薄明宮の奪還 更新日:2008.02.26


第4部 リムウル〜エンドルーア

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 第2章

7.里心



アイリーン、気をつけて……
あいつは、ぼくの存在に気がついた……
自分に対する君の態度を訝しみ、思いを巡らせるうちに……

君が逃げるなと言ってくれたから、ぼくも諦めないよ、約束する……でもね、ぼくのこの記憶をあいつに渡すわけにはいかない、君の身の安全を守るためには……。

だから、もしもの時のために伝えておきたい。
アイリーン、愛してる、君の幸せを心から祈っているよ。
そして、ぼくの運命に対し、君は何の負い目も感じる必要はないんだ、それだけは覚えておいて。

ぼくは君に会えて幸せだった。
フレイヤの涙がなぜ君に託されたのかは知らないけれど、君とぼくを引き合わせてくれた全ての巡り会わせに、ぼくは感謝しているよ……



「ティレル……」
切なさに胸が張り裂けそう……
激しく痛むのは自分の心? それとも彼の……?

 その想いは体中に満ちて溢れ出し、涙となってアイリーンの目の裏を刺激した。こぼれそうになるそれを手で押さえようとして、ふいにアイリーンの意識が覚醒する。

「あ……?」
誰かの腕の中にいるのだと悟り、アイリーンは身じろぎをした。
「気がついた? ……気分はどう?」
頭の上から降って来たのはレスターの声だった。

 目を開けてみると、アイリーンは彼に抱きかかえられて、横座りする格好で馬に乗っていた。どうやら周りには同じく馬に乗った人々が大勢いて、一緒になって移動しているらしい。
 まだ少しぼんやりしている彼女の額に、レスターの手が触れてきた。
「下がってないね、熱が……寒い? 暑い?」

 アイリーンが思わず見上げると、彼のブルーグリーンの瞳が心配そうに、すぐ近くから見下ろしていた。あまりに近過ぎて先ほどのことが頭をよぎり、アイリーンはあわててそっぽを向く。彼の胸に手をついて密着していた体を離し、
「だ、大丈夫……」
と言ったとたん、ひどい目眩と悪寒に襲われて身を震わせた。

「大丈夫じゃないだろう?」
レスターは自分のマントを掴んだ腕で彼女を包み、再び胸に引き寄せてきゅっと抱きしめた。

 カッと体が熱くなり、なのに震えは止まらない。アイリーンは自分でも暑いのか寒いのかわからず、仕方なくそのまま目を閉じた。

「いったいいつから、具合の悪いのを我慢していたの? 我慢強いのもほどほどにしないとダメだよ……。みんな心配してるけど、野営ばかりじゃ疲れが取れないだろうから、とにかく出発することになったんだ。後二日もすればゆっくり休める、それまで辛抱するんだよ」

レスターは深くため息をついてそこで一呼吸置き、もう一度口を開いた。
「本当に君って子は……あいつから聞いたよ、金属と魔力保持者の話。困るなぁ、そういうことは早く言ってくれないと。教えてもらわなくちゃ、こっちは何もわからないんだから……。悪かったね、随分、我慢していたんじゃないの?」

 見るとレスターは剣を腰に吊るさず、背中に背負う形になる剣帯を着けていた。アイリーンの視線を読み取って、レスターは苦笑しながら説明する。

「剣を持たないわけにはいかないし、かと言って君に触れられないのもイヤだからね。これでもう君に痛い思いをさせなくて済む、衣類の金具も全部外したから。……もう他に、ぼくに隠していることはない?」

「……お兄様、……」
小さな声でそう言ったきり黙ってしまった彼女の、ひどく沈んだ様子を見て、レスターは優しく声をかけた。
「うん? 何だい?」
「……本当は私、……」
アイリーンの中で突然、堰を切ったように何かが壊れ、彼女はレスターの胸に顔を埋めて泣き出してしまった。
「アドニアへ帰りたい……お父様に、会いたい……」
「アイリーン……」
「わかってるの、そんなことは出来ないって……だからお願い、誰にも言わないでね。……でも、少しだけ泣いていいでしょう? だってお父様にはもう、二度と会えないかも知れないんですもの……」

“気丈なこの子が自分から弱音を吐くなんて……よっぽど参ってるんだな、かわいそうに……”
震える華奢な肩を抱いて、レスターはそう思った。

 詳しいことはまだ聞いていないのでわからないけれど、きっとここまで来る間に、ギメリックに守られていたとは言え随分と怖い思いや心細い思いもしたんだろう……。今まで気を張りつめていたのが、体が辛いせいで気弱になってしまっているに違いない……。

 しかしアイリーンはすぐに気を取り直し、自分で涙をぬぐった。この際だから、兄に話を聞いてもらいたいと思ったのだ。
「それに私、怖いの。王になるのが……。エンドルーアの人たちは私を受け入れてくれるのかしら。ただ石が選んだというだけで、何も知らない私なんかが王になっていいのかしら……」

「そんなことまで気に病んでいたの? 大丈夫だよ、王様なんて飾りみたいなものさ。優秀な部下さえいれば、王は周りの人々に慕われる人柄と、自国の民が誇りにできる血統を持っていればそれで充分。君はちゃんと条件を満たしてる」

