薄明宮の奪還 更新日:2008.02.12


第4部 リムウル〜エンドルーア

<< 前へ 目次 次へ >>
 第2章

6.求婚



“バカバカっ!! ギメリックのバカ!!”

 アイリーンは涙で前がよく見えないのもかまわず走り続け、とうとう草に足をとられて転んでしまった。柔らかな草の上に倒れ伏し、そのまましばらく、じっとしていた。

 心が重くて……体も、重い。立ち上がるのがおっくうだった。
“あぁ、このまま地面に溶け込んで、消えてなくなってしまえたらいいのに……”
ひどく悲しくて、本格的に涙が溢れてきた。

自分の告白に、彼は何も答えてくれなかった……。彼のことが、結婚を意識する存在として好きなのだと……ようやく気づいたのに。彼にとって自分はそうではないのだ……。

“……それなのにどうしてキスするの?! “餌”って、どういうこと?!”
……もう、わけがわからない……。
これから、彼とどう接していいのかも……

「あのぅ……、エンドルーアの、姫様? 大丈夫ですか……?」
ためらいがちにかけられた声に、アイリーンは顔を上げた。周りに集まっている数人の雑兵たちを見て一瞬、怯えてしまったがすぐに気を取り直した。

 昨夜のうちに、戦闘の混乱から回復しかけている全軍に、彼らを救ったのがアイリーンとギメリックの魔力であることは、知らされていた。そして今朝の会議の後、出発準備の命令とともに、いずれ彼女がエンドルーアの王となることも伝えられ、くれぐれも失礼のないようにと言い渡されていたのだ。今、男たちの顔に浮かんでいるのは未知なる存在への畏怖と、倒れ伏したままの彼女への気遣いだった。

「あ、……大丈夫、です」
アイリーンは恥ずかしくなり、急いで涙を拭いて立ち上がった。
「お怪我は……?」
「いいえ、何ともないわ。……ごめんなさい、お騒がせ、しました」
軽く会釈をして立ち去って行く彼女を見送って、男たちはひそひそささやいた。

“本当にあの娘っこが、エンドルーア軍をやっつけたのかね?”
“だってよ、ここには女なんか他にいないだろ、彼女に決まってるさ”
“魔法を使うってんだから、もっとこう……オドロオドロしい女かと……”
“いやに可愛らしいじゃねぇか?”
“しかし……転んだくらいでベソかくような娘っこに、女王様なんて務まるのかね”

 彼らは聞こえないように話していたつもりだったろうが、魔力により聴覚まで敏感になっているのか、アイリーンにはその内容がわかってしまった。
“そんな、転んで泣いたわけじゃありません! 子供じゃあるまいし!”
振り返ってそう叫びたかったが、だったらなぜと聞かれても答えられない……。それに、内緒話を聞かれたと思われるのはバツが悪い。
恥ずかしさに耳まで赤くなりながらも、仕方なくアイリーンはそのまま歩き続けた。

 頭の中で男たちの声がいつまでも渦巻いて、やがて彼女は、何が心にひっかかっているのかを悟り、ポツリとつぶやいた。
「……女王様なんて……務まるのかしら……私に」
 涙のわけは誤解だったとしても、彼らが年端もいかない、自分のような小娘を頼りないと思っていることは確かで……それは、自分だってそう思う。

 半分は成り行きで、そして使命感とティレルを助けたいと思う気持ちから、エンドルーアの王になろうと決心はしたけれど……魔物を抑える儀式だけやっていれば良いというわけではないだろう。王として国を治めていくことなど、果たして自分に出来るのだろうか。
 ほんの一ヶ月半ほど前までは、アドニア城の外に出たこともなく、しかもほとんど誰とも、親しく話したことすらなかった自分が……一国の王になれるような人間だとは未だに思っていないし、そのための知識も力も何もない。それにエンドルーアの人々が、ギメリックという最高の適任者を排してまで自分が王位に就くことに、納得してくれるのか……考えれば考えるほど不安になってくる。

 うつむきがちに、ゆっくりと歩を進めるアイリーンの足下から、夏の日を浴びた草地の熱気が絶え間なく上がっていた。
 暑くて何だかフラフラする……。そう思い、アイリーンは立ち止まった。
それは立て続けに起こった目眩がするような出来事のせいばかりではないのだと、彼女はふいに気がついた。先ほどから体が重いのも、だるくて仕方ないのも、体調のせいなのだ……。

