薄明宮の奪還 更新日:2008.02.04


第4部 リムウル〜エンドルーア

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 第2章

4.混乱-1



“……キ、キスされた……お兄様に、……キス……”
 同じセリフが頭の中でグルグル回っている。アイリーンはかなりの間の思考停止状態から、やっと回復しかけていた。が、まだ座り込んだまま立ち上がれない。

 そろそろ南中しようとする太陽がそこらじゅうに日差しを振りまいて、木陰に座っていても眩しくて目眩がする。草原の上を渡って来る風は真昼の熱気を含み、火照った頬をさらに上気させるようだ。

 アイリーンは落ち着こうとして、懸命に自分に言い聞かせた。
どうせ、いつもの悪ふざけの延長なのだ……いつもの。
兄にとっては遊びと同じ。
そうでなければ、どうして妹である自分に、あんな……

 そこまで考えると先ほどの光景が思い浮かんでしまい、あまりの恥ずかしさに頭を抱える。その頭の中に、ふいに、カーラの言葉が蘇ってきた。
“でもお父様やお兄様とは、結婚できないでしょう?”

……そうだ、父や兄は普通、あんなキスはしない、はず……。

 あの時カーラに、ギメリックの他に好きな人がいるのかと聞かれたのだった。
“つまり、好きな人……って……結婚したい人かどうかってこと?”

 アイリーンの中で、急に何かがストンと胸の内に落ちてきた。
……そうなのか。好きは好きでも……違うのだ。
自分にとって、結婚の対象として意識する相手と言えば……それは……

「アイリーン」
「きゃあぁぁっ……?!」
 思い浮べていた人の声でいきなり名を呼ばれ、アイリーンはびっくりして悲鳴を上げてしまった。
「な……何をそんなに驚いてるんだ、こっちが驚く……」
ギメリックにあぜんとした顔で見下ろされ、アイリーンは増々顔が火照るのを感じてうつむいた。
「えっ、あっ……ごめんなさい……ちょっと考え事をしていて……」

「……俺が近づく気配がわからなかったのか? 石の主なら、どんな時でも敵の魔力の気配を察知できるようにしておかないと、危険を回避できないぞ」
「そ、そうね……気をつけるわ、これからは……」

 うつむいたまま顔を上げようとせず、心ここにあらずといった様子で返事をする彼女を見て、ギメリックは面白くない。先ほどの出来事を目撃したとはいえ遠目だったので、彼女がどういう表情をしていたのか彼にはわからなかったのだ。アイリーンがレスターに向かって叫んだ言葉も、ギメリックのいた場所までは届かなかった。

「……お前の兄には、魔力保持者が金属を苦手とすることを言っておくべきだな」
思わずアイリーンは顔を上げた。
「……いいの?」
「仕方がないだろう……あの調子では。ただやめろと言っても納得しそうもない」
ため息まじりにギメリックは言う。

 先ほどの話し合いの中でギメリックは一つだけ、故意に言わなかったことがある。ユリシウスに、なぜ魔物の存在を他国に知らせなかったか、と聞かれた時だ。その必要がなかったのは本当だが、実はもう一つ理由があった。

 魔物の存在を公表すれば、エンドルーアの人々の一部が魔力を持つこともまた、公にせざるを得ない。しかしそのことは、魔力保持者が肉体的に常人と違う生理を持つことを、他国に知られる危険性を高めてしまう。特に金属に弱いことは、できるだけ伏せておきたかった。今よりさらに国と国との争いごとが多かった時代、それは当然の用心だったのだ。

 このことはギメリックやアイリーンだけの問題ではない。ソルグの村の者、そしてエンドルーアの人々の身の安全にもかかわってくる。そのためギメリックはあえてこのことを話さなかったし、アイリーンにもそれはよくわかっていた。

 ギメリックが兄を信用してくれたのは嬉しかったが、“あの調子”という彼の口ぶりから、先ほどのことを見られていたのかと思い、アイリーンはほんのり頬を染めてまたうつむいた。

