薄明宮の奪還 更新日:2007.10.20


第4部 リムウル〜エンドルーア

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 第1章

13.幸せの在処



 ギメリックは気遣わしげな目をして、彼女の涙を拭こうとするかのように、傷ついた右手を差し伸べてきた。アイリーンはその手をそっと、いたわりながら、自分の両手で包み込む。
「あなたが目を覚まさないから、私てっきり……術が効かないのかと思った……」
ささやくようにそう言うと、また一粒、涙をこぼした。
「良かった……」
安堵の息を漏らし、包み込んだ彼の手に頬を寄せる。

 ギメリックは、まだ完全には覚醒していないようだった。
ぼんやりした目を宙にさまよわせた後、眉をひそめて再び目を閉じた。
「あ……待って、せめてお水を……」
また眠ってしまうのではないかと、アイリーンはあわてた。

 ギメリックは奥歯を噛み締め、苦痛に耐えながら考えていた。
……何だこの気分の悪さは。
荒れていた頃、深酒をした時でさえ、これほどひどくはなかった。
おまけに体が鉛のように重い。
いったい、俺はどうなったのだ?
記憶を辿ろうとしても、頭が痛くてまともに考えることもできない。

 そうこうするうち、ふいに、唇に柔らかいものが触れてきた。驚いて目を開くと、すぐ目の前に彼女の長いまつげが見える。口の中に流し込まれる水がなくなると離れていこうとする彼女を、思わず両腕で抱いて引き止めた。

  自分の上でジタバタしている彼女の体の暖かさと柔らかさが、急速に現実感を呼び戻す。
「……? お前……なんでここにいる?」
腕を緩めると彼女は少し身を起こし、恥ずかしそうに頬を染めながらも、じっと見つめてきた。
「……わかる? ずっと眠ってたのよあなた……」
考えようとするのだが、痛みはましになったものの頭にかすみがかかったようで、何も思い出せない。ぼ〜っとしたまま、目の前にある彼女の顔にただ見入っていると、アイリーンがささやいた。
「ねぇ、重いでしょ? 傷に障るわ……放して」
「……水」
「え?」
「今のじゃ足りない。もっと飲ませろ」
「……え、と……」
見る見るうちに彼女の頬が増々赤くなる。
「わ、わかったから……手を、放して……」
うろたえる彼女がとても可愛かった。
「……ギメリック! 放してってば!!」
しぶしぶ手を放すと、彼女は出来るだけ体重をかけないようにと気を遣う様子で、そうっと体を起こした。傍らに置いた器を手に取り、水を口に含む。そしてこちらに振り向いたとたん、ゴクンと自分で飲んでしまった。湯気を出さないのが不思議なくらい、首から上が真っ赤だ。オロオロと目を泳がせながら、彼女は言った。

「あの……め、目を、閉じてて欲しいんだけど」
「……」
「お願い……は、恥ずかしいから……」
急にまた、現実感がなくなってきた。
ギメリックは目を閉じて考えた。
これは夢なのか?……なんでこうなったのか全然わからないが、もうどうでもいい……。

 彼女からの2度目の口づけを受け、水を飲みながら、彼は再び腕を回して彼女の体を抱きしめた。水とともに、腕の中の心地よい温もりが心と体に染みこんでくる……。

ギメリックは満足そうなため息を一つ漏らした後、また眠ってしまった。



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「ヴァイオレット……。もう、終わりにしちゃダメ……?」
ヴァイオレットは振り向き、ベッドに横になっているギメリックを見た。
「石を渡してよ。あいつを倒しに行くから……」
「王子……」

 村人の心ない一言をきっかけに、ヴァイオレットの封印が解けてしまったとき……襲って来た記憶の雨に打たれてギメリックはその場で昏倒してしまった。彼を小屋に運んだヴァイオレットは、村を出る支度をしていたところだった。

「……まだ早過ぎます。石の魔力を使っても、今のあなたに、あの男に勝つことはできません」
「……別にいいよ。勝てなくても」
「王子……!!」
ギメリックは腕を上げて顔を覆うと、ヴァイオレットに背を向けた。
「だってそうすれば、父様のところへ行ける……ぼくが……ぼくのせいで、父様は……!!」

 事件の直後は逃げることで精一杯だった。その上、怪我と魔力の消耗のためほとんど意識もハッキリしない状態だったギメリックは、2年の歳月を経て記憶が戻った今、初めて自分の罪を思い知ったのだ。

 ヴァイオレットはベッドのそばに歩み寄り、震える彼の肩にそっと手を置いた。
「……あなたのせいではありません。あの男は何をあなたに吹き込んだのです?」
彼の記憶を読むことで、ヴァイオレットにはだいたいのことは察しがついていた。けれどまだわからない部分もあったし、改めてそう問うことで、彼女はギメリックの心を軽くしようと思ったのだ。

