薄明宮の奪還 更新日:2007.10.29


第4部 リムウル〜エンドルーア

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 第1章

14.偽りの皇太子



 リムウル軍の野営地から、いくつか丘を越えた場所に、対峙するエンドルーア軍は陣を張っていた。なだらかな丘陵地帯の青々とした草の中、混入した異物のように、その一帯におびただしいテントが立ち並んでいる。時折、見張りの兵士が持つ槍の先が、夏の日差しを反射させキラリと白い光を放つ。

 ここ一週間静かだった陣内がざわついているのは、20騎ほどの小隊を従え軍を離れていた総大将が、先ほど帰着したからだった。

「お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ、殿下」
「……変わりはなかったか。スニフ。ラスキン」
 自分のテントに落ち着いたエンドルーアの皇太子は、早速やってきた側近たちに声をかけた。二人は共に魔力保持者ではないため、皇太子の魔力の気配は感じることはできない。しかしそれでも、彼のトパーズの瞳に正面から見据えられると、“暗黒の7日間”の女神フレイヤを嫌でも思い起こし、何となく背筋が寒くなるような錯覚を覚える。

「はい。こちらがおとなしくしていても、リムウル軍は仕掛けてもきません。我々の力に怖れを為しているのでしょう」
「……それで殿下、王のお話とは、どのようなものだったのですか?」
皇太子は腹立たしげにフンと鼻を鳴らした。
「臆病風に吹かれた老人のタワゴトを聞かされただけだ……バカバカしい」
“そんなことのためにわざわざ私を呼びつけ、一週間も前線を留守にさせるとは……父上も焼きが回ったものだな”

 正確に言うと、彼は王のいるエンドルーアの首都、リーン・ハイアットまで帰っていたわけではない。前線から馬で3日の距離にある、地方都市の領主の館へ赴いていたのだ。そこが、彼の魔力でリーン・ハイアットまで心話が届くギリギリの距離だった。

「と言われますと……?」
「謀反人たちを一掃するために送った特殊部隊が返り討ちにあい、どうやら壊滅状態になったらしい」
「……それで王は何と?」
「侵略軍を引き上げ私に王都を守れだと……何を今更、寝ぼけたことを」
「し、しかし……」
「案ずるな。謀反人たちなど、いざとなれば数で押さえ込める。要はこのリムウルとの戦いに勝てば良いのだ、何も問題はない。……そこでだ。今夜、総攻撃を仕掛けて奴らを一気に叩く」
「しかし……、あまり性急に力の差を見せつけると、敵は王都を守るため、ありったけの兵をフェンリルに集めてしまうでしょう。そうなると攻め落とすまでに時間がかかり、その間に近隣諸国がリムウルに加担し結託する怖れもあると……そのような事態にならぬように、との王のご命令は……」
「まだるっこしい! 私は最初から反対だったのだ。確かに軍の規模を考えればこれまでの策が常套かもしれんが、こちらには魔力と幻獣という武器がある。敵が体勢を整える前にフェンリルまで攻め上り、陥落させることぐらい充分可能だ」
「……」
「……」

 とまどい気味に互いを見交わした二人の側近に、黒髪の皇太子は冷ややかな眼差しを向けた。
「……言っておくが王はもう役立たずの腰抜けだ。お前たちがどちらにより忠誠を示すか、とくと見させてもらうからそう思え」
「い、いえっ、そのような……」
「わ、わたくしは初めから……殿下こそがこの国始まって以来、最も相応しい王であると確信し、お仕えさせていただいておりました」
その場に平伏せんばかりにかしこまった二人の頭上で、皇太子の口元が歪んだ笑いを浮かべた。
「クッ……クククッ……それはいい!! 傑作だ!! ラスキン、よく言った……!!」
「……?!」
立ち上がり、腰に差した長剣をスラリと抜き放った皇太子を、二人は怯えた目で眺めた。
「……そうだ。いずれ近いうちに、私がエンドルーアの王となる。そして同時に、この大陸の覇者となるのだ……」
“あぁ、殺してやりたい……誰も彼も……だが今こいつらを殺すわけには……”

