薄明宮の奪還 更新日:2008.02.09


第4部 リムウル〜エンドルーア

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 第2章

5.混乱-2



 ギメリックは微かに身を震わせ、そっと彼女の肩に手を置いた。抱きしめるでもなく、突き放すでもなく、そのまましばらく黙っていた彼は、やがて片手をアイリーンの額に当てた。するとアイリーンの頭の中に、まるで今見ているかのようにある情景が浮かび上がってきた。

 美しい庭園……咲き乱れる花々の中に埋もれた、銀色が見える。まるで欠け落ちた月の欠片のように、キラキラと光を放って。近づいて行くと、それはうずくまっている幼い子供の髪の色だった。
 彼は顔を上げ、輝くような笑顔を見せた。深く澄んだ湖を思わせる、明るいブルーの瞳。バラ色の頬、小さな紅い唇……。無邪気な笑顔を浮かべたまま、彼がこちらへ手を伸ばして来る……。

 ギメリックが静かな声で言った。
「……子供の頃のティレルだ。可愛いだろう? お互い母親に縁が薄かったせいか、あいつは妙に俺になついていて……他の人間のように俺を怖がることもなかった」
 ギメリックの寂しい少年時代を知るアイリーンには、それが彼にとってどんなに嬉しいことだったかを察することができた。
「悪かったな、お前のせいにしたりして。俺もあいつを助けたいと思ったんだ。だから少しでも早く、その方法を知りたかった」

“それに、……”
と、ギメリックは頭の中でつぶやいた。
自分がクレイヴを倒しておけば、少しはアイリーンの負担が軽くなる。ルバートを死に追いやった時の彼女の恐怖と狼狽……これ以上、彼女に手を汚させることはない。同胞殺しの汚名を着るのは自分だけでたくさんだ。

「……あなたは優しい人だって、ティレルも言ってた……ありがとう。彼もきっと待ってくれてると思う……あなたと私が、彼を助けてあげられる日を……でも!!」
アイリーンは再びギメリックを見上げた。美しい眉を切なげにひそめ、青い瞳には懸命に彼を説得しようとする強い意志が輝いていた。
「だったらなおさら、行ってはダメよ! きっとティレルはリーン・ハイアットに帰っているわ。クレイヴには勝てても、ティレルに対してあなたは強く出られない、だからもう絶対、一人で戦いに行っちゃダメ!!」

 ギメリックは彼女の眼差しから顔を背け、苦しげに言った。
「それは王としての命令か?」
一瞬、アイリーンの顔に驚きと悲しみの色が浮かぶのを、ギメリックが目にすることはなかった。
「……ええそうよっ!! あなたは私の臣下なんだから、言うこと聞いてくれなくちゃダメなの!」
「ついこの間まで王になるのはイヤだと言っていたその口で、そういうことを言うか……」

 苦笑して再び見下ろしてきたギメリックの視線が、自分の唇に注がれているのを感じて、ふいにアイリーンの胸がドキンと鳴った。恥ずかしくなり、パッとうつむく。そのまま胸がドキドキし出して、急に、自分から彼にしがみついているこの状況がどうしようもなく気恥ずかしくなってきた。

「あ、あのね……」
震える声を絞り出すようにして、彼女がつぶやく。
「もう、泣かないから! あの……あ、あなたに……キスされたくらいで、泣いたりしないわ!」
と言うと彼女はパッとギメリックから手を離した。
「……それだけ!」
恥ずかしくてまともに彼の顔が見られない。うつむいたまま、くるりと彼に背を向けて走って逃げようとしたが、腕を掴まれ、逆に引き寄せられた。
「きゃっ?!」
背の高い彼の腕の中にすっぽりおさまり、強く抱きしめられると、逃げるどころか身動きもできなかった。

“キスされた“くらい”で……?”
ギメリックは大木の幹の陰に、アイリーンを押さえ込んだ。
何でもないことのようなアイリーンの口ぶりと、先ほど目撃したシーンが彼の中でリンクする。
ティレルにアイリーンが必要であることは絶対だ。かつて弟のように可愛がっていた彼の幸せを、奪うようなマネはできない……そう思って、必死で抑えていた想いが一気に溢れ出す。彼女にとって挨拶程度の意味しかないのなら……どうして、自分がそれを利用して、悪いことがあるだろうか。

「……試してみてもいいか?」
「えっ……」
 そう言ったきり固まってしまった彼女の顔を、ギメリックはそっと上向かせた。朱に染まった頬と、潤んだ瞳に許諾の色を読み取り、ギメリックが顔を寄せると、アイリーンは震える瞼を降ろしてその瞳を隠した。歓喜と快感が背筋を走り抜けるのを感じながら、ギメリックは優しく、唇を重ねた。

「……ん……っ」
じっくりと時間をかけて味わううち、彼女が苦しげに喉を鳴らす。少しだけ唇を離し、紅い花びらのような唇が白い歯を覗かせながら喘ぐ様を間近に眺めた。その苦しそうな表情がまた可愛くて、たまらないほど愛おしい。このまま何もかもメチャクチャにして、彼女を求め味わい尽くしてしまいたい……そんな衝動を何とか抑え込み、ギメリックは再び優しい口づけを落とした。

 アイリーンは柔らかく口の中をまさぐられる感覚に翻弄され、頭の中が痺れたようで何も考えられなかった。苦しいはずなのに、体の奥から来る震えに全身が熱くなり、その甘美なうずきにいつまでも身を委ねていたい気持ちになる。
 体中から力が抜けてしまって、アイリーンは自分で立っていることさえ出来なかった。地に足がついていないように、フワフワしていると思ったら、本当に地に足がついていなかった。気がつくと、ギメリックが抱きかかえるようにして支えてくれているのだった。

「……アイリーン」
低い、良く響く声が耳元でささやくと、体の奥から新たな震えがわき上がってきて頭がくらくらする。
「……ずっと、そばにいて欲しいと言ったな?」
アイリーンは夢見心地のまま返事をした。
「ええ……」
「飼い犬には餌が必要だ。俺を飼っておきたいなら餌を与えろ」
「…………」
何を言われたのかよく理解できず、アイリーンはぼうっとした頭を急いで元に戻そうとしながら尋ねた。
「飼う、って……?」
「一日一度の口づけで、一生そばにいて守ってやろうと言うのだ。安いものだろう?」
「…………」

バチン!!
ギメリックの頬が音を立て、涙目になったアイリーンは真っ赤な顔をして逃げて行った。
手形のついた頬に手をやって、ギメリックは呆然とその後ろ姿を見送った。
「……泣かないと言ったくせに……大嘘ではないか……」

いや、自分こそが嘘つきだ。ティレルに対し、フェアでいようと心に誓ったのに……やはり自分を抑えきれず、あんな口づけを……。
挨拶?……そんなわけがない。

ギメリックは激しい落ち込みを感じ、がっくりとうなだれた。



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