 考えてみれば、肉体ごと空間を移動したり、ギメリックに魔力を分け与えたり、自然の力を自分の中に取り込んだりと、魔力に目覚めたばかりの自分にとって、かなりの負担となる力の使い方をした。その後にまた、ティレルとの魔力戦……どんなに強い魔力を持っていても、魔力の器としての肉体には自ずと限界がある。今まで、気を張りつめていたせいで、自分の体調の変化すらわからなかったのだろうか……。

 気づいてしまうと突然ドッと疲労感が襲ってきて、その場にしゃがみこんでしまいたい衝動に駆られたが、アイリーンは唇を噛んで足に力を込めた。

休んでなんかいられない……もうすぐ軍は出発する。自分も馬に乗ってついていかなくては。そして、もっと魔力を自在に操れるようになって、早くティレルを止めにいかないと。

 自分が魔術を学ぶとしたら、その師はギメリック以外には考えられない。石の主になるということを、真に理解し自分を導くことができるのは、たぶん彼だけ……だからそういう意味でも、自分にとって彼は必要な存在なのだ。ティレルを助けるためにも、パートナーとして彼の力が必要だった。

 アイリーンはハッとして今来た道を振り返った。大木はもう遠くになり、そのそばに人影を見分けることはできない。
“あの人……一人でエンドルーアに行ったりしないって、ハッキリ約束してくれなかったけど……大丈夫よね?”
 心配になり魔力で探ってみると、彼の気配は確かにまだ大木のそばに感じられる。アイリーンはホッとすると同時に、心話で彼に念を押すかどうか迷った。
“どうしよう……”
あんなことがあった後、いったい何と言って声をかければ良いのだろう……。

「姫、ここにいらしたのですか」
呼びかけられて振り向くと、ユリシウスがいつもの穏やかな笑顔を浮かべて立っていた。
「なかなか帰っておいでにならないので、探しに来てしまいました。もしかしてまた、迷っておられるのではと心配になって……あなたのテントも出発のため畳んでしまいましたから、目印になるものはありません、いっしょに参りましょう」

「……ええ……ありがとうございます……」
そう言ってうなずきはしたものの、チラリと後ろを気にする風のアイリーンに、首を傾げて彼は言った。
「レスター殿には、あなたはギメリック殿といるはずだから心配ないと言われたのですが……ご一緒ではなかったのですね」
「……!! ええっ、全然!!」
思わず嘘を言ってしまったアイリーンは自己嫌悪に陥り、うつむいて歩き出した。そんな彼女の横につき、ユリシウスはさらに言った。

「実はあなたにお話ししたいことが……アドニアへの使者のことです」
「はい……?」
見上げてくるアイリーンの顔がほんのり桜色に染まり目も潤んでいるのを、ユリシウスは不思議に思いながらも美しいと感じ胸をときめかせた。
「特にレスター殿には、あなたの無事をお国へ知らせる使者とだけ思わせておくようにと、兄に口止めされているのですが……私はどうしても、あなたに黙っているのは申し訳ない気がして。兄はリムウルからの正式な申し入れとして、あなたのお父上に、私とあなたの縁談を再び打診するつもりなのです」
「えっ……」

 立ち止まってしまったアイリーンに向かい合い、ユリシウスも立ち止まる。
「もともとアドニアからお断りがあったのは、あなたが魔女と思われしかも行方知れずになったからで……こうして無事、疑いも晴れたのですから、もう何の障害もないとは思われませんか?」
「でっでも……私は、……」
困惑し口ごもる彼女に、ユリシウスは微笑みかけた。
「ええ、あなたはもうアドニアの王女というより、エンドルーアの女王です。3国の立場や事情も変わったのですから、今回の申し入れは、前回とは意味合いも違う。けれどまずはあなたのお父上に、お許しをいただくのが筋というものでしょう?」

 アイリーンは混乱のため、治まりかけていた目眩がまたひどくなった気がしてうつむいた。でも……自分の気持ちは、はっきり伝えておくべきだ……手遅れにならないうちに。そう思い、彼女は口を開いた。
「ごめんなさい、その話はお受けできません。たとえ父が許してくれたとしても……私は、今は誰とも、結婚する気には……」
「わかります、偽物の王を打ち、エンドルーアを平定するまでは、そんな心の余裕などなくて当たり前……私も兄にそう言ったのですが。すみません、押し切られてしまいました」

