薄明宮の奪還 更新日:2007.01.17


第3部 リムウル

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 第4章

1.始まりの日



 気がつくと、目の前にギメリックの寝顔があった。
“わっ……!! ああぁっ?! な、何?!……?!”
びっくりして声を上げそうになるのをかろうじて抑え、アイリーンは息を整えた。
 彼が思いとどまってくれたことに安心して……どうやら、彼に抱きしめられたまま、眠ってしまったらしい。そして彼もそのまま寝てしまったのだろう。
 時間の感覚がすっかりおかしくなっていたが、窓から差し込む光の様子から、もう夕方になっていると知れた。

 “ど、どうしよう……”
離れたくても、彼の腕がしっかり自分の身体に巻き付いていて、身動きすると彼が起きてしまいそうだ。この状況でそんなことになったらと思うだけで恥ずかしくて、パニックの度合いが段々ひどくなる。
 彼女の魔力の気配を隠すため、旅をする間に、何度も経験したはずの状況だった、とはアイリーンはまるで気付いていない。一人、焦り続けているところに……。

トントン。
扉にノックの音がして、アイリーンは危うく叫んでしまうところだった。
“きゃ〜〜〜〜!! だっ、誰っ?! どうしよう……!!”
とにかく何とかしなければ……と、思い切ってギメリックの腕をそっとほどき、ベッドから滑り降りる。幸い彼は目を覚まさなかった。

 アイリーンがドアを開けようとした時、
“……ギメリック、……いるの?”
と、ためらいがちな心話が呼びかけてきた。
扉を開けると、美しい黒髪の、若い女性が立っていた。
アイリーンを見ると彼女は腰を落として敬意を表す礼をしながら言った。
「ソルグの村へようこそ。アイリーン様」
アイリーンはとまどい、尋ねた。
「あなたは……?」
すると彼女は優しく微笑み、
「カーラと申します。お体の具合はいかがですか?」と答えた。
そこでアイリーンは彼女が自分の世話をしてくれたのだと気付く。
「ありがとう……助けていただいたのね」
「いいえ、あなたを救ったのはギメリックです。……彼は今どこに?」
とたんに、ボッと火がついたように顔が熱を持ち、アイリーンはうつむいた。
戸口から一歩身を引き、彼の方を見ないようにして指差す。
「あ、あそこで……寝てるわ」
「あら、……まぁ……」
カーラは心底驚いたという顔をして、しばらく彼を見つめていた。
「……無理もないわ。彼、あなたが眠り続けてた間、たぶん一睡もしてなかったから……ここまで来る途中で、何度も戦って魔力も体力も限界だったと思うのに……」
アイリーンは血の気も一気に引いて行く思いで、カーラの顔を見た。カーラはアイリーンに向かってニッコリ微笑んでみせ、言った。
「……でも良かった。彼、ここに留まる気になったのね。だから気が緩んだんでしょ……あなたならきっと、彼を引き止めてくれると思っていました」


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「結婚?!」
素っ頓狂な声をあげたアイリーンを、カーラは微笑ましく眺めた。
「そそ、そんなこと……急に言われても……」
赤くなって慌てる姿も可愛らしい。

 二人は泉のほとりで、肩を並べて座っていた。アイリーンの体調を気遣いつつも、話があるから、とカーラが連れ出したのだ。
「ギメリックとのできるだけ早い結婚を、考えてみていただけませんか?」
単刀直入に切り出したのは、アイリーンの反応を見て見込みがあるかどうか確かめたかったからだ。
“良かった……これなら大丈夫そう。バッチリ相思相愛ね”
ほんの少し胸の痛みを覚えながらも、カーラは自分たちの国の行く末を安堵し、また、薄幸だったギメリックの幸せを素直に喜んだ。