「軽そうに見えるが、まぁ自制は利くタイプのようだし……お前の身の安全に関わることだ、他言はしないだろう。だから、我慢することなどなかったのに」
「あ、……慣れれば前ほど痛くはなかったから……」
 レスターは彼女の肩を抱く時、剣を吊るしていない方の手を使うので、彼女は剣に触れずに済んでいた。しかし問題なのは正面から抱かれた時で、体の動きによってどうしても少しは剣に触れることがある。

「とにかく、お前から言っておくことだ」
念を押すようにギメリックが言った。
「俺が言っても角が立つだけだからな」
「…………」

 アイリーンは何と言っていいかわからず黙り込んだ。兄の行いを容認するようなギメリックの言葉が、何だかとても、悲しかった。

 二人の間に沈黙が降りる。と、ギメリックはアイリーンの座っている場所から一歩前へ出て、エンドルーアとの国境に連なる山脈をじっと見つめた。
「……そろそろ出発の準備が整う頃だ。お前はテントの場所に戻れ」
その口調に引っかかりを感じ、アイリーンは再び顔を上げて彼の背中を見た。
「俺はここに残って魔力が完全に戻るのを待ち、それからリーン・ハイアットに向かう」
「えっ……」

「本当は暦司たちを倒した後、その足で向かう予定だったんだが……しくじって遅くなってしまった。今頃はエンドルーア領地内にいるはずだったのに」
「そんなっ……どうして?!」
急に大声を上げて立ち上がったアイリーンを、ギメリックは振り向いて眺めた。

「薄明宮の昼の塔にある魔術書には、病を癒す様々な方法が書かれている。ティレルを救う方法を探るためだ」
「ダメよダメっ!! 危ないじゃないの!! 絶対行かないで!!」
「……お前が言ったのではないか、ティレルを助ける方法が知りたいと」
「私は知ってたら教えて、って言っただけよ! あなた一人を危ない目にあわせるつもりなんてなかったわ!」
「魔術書に書いてあるかもしれない、と俺は知っていた。だがそう教えても意味がないだろう、魔術書はエンドルーアにあるのだから」
「だから取りに行こうとしたって言うの?!」
「……悪いか?」
アイリーンは怒りに体を震わせた。
「あ、あなたって……バカじゃないのっ?!」

 ギメリックの唇がすねたようにへの字にゆがんだ。
「バカとは何だバカとは。何を怒っている? 何度も言うようだがお前が知りたいと言ったんだぞ」
 怒っていたアイリーンの顔が、急にくしゃりと泣き顔になった。と思ったら、彼女はギメリックに抱きついてその胸に顔を埋めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい!! あなたの気が済むまで、何度でも謝るわ。だからもう……お願いだから、私や皆のために、一人で危険に向かって行くようなことはしないで……」

 ギメリックは彼女の肩を抱こうとして手をあげた。しかしその手が途中で止まる。
「……危険などない、以前の俺とは違うのだから……フレイヤの涙がなくても、俺は必ずクレイヴに勝つ。お前が与えてくれたからだ、俺に……生きる目的を」

 アイリーンが彼にしがみついたまま顔を上げると、トパーズの瞳が穏やかに彼女を見下ろしていた。
「俺は生涯お前のそばにいて、お前を守って生きると決めた。アイリーン、エンドルーア王として、俺に騎士の称号を与えろ」
“いやよ、私はあなたに、騎士として守って欲しいんじゃない……”
そう言いたかった。でも……
 あれほどはっきり「結婚しましょう」と言ってしまったにもかかわらず、こうも完全に拒否されてしまっては、とてももう一度言う勇気など出ない。

 アイリーンは再びギメリックの胸に顔を埋め、小さな声でつぶやいた。
「あなたが好きよ……ギメリック。もう私を置いてどこへも行かないで……」



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