薄明宮の奪還 更新日:2008.01.26


第4部 リムウル〜エンドルーア

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 第2章

3.とまどい



 リムウル軍の野営地の外れに、一本だけポツンと大木が立っている。大きく枝葉を延ばしたその木の周りには、照りつける強い日差しを切り取った、涼しい陰が出来ていた。

 アイリーンはその陰の中に立って風に吹かれながら、エンドルーアの方角をじっと見つめていた。
 彼女の足下から続くなだらかな丘陵地は、遠ざかるにつれて青々とした夏草の色を失い、無機質な灰色に染め上げられていく。同時にゴツゴツした岩に覆われて次第に険しさを増し、エンドルーアとの国境である、剣を立てたような山々に連なっていた。

 リムウルの人々はティレルを助けたいというアイリーンの願いに快く協力を申し出てくれた。しかしひとまずは、デクテオンの怪我や疲弊した兵を癒すため、ここからリムウル側に少し戻った場所にある、地方都市に向かうことになった。兵士たちは忙しく出発の準備に追われている。

 アイリーンは少しでも早くティレルの非道を止めさせて、彼の病を癒してあげたかった。けれどまだまだ、自分の力に本当に自信があるとは言えない状態で、無理は禁物だとギメリックにも言われたのだった。パワーの面では申し分ないが、コントロールの面において、アイリーンには鍛錬のため、もう少し時間が必要なのではと彼も考えているようだ。

「アイリーン」
呼びかけられて振り向くと、レスターが歩み寄って来るところだった。彼はアイリーンの隣に並んで立つと、しばらく黙って同じように、国境地帯の山脈を眺めていた。それからおもむろに口を開く。

「アドニアへの使者のことだけど。……ぼくは父上に何と伝言を送ればいいんだろうね? 君がもう一生アドニアへは帰らずに、エンドルーアで王としての役目を守って生きていく、って知らせるのは……どうも、気が引けてね」
「…………」
アイリーンが困った顔で自分を見上げてくるのを見て、レスターの口元に微笑みが浮かぶ。

 子供の頃も彼女はよく、自分を見てこんな顔をしたものだった。まるで“いったい何を言えば、どうすれば、あなたは喜んでくれるの……?”とでも言いたげな、切なげな表情……。
 思えば自分は彼女のそんな様子が可愛くて仕方なかったのかも知れない。愛しい相手の困った顔が好きだなんて、あまのじゃくにも程がある……好かれた方も災難だな。

 レスターはそう人ごとのように考えて、クスッと笑みを漏らした。
「ごめん、ちょっと意地悪を言ってみただけだよ。君の強情さはよーくわかってる。もう決心したんだね」
「……ごめんなさい……」
「どうして謝るの。君のせいでもないのに」
そう言うと彼は再び、遥か彼方の国境付近に目をやった。

 アイリーンがエンドルーアへ向かうなら、当然ついていくつもりだった。ふと、二度とアドニアへ帰れないのは自分の方なのだという思いに捕われる。もしかしたら、あの灰色の峰のどこかで、自分は……。

 一瞬、吹きつけて来た風に目を細めながらも、レスターはブルーグリーンの瞳に挑むような光をたたえ、夏の陽を浴びてなお寒々しい色合いをした山々を強く見据えた。その唇に、再び穏やかな微笑みが浮かぶ。彼はアイリーンに言った。
「……だけど驚いたな。アドニアで、ティレルの話を聞かされた時には思いもしなかった、まさか彼が……いや、君こそ、びっくりしたんだろうね」

 レスターの推測はアドニアでのアイリーンの話と、軍議で明かされたこと(ギメリックが10年前のクーデターにより皇太子の座を奪われたという話)が情報源だった。ギメリックが本名を名乗ってアイリーンの元へ石を取りにきたと考えれば、王位奪回のために石が必要だったのだとは容易に見当がつく。しかしティレルの真実については、昨夜の出来事を人々から聞くまでは、全く予想もできないことだった。

「…………」
アイリーンが複雑な気分で黙っていると、レスターはさらに言葉を継いだ。
「聞いてもいいかな? 君がそうまでして彼を助けたいと思うのはなぜ? 彼のことが、……好きなの?」

……好き? ……もちろん、好きだわ。私は……みんな好きよ、お父様も、お兄様も、ポルやカーラも……私を愛して慈しんでくれる人、みんなが好きだわ。だからティレルのことも……。

 そう思ったアイリーンだったが、レスターが言っているのはもっと違う意味なのだと、何となくわかる気がした。でもその違いをはっきり意識するほどには、彼女の心は整理できていない。
“そう言えば、カーラも似たようなことを言っていたような……?”
と思いながら、アイリーンはおずおずと口を開いた。