 普段ならかなりの痛みを感じさせるはずの剣を手にしても、新月の今日は何も感じない。しかしこれまでの経験から彼には、日が沈めば魔力が元に戻ることはわかっていた。

 皇太子は右手で持った剣を目の前にかざし、左手の親指を軽く刃に沿って滑らせた。たちまち指と刃に赤い染みが広がっていく。
“血だ……もっと大量の血が見たい……”
「殿下……?!」
「かまうな。大事ない……ところで余興用の女は調達してあるか?」
「は、はい、何ぶん、辺境のこととて都の女と同じレベルとはゆきませんが、何卒ご容赦を……」
「すぐに連れてこい。日が落ちるまで邪魔するな」
「は……」
「お前たちは総攻撃の準備をしろ。日没後すぐ軍議を開く。敵に気づかれないよう、暗くなってから兵を動かし、整列させておけ」

 退出していく二人を見送りながら、皇太子は血の滴る指をペロリと舐め、赤い唇にうっすらと笑いを浮かべた。



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 リムウル軍の陣中。デクテオンのテントで夕暮れ時に始まった軍議は、早々にお開きとなった。話し合いの材料となる新しい情報が、何もなかったからだ。

 アイリーンは、ギメリックを癒すため結局、ほとんどの魔力を費やしてしまった。心配していた体調の悪化はなかったものの、自分とギメリックの魔力の気配を隠すための結界を、かろうじて保っているという状態だった。眠りによって魔力が回復するまでは、敵陣の偵察など、むろん出来るわけがない。フレイヤの涙の主と言えど、魔力が使えないのでは常人と何ら変わらなかった。

 仕方がないので彼女は正直にそのことを軍議で話した。そして明日の朝、夜明けとともに偵察を行なうことを約束した。
 昼間、彼女の魔力を目の当たりにした者たちは異議を唱えようとはしなかったが、その場にいなかった武将たちの間からは不満の声が上がった。しかし彼らをうまく取りなして、ユリシウスが丸く収めてくれた。
 昨夜もかばってもらったことを思い出し、荒々しい武将たちの中でひときわ優しく穏やかな雰囲気の彼は、どうやらそういう役回りになることが多いらしい……とアイリーンは思った。第二王子という身分の高さ、そしてデクテオンが彼を尊重している様子のため、居並ぶ将軍たちも彼に敢えて逆らうような発言はしないようだ。
 おかげでアイリーンは窮地に立たされることもなく、何とかエンドルーア王代理として威厳を保ったままテントを退出することができた。

 遮るもののない草原の空は、沈んでしまった太陽の輝きを微かに残すほの暗い紫色から、濃い藍色へと、美しいグラデーションに染め上げられていた。陣の要所要所に、雑兵たちがかがり火を灯していくのが見える。
 それぞれ自分のテントへと引き上げていく男たちからチラチラと視線を投げかけられるのを感じ、アイリーンは少し緊張しながら、自分もギメリックの眠るイスカのテントへ帰ろうと足を踏み出した。
 その時、後ろから軽く肩に触れるものがあり、彼女は振り返った。そこにはユリシウスが笑顔を浮かべて立っていた。背後にはやはり、従者が控えている。

「良かったですね、彼に回復の兆しが見えたと聞いて、私も安心しました。今、イスカに言って滋養のある食料を調達させていますので、後で届けさせましょう」
「あ……ありがとうございます」
本当に嬉しそうに笑った彼女を見るのは、たぶん初めてだった。その笑顔は花のように愛らしく、ユリシウスは自分の心までほんのり暖まるような気がして嬉しかった。