 いかにもレスターらしい、あっけらかんとした物の言いようだったが、なぜか説得力を感じてアイリーンは少しだけ心が軽くなった。

「為政者として王自らが有能ならそれに超したことはないけど、必ずしもそうとは限らないし、そうである必要もないんだよ。そのために、王を補佐する宰相や大臣たちがいるんだから。前にも言ったろう? 王が一人で国を動かしているわけじゃない、って。君にはぼくがついてる、それに……」
“気に入らないけど”と心の中で付け足しつつ彼は言った。
「ギメリックもいるだろう?」

アイリーンは突然ハッとして、周りを見回した。
「彼はどこに……?」
「たぶん後ろの方だよ。呼ぼうか?」
「いえっ!……いいの!」
レスターはそんな彼女の焦った様子を見て、やっぱり、何かあったんだな……と思いを巡らせた。

 彼女が金属の痛みを我慢していると聞いた時、レスターはあまりに腹が立ったので、その他モロモロの恨みも込めてキッチリ2発、とうとうギメリックを殴ってしまった。
 殴り返されるのは覚悟の上だったが、ギメリックは怒るどころか、されるままだったのだ。その様子を少しおかしいと感じていたレスターだった。

 再び沈み込んだ様子のアイリーンを、彼は黙ってそっと抱きしめ、彼女の額に口づけた。とたんに彼女がピクリと震え、体をこわばらせるのがわかる。彼はしばらく沈黙を保った後、やがて穏やかな声で言った。

「……やっぱりいとこ同士だね。君たちはよく似ているよ」
「……?」
「君とギメリックだよ。それともお国柄なのかな?……生真面目なところがそっくり。からかうと面白いところも」

 アイリーンは顔を赤くし、体を起こしてレスターを睨んだ。
「……お兄様!!」
レスターはクスクス笑って、彼女の額にもう一度軽くキスをした。
「そうそう、その調子。ちょっとは元気が出て来たようだね? さぁ、もう少し眠っておくといいよ」

 レスターの腕が再び彼女を引き寄せる。アイリーンは心の中でため息をつき、目を閉じて考えた。
“お兄様ったら、ちっとも変わってない……やっぱり、からかわれただけなんだわ……”
そう思うと、何だか安心して彼に身を預けることができた。

 アイリーンの体を気遣ってか、馬の歩みはゆっくりとしたものだった。その背に揺られるうち、アイリーンは次第に眠くなってきた。ウトウトと眠りに引き込まれて行きながら、彼女はすぐ近くにいるはずのギメリックの気配を無意識に探っていた。

 確かに彼はこの集団の中にいて、一緒に移動している……。
よかった……きっと思いとどまってくれたんだわ……。

そうだ……
お兄様に、彼のことを話そう……。

そんな思いが唐突に彼女の頭の中にわいて来た。

彼がどんな子供時代を過ごして来たのか。どんな思いで石を捜し続けていたのか……兄に、彼のことをわかってもらいたかった。ギメリックも兄のことは信用してくれているようなのに、なぜかお互い、いがみ合っている風なのが気になっていたのだ。

ギメリックを孤立させたくない。たとえ自分が彼とまともに話せない状態でも……もう二度と、彼が孤独の闇の中にさまようことがないように……。

二人はお互いもっと理解し合えば、きっと仲良くなれると思う。単なる勝手な願望かも知れないけれど……。
アイリーンはそう思った。

……だいたい、二人とも、本当の性格がわかりにく過ぎる。

  レスターは実際より自分をいい加減な奴に見せることが好きで……たぶん、そういう性分なのだろう。彼がそんな性癖を身につけてしまったわけも、今ならわかる気がした。黙っていても人の目を惹き付けてしまう彼のような人間は、アドニアの世継ぎである第一王子、つまり彼の兄にとっては目障りで邪魔な存在でしかない。聡いレスターがそのことに気づかないはずはなく、何に対しても不真面目な態度をとるのは自分を守るための防衛策であり、同時に、彼なりの、兄に対する気遣いだったのだ。

 一方ギメリックは無愛想で口数も少ない。普段めったに感情を表に出さないから、何を考えているかわからない上、いつも不機嫌そうに見えてしまう。きっと彼ほど思いやり深く、周りの全てに気を遣う人はめったにいないのに、ちっともそんな風に見えないのだ。
  それに魔力のことが絡むと、常人には想像もつかないことが色々あって、彼の育った特殊な環境についてはよほど詳しく説明されない限り、理解することは難しいだろう。

“ギメリックがいなかったら、自分は間違いなく殺されていたことも話さなくては……。彼がどういう気持ちなのかわからなくても、私は彼に対して感謝を忘れてはいけない……”

そう思うと、 混沌とした濁流のようだった心の中に、一すじの澄んだ水の流れが生まれたように、アイリーンは感じた。

“彼は私の命の恩人……それに騎士としてだけど、そばにいて私を一生守ると言ってくれた。彼の気持ちを無視してそれ以上のことを望むのは私のわがままで……きっと望んではいけないことなのだ……”


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