「……あいつ、言ったんだ……いかにも、心配だ、っていう顔をして……“王の魔力と体力は儀式によって日々蝕まれています。このままではとても、あなたが16歳になるまでもたないでしょう”って。それに……教えてよ。ぼくの魔力と石の力があれば、あの魔物を元いた場所へ送り返せるって、本当なの?」
「それも、あの男に教えられたのですか?」
「……」
「……その可能性がある、と言っていただけなのですよ、暦司の研究会議では……。何しろ前例がないことなのです。神々でさえ果たし得なかったことを、どうして自分が出来ると思ったのですか?」

そう、それだけが彼女には不可解だったのだ。たった9歳だったギメリックが、いくら父の身が心配だったとは言え……そして確かにその時すでに、非常に強い魔力の持ち主だったとは言え、一人であの魔物と戦おうとするなど……狂気の沙汰だ。

「あいつは……あの魔物は、帰りたがっていたもの。ぼくが手を貸してやれば……元いた世界へ送ってやれる。そんな気がしたんだ」
「魔物の心が、読めたと言うのですか……? まさか、そんな……」

 あれは異質なものだ。完全に、この世界の理(ことわり)から外れた存在……どこから、なぜ来たのか、誰も知らなかった。神々でさえ。……世界がまだ混沌の渦だった頃、どこか別の次元からまぎれ込んできたのだと言う者もいたが、それすら真実かどうかなど、むろん誰にもわからない。
 この世界の生と死という概念さえ当てはまらないその存在を、この世界から追放する方法はただ一つ、あれが来た道を再び開き、あれが元いた世界へ送り返すこと……。
それは確かに、暦司の研究会議で、ヴァイオレットが語ったことだった。

「……ぼくの気のせいだったのかも知れない。だけどぼくには、たっぷり時間があったから……一人でいる時、いつもあいつの気配を感じていた。父様は、石を身につけるようになってからそうなった、って言っていたけど……ぼくはもう、小さい頃から、そうだったんだ……」
ギメリックの声に自嘲の色が混じるのを、ヴァイオレットは痛ましい思いで聞いていた。
「だからなのかな? 母様が……みんなが、ぼくを怖がったのは……。ぼくも始めは怖かったよ、だけど、わかったんだ。あいつはぼくとおんなじだって……」
「同じ……?」
「この世界へまぎれ込んできてから……あいつはずっと、ひとりぼっちだった。だってどこにも、自分と同じ存在はいないんだもの。人の魂を喰うのは、そうしなきゃ飢え死にしちゃうからだよ……どうしようもなかったんだ。なのに、わけもわからず閉じ込められて……長い長い間、ずっと一人で……帰りたくなるのもわかるよ……そう思ったんだ」

「……危険だとは、思わなかったのですか……?」
「……」
彼の無言の中に、ヴァイオレットは感じた。そう、彼にはわかっていた……無理をすれば、自分の命も危ういこと、または魔力を失うことになるかもしれないと……。しかし彼にとってそれは、望むところだったのだろう……クレイヴは結局、彼の心に巣食う自己破壊願望を巧みに利用したのだ。

 どうして気づいてあげられなかったのだろう……何不自由ない王宮の暮らし、両親がそばにいて、それでも彼の心は常に孤独の闇の中に一人、さまよっていたのだと……。いや、気づいてはいた、だからできる限りのフォローはしていたつもりだった。けれど自分は王家に仕える臣であり、彼の家族ではない……自然、出来ることには限界があった。村に来てからのこの2年も、自分は臣下として……彼の教育係として、厳しい態度で接してきた。けれど……

「ギメリック……あなたは、死んではいけません」
初めて名前で呼ばれたことに違和感を感じ、ギメリックは身じろぎをした。
「……正統な王位を取り戻すため? でもそんなの、誰も望んでない……村の人たちも、あんなに……ぼくを憎んでいるじゃないか」
「いいえ。あなたにはまだ、この世で学ぶべきことが残されているからですよ」
今度こそギメリックは振り返り、ヴァイオレットを見上げた。
「学ぶべきこと?」
ヴァイオレットはうなずいた。
「人はみなそれぞれ、試練とそれに見合う幸せを与えられるものです。あなたは大きな試練を課せられてこの世に生まれてきた。だから、それに見合う大きな幸せが、きっと待っているはず……あきらめないことです。この世には変わらないものなどありません。人もまた、どんな風にでも、変化できるのですから……」
 黒い瞳に限りない慈愛をたたえ、ヴァイオレットは優しく彼の額に手を置いた。
「さあ、お眠りなさい。もう一度、記憶に封印をかけましょう……あなたの眠りが安らかであるように。“その時”が来るまで、あと4年あまり……それまでは、この封印があなたの心を守ってくれるよう……わたくしが、あなたの夢の番人になりましょう……」

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