「このままでは休みにくいだろう?」
「え……あ……ありがとう……」
アップにしていた髪が、ハラハラと彼女の肩に落ちかかる。
「……伸びたな」
感慨深げに、ポツリとギメリックはつぶやいた。

 アイリーンと共にアドニア城を出てから、早、二ヶ月。それより以前の長い孤独な旅を思えば、あっという間だった。そのわずかな時を経て、まさか自分がこのような心の平安を得られるとは、思ってもみなかった……。
「アイリーン」
「はい?」
呼べばすぐに答えてくれる愛しい存在。知ってみて初めてわかる、体と心に感じる、この温もりの手放しがたさ……。

 ギメリックはアイリーンの体に覆いかぶさるようにして身を横たえると、彼女の首筋に顔を埋め、そこに口づけた。そしてゆっくりと、触れれば折れそうな鎖骨のあたりに舌を這わせる。

 アイリーンは息をのみ、体をこわばらせた。怖くはない……けれど、胸が張り裂けそうなほどドキドキして、どうしていいのかわからない。ただ固く目を閉じ、されるままになっていた。
 ギメリックが少しだけ身を起こし、顔を覗き込んでくる。その気配を感じながらも、アイリーンは恥ずかしくて目を開くことができなかった。すると彼の手がそっと額の髪を梳き上げたかと思うと、再び唇に口づけが落ちてきた。

 深く静かな、それでいて彼の熱い想いを伝えてくる長いキスが終わると、やっぱり息を止めてしまっていたアイリーンは、震えながら何度も大きな呼吸を繰り返した。

 ギメリックは再び、彼女の首筋に顔を埋め、ため息とともにつぶやいた。
「……正直、俺にはわからない……本当に、お前から石を譲り受けて良いものか……」


▲ページTOPへ
<< 前へ 目次 次へ >>
inserted by FC2 system