「……ティレルは私の恩人だわ。アドニアで一人で寂しかったとき、私の話を聞いてくれたのは彼だけだったもの……」
「あイタ……それを言われるとぼくもつらいな」
苦しげに眉をひそめるレスターに、アイリーンは困った目を向ける。
「お兄様、私、そんなつもりじゃ……」
「うん、わかってる。過去を悔やんでも仕方がない。大切なのは、これからどうするか、ってことだよ」
彼はにっこり笑った。
「これからはもう、決して君を一人にしないからね」
そう言うと、レスターはアイリーンを抱き寄せた。
「お兄様!」
アイリーンは顔を赤らめ、彼の腕を押しのけようとする。
しかしレスターは彼女の動きを封じ込め、さらに強く抱きしめた。
「何があろうと決してそばを離れない。君を守ると誓うよ。……これは誓いの証し」

 突然、あごを持ち上げられたかと思うと、アイリーンの視界いっぱいにレスターの美しい顔が近づいてきた。フワリと良い香りがして、唇に触れる柔らかな感触……。

 アイリーンは目の前にある彼の長いまつげを凝視したままピクリとも動かず、しばらくしてレスターが彼女を解放しても、まだそのままの姿勢で固まっていた。
「昨日約束したご褒美、これで勘弁しておいてあげる。ごちそうさまでした」
赤い唇をペロリと舐めて、レスターはいたずらっ子のように瞳を輝かせると、笑顔でその場を立ち去って行った。

 随分経ってから、彼の背に向けてアイリーンの、
「……お兄様の、バカ〜〜〜っ!!」
という叫び声が風に乗って渡ってきた。レスターは振り返り、木のそばにペタンと座り込んでしまっているアイリーンを見て、クスクス笑いながら手を振った。

 再び前を向いて歩を進め、小さなテントの脇を回り込んだとき。レスターの前に立ちふさがるように人影が現れた。
「お前……兄のくせにあの態度は何だ?」
いつにも増して不機嫌そうな顔をした、ギメリックだった。

レスターは悪びれる様子もなく、
「あぁ見てたの?」と、こともなげに言う。
「エンドルーアでは異母兄妹の結婚など日常茶飯事だったんだろう? アドニアもそれに習うことにしたんだよ」
「バカか……! そんなもの、大昔の話だ、今は禁じられている!」
滅多に見られないだろうギメリックの動揺ぶりに、ククク、とレスターは面白そうに笑みを漏らした。
「まぁ、アイリーン次第だな。せいぜい君もがんばることだ」

「がんばる?……何をだ。彼女が愛しているのはティレルだ、邪魔するつもりなら俺が許さない」
レスターは目を丸くして、まるで信じられないものでも見るような目つきでギメリックを見つめた。
「……君、……マジで言ってるの、それ?」
「……どういう意味だ?」
ギメリックに怪訝そうに見返され、レスターは脱力したようにうなだれた。
“なんなんだコイツは……。鈍い。鈍すぎる……哀れを誘うほどだ……”

 レスターは深いため息をつくと、額に落ちた髪をかきあげながらギメリックから顔を背け、つまらなそうにボソボソとつぶやいた。
「愛と言っても色々あるだろう……あぁ全く、なんでぼくがこんなこと、君に教えてやらなくちゃならないんだ……」
「え?……何だって?」
「…………」
よく聞こえなかったらしく、訝しげに眉をひそめるギメリックを眺め、レスターは口をつぐんだ。
“まぁでもぼくとしては、コイツに協力してやる義理もない。……面白いからしばらく放っておこう”
「……いや、何でもない」
ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべたレスターに、ギメリックは増々訝しげな顔になる。

“……どうもよくわからん。いったい何を考えているんだか……”
 人をからかって面白がるのが趣味のような、こんな男の言うことをどこまで真に受けて良いのか、ギメリックには全くわからなかった。

 顔色一つ変えずに平気で嘘がつけるレスターのようなタイプの人間を、ギメリックは二重に毛嫌いしていた。一つは、生真面目なギメリックにとって、その心根が理解の範疇を越えているため。もう一つは、もしもその必要に迫られたとしても、彼らの心を読むことができないためだ。
  並外れて強い魔力ゆえに、ギメリックはその気になれば魔力保持者だけでなく常人の心までをも読むことができる。しかし、ごくまれにだが、それが通用しない人間も存在するのだ。
 彼らは総じて自分を律することに長けていて、自身の考えや感情を容易く他人に悟らせない。心のうちを表情に出すことをコントロールし慣れており、心が強くそれだけガードが固いのだった。

 それにしても、彼のアイリーンへの態度は、どう考えても妹に対する愛情というにはいきすぎている気がする……。が、妹というのはそんなに可愛いものなのか。“感情表現が豊か”と、ユリシウスは言っていたようだが、アドニアでは肉親の間でも、挨拶としてああいうキスをするのだろうか……?

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