「それで……あなたのことは、何とお呼びすればよろしいのですか? 失礼ながらお聞きするのを失念していて……今、声をかけようとして困りました。エンドルーア王代理、では呼びづらいですからね」
そう言えば、自分はまだ名前も素性も言っていなかった……と気づいて、アイリーンは口を開いた。
「こちらこそ、失礼を……私は……」
名のろうとして、ハタと思いとどまる。

“どうしよう……アドニアで、私はまだ姉を殺した魔女と思われているのだろうか……”
もしもその風評がリムウルにまで届いていたら、せっかく得た信用を失ってしまうかも知れない……。

  アイリーンが困った顔で黙ってしまったのを見て、ユリシウスは首を傾げながら微笑んだ。
「……それでは当面、ただ“姫”と呼ばせていただきましょう」
「え……」
アイリーンは驚いて目を見張り、ユリシウスの顔を見上げた。動揺のため、どっと頭に血が上って来る。
“ど、どうしてわかったのかしら……? アドニアの王女ってことまで、この人は知ってるの……?”

 焦った様子の彼女が今にも逃げ出してしまいそうだったので、ユリシウスは思わずアイリーンの手を取った。
“えっ……???”
 夜目にも、彼女が増々赤くなるのがわかる。透き通るように色が白いため、頬ばかりでなく美しい首筋や柔らかそうな耳たぶまで、すぐに血色を映してしまうのだ。
 またしても、つい先ほどまでの落ち着き払った威厳ある様子から、ひどく幼く可愛らしくなってしまった彼女の鮮やかな印象の変化に、ユリシウスは目を見張る思いだった。

 彼は優しい声で、ささやくように言った。
「……すみません。困らせるつもりはなかったのです。あなたの立ち居振る舞いや仕草が、とても堂々として美しいので、そう呼ばせていただこうと思っただけですよ」

「あ……そうですか。ええ、その……ありがとうございます……」
“バカバカ!! 私のバカ!!”
アイリーンは地面の下に隠れてしまいたいほど恥ずかしかった。これでは自分から暴露してしまったようなものだ。
 恥ずかしいのはそのせいばかりではない。ユリシウスが手を放してくれないので、彼との距離が近すぎるのだ。振り払うのも失礼な気がして、アイリーンは困惑気味にうつむいた。
「あの……今日は、本当に、ありがとうございました。……では、また明日……」

 ユリシウスは名残惜しく思いながらも、彼女が困っているのを感じて手を放した。
「……すっかり暗くなってしまった。テントまで、送って行きましょう」
「いいえ、すぐそこですから……」
派手に首を振られて、ユリシウスは仕方なく言った。
「そうですか……? では、ここで……」
「はい、失礼します。お休みなさい」
明らかにホッとした様子の彼女に、切なさを覚える。
帰っていく彼女を見送りながら、ユリシウスは一つため息をついた。
“何だろう……こんな気持ちは初めてだ。きっと随分、年下だろうと思うのに……”

 子供はまだいないが、ユリシウスにはすでに2人の妻がいる。どちらの時も大して気乗りはしなかったが、王家に生まれた者の務めだと言われ、素直に従ったまでのことだ。有力な貴族の後ろ盾を得るための、言わば政略結婚のようなものだった。

 リムウル王家では身分が高いほど大勢の妻を持つのが当たり前で、第二王子という彼の身分を考えればむしろ少な過ぎると言えた。8人の妻とその倍の数の愛妾を持つ兄からは、変人扱いさえされている。

 ユリシウスは立ち並ぶテントの陰に見え隠れする彼女の姿を目で追いながら、従者に尋ねた。
「なぁレモール。彼女はどこの姫だろう? 彼とは、どういう関係だと思う?」
「……知るわけないでしょう、私がそんなこと」
憮然とする従者には目もくれず、ユリシウスは胸を押さえてまた一つため息を吐いた。
「そうだな、知るわけないか……そうだよな……」

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