薄明宮の奪還 更新日:2007.02.01
(02.04 加筆)


第3部 リムウル

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 第4章

2.真実



 アイリーンはギメリックの腕の中で、泣き続けていた。
自分はどうしてこんなにも泣き虫になってしまったのかと思う。

 しかし無理もないことだった。幼い子供時代の延長のまま過ごしてきた日々の中、一人ぼっちの寂しさや人々から拒絶される悲しみは、あまりにも日常茶飯事ですっかり慣れ親しんだものになってしまい、泣くほどのことではなかったのだ。なのにギメリックが彼女の前に現れてからというもの、恐ろしいことや訳のわからないことだらけで……心の中に止めておく涙の許容量など、とっくに限界を通り越してしまっていた。

 たとえそうでなくても、自分にとって大切な人を失うと知れば……泣かずにはいられないだろう。
「あなたを愛してる。誰よりも好きよ」
あの言葉は嘘ではない。アイリーンは今でもティレルを愛しているし、少なくともあの時点では、彼のことが誰よりも好きだったのだ……。
ギメリックにとってヴァイオレットがそうであったように、アイリーンにとってのティレルもまた、何者にも代え難い、唯一無二の存在だった……。




「嫌い。お父様なんか、嫌いよ」
あれは、いつのことだったか……。
自分はまだ小さかったから、ティレルと初めて会って間もなくだったと思う。
「君は嘘つきだね、アイリーン」
心外な言葉に顔を上げると、ティレルの青い瞳が優しく、自分を見つめていた。
……そう、覚えている……白い月光に照らされた、彼の髪の銀の輝き。季節はちょうど今と同じ初夏の頃、庭園にはバラの花が咲き競い、ベンチに座った自分の体もバラの香りに包まれていた……。
「嘘じゃないわ。嘘つきは、お父様よ。今日は私とお食事してくれるって言ってたのに……ひと月も前からの約束だったのに」
「嫌いな人に会えなくなったからって、そんなに悲しくなるものかな?」
「……」
またうつむいてしまったアイリーンに寄り添って座り、穏やかな声でティレルは続けた。
「自分の気持ちに嘘をついちゃダメだよ。そんなことしてると、自分にさえ本当の気持ちがわからなくなってしまうから」
アイリーンはにじんできた涙を、手の甲でごしごしとこすった。
「……そうよ、嘘なの。本当は大好き。なのにお父様は私を好きじゃないんだわ……それが悲しいの……」
「そんなことないよ、君の父上は君のこと愛してるよ」
「じゃ、どうして私にもっと会いにきてくれないの……? 私が悪い子だから……?」
「違うよ、王様はとっても忙しいんだ、わかってあげないと。今日だって、どんなに君と会いたかったか……会議の途中で何度もため息をついていたよ、君のこと考えてるんだって、ぼくにはわかったよ」
「……本当?」
優しくうなずき、ティレルはささやいた。
「ぼくも、君を愛してる……だから、君も愛して。信じることをやめないで。……嫌いだなんて言って、君を愛している人たちを悲しませちゃいけないよ」




 ああ、ティレル……!! あの時だけじゃない。私が泣いたり怒ったり誰かを恨んだりするたびに、あなたは優しく私をさとして、私の心を明るい方へと導いてくれた。ユリアがいなくなってしまった後、ひとりぼっちの私を慰めてくれたのはあなただけ。あなたがいたから、私は人を愛し、信じる心を失わずにいられたの。そんなあなたが、なぜ……?

 今こそ、本当のことを知らなければならない時なのだ。真実から目を背けていては何も解決はしない……。
 アイリーンは覚悟を決め、ギメリックの胸に埋めていた顔を離して涙を拭いた。きっとひどい顔をしているに違いないと思い、うつむいたまま尋ねる。
「私に会いにきてくれたティレルはいつも、とても優しくて……狂王に強制されたからって、あんな恐ろしいことができるような人じゃないはずよ。なのに……どうして彼が“黒髪の悪魔”なの?」
「……お前が会っていたのはティレルの、超自我と呼ばれるものに近いだろう」
「超自我……?」
「そうだ。二重人格の片割れと言ってもいい。もともと、その気質があったのか、それともクレイヴの育て方に問題があったのかと思っていたが……今はわかる、おそらくクレイヴはたびたび、あいつに残酷な行いを強制した、だからあいつは自分の心を守るために、自分の中に別の人格を作るしかなかったんだ」

