薄明宮の奪還 更新日:2007.09.21


第4部 リムウル〜エンドルーア

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 第1章

7.跳躍


 自分はなんと役立たずなのだろうか……。こうなるとわかっていたなら、せめて薬草を持って来たのに。もう一度、村へ帰って取って来られたらいいのに……。

 アイリーンはそう思ったが、自分でも予想外のことで、肉体ごと空間移動などもう二度とできない気がした。第一、もしできたとしても、今度はここに戻って来れなくなるかも知れない。そう思うと、やってみる気も起きなかった。

もう離れたくない……そばにいて、何か出来ることをしてあげたい……。

 ギメリックの冷たい頬に触れ、アイリーンは涙を流した。
あれほど強かった魔力の気配が、ほとんど消えかけている。このまま目を覚まさなければ、この人は死んでしまうだろう。いったいどうすればいいのか……。

 気がかりなのはそれだけではない。自分が不用意に漏らした一言のせいで、今、彼と自分は窮地に立たされているのかも知れないのだ。

「お願いですから、ここで待っていてください、どこへも行かないで……いいですか?」
と、そう言いおいてテントから出て行ったあの男……。
 鋭い目つきと頬にうっすらと残る傷跡、そして落ち着いた物腰が、かなりの剣の使い手だと思わせるその男に、アイリーンは見覚えがあった。確かにギメリックと一緒に戦っていた男だ。
 そうとわかって警戒を解いたのもつかの間、ギメリックの名を口にしたとたん、男が激しく動揺するのを感じてアイリーンは愕然とした。何と言うことだろう、役立たずなばかりか、自分は彼が明かさなかったことを暴露してしまった……。

 魔力を持たない者の思考を読むことは、彼らが普通の精神状態のときは困難だ。しかし、激しい感情に揺さぶられている時は、その思いの強さゆえ、読もうとしなくても伝わって来ることがある。
 アイリーンはイスカの思考を読み、彼が、そしておそらくはここにいる人々全員が、ギメリックの素性を知らずにいることを悟った。

 ギメリックの傷にはきちんと手当がしてあり、彼が寝かされている床も、物資の限られる軍の野営地のことと考えれば、出来うる限りの優遇を受けていると察することができるものだった。しかし……彼が敵国の皇太子と知って、果たしてリムウルの人々はどうするだろうか。
 どうやらギメリックと共に戦ったあの男は、自分の中の疑念にけりをつけたようだったが、他の人々は……?

 ギメリックが何を考えていたのかわからない今、もうこれ以上、うかつなことは言えないのだ。何とか自分たちの素性をごまかし続け、彼の回復を待たなければならない。
 果たして自分にそんな芸当ができるのだろうか? ……何もかもが恐ろしい。
でも、自分がしっかりしなければ……。

 アイリーンは片手でフレイヤの涙を握りしめ、もう片方の手でギメリックの手をとって、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「大丈夫……今度は私が、あなたを守るわ……」



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「……で、例の男はまだ目を覚まさないのか」
「はい」
ユリシウスは、父、リムウル王グラディールに良く似た面差しの、いかつい兄の顔を見返した。赤銅色の髪も茶色の瞳も、その気質さえ、兄デクテオンは父に生き写しだ。

 エンドルーアの小隊に夜襲を受けてから一週間。兄の率いる先攻軍が敵軍と対峙する、この前線に到着したのはつい昨日のことだ。すぐさま兄に目通りし、事の次第をつぶさに報告した。幸い軍の損失についてとがめられることはなかったが、突然現れて幻術を使い、リムウルに加勢したという男について、兄は懐疑的だった。

「エンドルーアの民に黒髪は珍しいと聞くが……お前も、何か思うところがあるのではないか?」
父や兄に対し、常に胸の内を正直にさらすことで信頼を得て来たユリシウスだった。しかしなぜかこの時、彼は心に浮かんだことを口にするのをためらった。
「……と言いますと?」
「……」
デクテオンは酒杯を持つ手を途中で止め、よく光る茶色の瞳でじっとユリシウスを見つめた。

 総大将たるデクテオンのテントは広く、各部隊の大将、十数人が勢揃いして軍議を開くにも差し障りないほどだ。しかし夜も更けた今は、許されたほんの数人の側近のみ、兄弟が酌み交わす酒席に同席しているだけだった。

「……昨日は言わずにおいたがな。実は一週間ほど前から、敵の襲撃がピタリとやんだ。……どう思う?」
ここまで誘導されて無視するのは却って不自然だ。ユリシウスは諦めて言葉を吐き出した。
「彼がエンドルーアの皇太子だとおっしゃるのですか? まさかそのようなことは……第一、理由がわかりません」
「信用させてお前の寝首をかくつもりだったのかも知れんぞ」
「ならば私のようなつまらぬ者より、兄上を狙った方がよほど我が軍にとってのダメージになるでしょう」
「俺がたやすく人を信用せぬことはよく知られているからな。それに俺は戦場で、遠くからチラリとだが奴を見たことがある。あの男と同一人物かどうか判別できるほどではなかったが、用心するのが普通だろう。……しかし、ふむ……」
デクテオンはしばし自分の考えに沈み、そして言葉を継いだ。
「その男が死んでしまうとなれば、我らは救世主を失うのか、それともこれ以上戦わずして勝利を手にするのか……いずれにせよさっさとケリをつけたいものよ。こう動きが無いのでは、引くことも攻めることもならん、気が滅入る。……どうせ目覚めぬのならその男、いっそ殺してみるか?」
「兄上。ご冗談を」
ハハハと豪快に笑う兄を残し、ユリシウスは従者とともに退出した。

 自分のテントに向かおうとしたユリシウスを、密やかな声が呼び止めた。振り向くとイスカが控えている。まだ若いが剣の腕は確かで、ユリシウス直属の近衛隊長を務めている男だ。剛胆実直なこの男に、ユリシウスは絶大な信頼を寄せていた。

 どんなに危険な任務にもひるむ様子さえ見せない彼が、何とも言えない、途方に暮れたような表情を浮かべているのを見て、ユリシウスの胸がざわついた。
「どうした? 彼の様子に何か変化があったのか……?」
「はぁ、いえ、それが……」


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