 アイリーンが思わず顔を上げると、ユリシウスは困ったような微笑みを浮かべて彼女を見つめていた。
「使者は先ほど出発してしまいました。でも、心配しないでください……あなたが嫌だとおっしゃるなら、無理強いするようなことは決して……第一、それができる立場でもないでしょう、我々はあなたに助けられた方なのですから。それに……」

 ユリシウスは彼女の顔から視線を外し、遠くを見る目になってエンドルーアの方角へと顔を向けた。
「あなたの夫になるということは、つまりエンドルーアの王になるということ……いくらあなたの方に実権があるといっても、あなたの一存のみで決めるわけにはいかないはずです」
 何も知らないアイリーンにも、それはわかる。仮にも一国の王なのだ……国民や、王を補佐する周りの官僚たちにも認められる人物でないと……いや、それより前に自分こそが認められるのか?と今さっき思ったところなのだった……。

 再びユリシウスがこちらを向き、彼の青い瞳に見つめられて、アイリーンは微かに体を震わせた。
“あぁ、やっぱり、……ティレルの瞳に似ている……色合いも、穏やかで優しいところも……”
ただその瞳の奥にある熱っぽさだけが、なぜか彼女の心を不安にさせた。

「ですが、だからこそ……考えてみていただけませんか? エンドルーアが今どういう状態かはわかりませんが、もしかしたら、一から国を立て直すために、あなた方は大変な苦労をされるかも知れない。もちろんあなたの父上や兄上が、アドニアからエンドルーアへと、惜しみない援助をされることでしょう。しかし私があなたの夫になれば、さらに隣国であるリムウルからも、永遠の和平と援助が約束されるのです。エンドルーアの王になど……私には身に余る、大それたことだとは思います、ですが……兄も後押しすると言ってくれました。姫、少しでも希望を持って良いのなら……私はいつまでも待つつもりです、どうか……」

 思わず、という様子でユリシウスが身を乗り出したのに合わせて、アイリーンは少し身を引いた。とたんに彼が悲しげに微笑むのを見て、自分まで何だか泣きたくなる。口を開いたら本当に涙がこぼれそうで、アイリーンはただ黙ってうつむき、首を振った。

「……そうですか……」
落胆した彼の声がして、アイリーンは増々顔が上げられない。
「あの……差し出がましいとは思いますが、私はてっきりあなたとギメリック殿が、その……そういう仲なのかと……。が、先ほど彼が臣下に下るとおっしゃったのを聞いて舞い上がってしまって……大変失礼なことを……すみません。兄の申し出はもちろん、無視してくださってかまいませんから」

 もう限界だった。固く閉じたアイリーンの目から、とうとう涙が溢れ出してしまい、彼女はそれを隠そうとして方角も定まらないまま歩き出した。
「えっ……姫?!……危ないっ」
足がもつれて倒れそうになったところをユリシウスに支えられる。すぐにその手を振りほどき、再び歩き出した彼女を追ってユリシウスは心配そうに声をかけた。
「えぇと……怒っていらっしゃるのですか?」
「いいえ」
「……あのぅ……どこへ行かれるのです?」
「…………」

 どうやら方向が違うのだと悟ってアイリーンが立ち止まると、ユリシウスは横に並んで彼女の顔を覗き込んだ。そして一瞬黙った後、ひどく優しい声で尋ねた。
「……どうかしましたか?」
……穏やかに響く、物静かで心地よい声……あぁ、どうしてこの人じゃダメなの……?
「いいえ……いいえ! 何でもありません……」

 隠しきれなくなった涙をゴシゴシこすっていると、突然、体がぐらりと傾いてアイリーンは息をのんだ。気がつくとユリシウスの腕に抱きしめられていた。驚いて身を振りほどこうとしたけれど、思いのほか彼の腕が強くて逃げ出せない。いつもの彼女なら魔力を使ってでも逃げ出しただろうが、何だかひどく疲れてしまっていて、そんな気力さえ出せなかった。

 そのまま体をあずけて泣き続けるうち、頭がぼうっとしてきて意識がハッキリしなくなる。
「姫……? ひどく体が熱いのですが、……姫っ!!」
ユリシウスの声を遠くに聞きながら、アイリーンは気を失ってしまった。


▲ページTOPへ
<< 前へ 目次 次へ >>
inserted by FC2 system