 ギメリックの声に含まれる何かが、アイリーンの顔を上げさせた。
トパーズの瞳の中に苦渋の表情を読み取り、アイリーンは眉をひそめる。
「……なぜ、そのことにまであなたが負い目を感じなくちゃいけないの?」
心の中を見透かされ、ギメリックは重く息を吐いた。まっすぐに見上げてくるアイリーンの瞳から目をそらし、胸に支える塊を吐き出すように言う。
「……助けてやれる、はずだった。最初に気付いたのは俺で、知らせを受けてヴァイオレットも俺の父も、どうにかしようと考えていた矢先だったんだ。あんなことさえなければ、お前のティレルはあれほどまでに狂うこともなく、侵略軍を指揮するようなことにもならなかったはず……っ!!」

 いきなりアイリーンがギメリックの耳をぎゅっと引っ張り、自分の方に彼の顔を向けさせたので、ギメリックは驚いて彼女を見下ろした。まだまつげの先に涙の粒を光らせながら、しかし彼女の瞳は怒っていた。
「ねぇ、ギメリック、何もかも自分のせいだと思うのは、やめましょうよ……あなた言ったじゃない、済んでしまったことを言っても始まらない、って。もちろん、そんな言葉一つで全てが許されるわけじゃない、それはわかる。でも、あなたはもう充分すぎるほど苦しんできたわ。きっとエンドルーアの人たちもわかってくれると思うの……」

 ギメリックは無言でまた顔を背けた。そして彼女を押しやり、腰掛けていたベッドから立って戸口へ向かう。
「ギメリック……?」
ドアの前で振り返り、彼は言った。
「お前には出来ないだろう、たとえ石の魔力を自由に使いこなせるようになっても……だから、俺がやつを殺してやる。お前は狂王を倒すことに全力を傾けろ」
 背をむけ、ドアを開けて出て行こうとするギメリックを見てアイリーンは慌てて立ち上がった。
「ちょっと待って! まさか今から彼を殺しに行くって言うんじゃ……」
肩越しに彼がまた振り返る。
「バカか。そばにいると言っただろう。……外に寝にいくだけだ。お前ももう少し横になって、朝まで休め」

 さっさと扉を閉めて出て行ってしまった彼を追いかけようとして、アイリーンはバッタリその場に倒れてしまった。体に力が入らず、動けない。
しかし心の中には、わき上がってきた怒りのエネルギーが充満していた。
「……ギメリックの……」

“バカ〜〜〜〜ッッ!!!”

 思いっきり心話で叫んだので、またも激しい頭痛が襲ってくる。しかしアイリーンはかまわず叫び続けた。
“なんでそんな憎まれ口を言うのよ?! フレイヤの涙なしでティレルを殺せるなら、あなたはとっくにそうしていたはずよ! それができないから石を捜していたのでしょう?!”

  クレイヴは幼い頃からのギメリックの性格を熟知していて、魔力戦となれば必ず彼の心の中にある罪の意識を責め立て、死の安息へと誘いをかける……そしてティレルは、かつて彼を弟のようにかわいがっていたギメリックの優しさにつけ込み、弱者の顔をして隙をうかがう……。自身の中に、どうしようもない虚無の暗黒があることを自覚していたギメリックには、精神戦で彼らに勝つ自信がなかったのだ。しかし、エンドルーアやソルグの村の人々ために、負ける訳にはいかない戦いだった。そのために彼は、何年もフレイヤの涙を探してさまようことになったのだ。

 アイリーンは床の上で体を丸め、キリキリと頭を締め付ける痛みに耐えてさらに心話を送った。
“私が戦うわ! そしてティレルを殺さなくても薄明宮を取り返せるように、うんと魔力をつけて強くなる!! だから……”
「もういい、やめろ!!」
ギメリックの腕に抱き上げられても、アイリーンはあまりにもつらくて目を開けることすらできない。しかしその唇から、小さく声が漏れた。
「もう、苦しまないで……」


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