「あの、どうして、そんな……?」
戸惑っているアイリーンに向かって、カーラは言った。
「ヴァイオレット様のお考えで、あなたがフレイヤの涙の主になったと、ギメリックから聞きました。けれど私たちは長い間、ギメリックが薄明宮を奪い返し、エンドルーアの王になる日を待ち望んできたのです。あなたとギメリックが結婚すれば、それが実現するからですわ」
「……」
ギメリックにとってそうであったように、この村の人々にしてみても、自分がフレイヤの涙の主になってしまったことは想定外であり、不本意なことだったのだ……。そう悟ったアイリーンは、心が落ち込んでいくのを覚えた。浮かない顔のアイリーンを見て、カーラは心配そうに尋ねる。
「彼と結婚するのは、嫌ですか?」
「私……わからないわ……」
歯切れの悪いアイリーンの言葉に、カーラは焦ってしまう。
「なぜです? 他に好きな人がいる、というわけではないのでしょう?」
アイリーンは困惑顔でカーラを見上げた。
「好きな人……? もちろん、いるわ」
「……えぇっ?!」
なぜそれほど驚かれるのか不審に思う様子で、アイリーンは増々腑に落ちないという表情になる。
「お父様もお兄様も好きよ、それから、……」
ティレルのことを思い浮べたが、その名がカーラにとってどんな意味を持つのか不安だったので黙ってしまった。
「……乳母の、ユリアも」
カーラはあきれ顔で、困惑しているアイリーンをしばらく見つめていた。
“いったい、どんな育ち方をしたら、この歳までこんなに恋愛感情に無自覚でいられるのかしら……? それとも王家のお姫様って、みんなこうなの?”
この調子だと、カーラが言う「結婚」の核心の部分……男女が共寝すること……に関する知識など、全くないに違いない。

“困ったわ……どう説明すればいいのか……”
しばし逡巡するが、とうとう、諦めモードでカーラはため息をついた。
“これは、ギメリックにがんばってもらうしか、ないわね……”
「あの、……?」
カーラはわけが分からない様子のアイリーンに微笑んでみせ、首を振った。
「いえ、いいんです。今言ったことは忘れてください。……でもね、アイリーン様。お父様やお兄様とは、結婚できないでしょう? そのことを、よく考えてみてくださいね?」


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 カーラが帰る頃には日もすっかり暮れてしまい、小屋に入ると中は闇に包まれていた。けれど魔力のおかげで、ギメリックがまだ眠っているのがちゃんと見て取れる。丸三日眠り通した後、さらにほぼ一日眠ってしまったアイリーンは、さすがにもう眠れそうになかった。
 少しお腹が空いてきたな、と思い、カーラが持ってきてくれた食べ物をテーブルに並べる。その中には、動物の肉らしきものも入っていた。それを見てアイリーンは、自分は旅の間、随分ギメリックに面倒をかけていたに違いないと思う……。

 アイリーンは眠っているギメリックのそばに近寄って彼の寝顔を眺めた。
長いまつげも……少し伸びてきた黒髪も、とても綺麗。
でも一番綺麗だと思うのはやっぱり彼の瞳、トパーズのような、太陽のような、蜂蜜のような……。だけどその“暗黒の7日間”のフレイヤを思わせる瞳と髪のせいで、そして強大な魔力の気配のせいで、エンドルーアの人々から恐れられて……。どれほどの孤独を、彼は抱えてきたのだろう。
そう思うと、彼を抱きしめてあげたい衝動にかられたが、もちろんそんなことはできない。

 カーラが帰り際に、気遣うように言ってくれた言葉が印象に残っていた。
「あの……ずっと彼のそばにいて、平気なんですか? もしもあなたがそうしたかったら、私たちの家に、来ていただいていいんですよ?」
……平気じゃないわ。私だって怖い。でも私には、この恐怖の気配が、何だか昔から知っていた、馴染みあるもののような気がするの……だからなのかしら? きっと他の人よりは、私はこの気配に免疫があるんだわ……。

 むしろ私は違う意味で、この人が怖かった。そうよ、初めて会ったときから……私にとってこの人は、母の形見であり、ティレルとの絆だった石を奪いに来た、略奪者だったから。彼を“黒髪の悪魔”と思い込み、残酷で恐ろしい人だという先入観もあった。それに彼の私を見る、怒りと憎しみに満ちた目が、怖かった……。

 だけど今ならわかるわ。彼が私を憎んだ訳が……。
ギメリックは父親が生きていた頃から、関係が希薄だった本当の母親の代わりに、ヴァイオレットをまるで母のように、姉のように慕っていたのだ。そして父亡き後の長い間、彼女はギメリックにとって唯一の理解者であり、導師であり、そして何より、日々の暮らしの中で愛を注ぎ合う、たった一人の家族だった……。

 その彼女を失い、凍えるような孤独と罪の記憶に苛まれながら何年も一人さまよい……やっと、見つけ出したフレイヤの涙がもう自分のものではないと知ったとき……彼の怒りと絶望は、どれほどのものだっただろう……。
“……ごめんなさい……本当に……ありがとう……”

「なんだ……お前、まだ泣いているのか……?」
声をかけられて顔を上げると、ギメリックが目を開けていた。
慌てて涙をぬぐい、アイリーンは首を振る。
そしてルバートとの戦いの最中に気付いてしまったこと……ティレルの真実を確かめるために、口を開いた。

「あなた、アドニアで、石を奪いに来たとき……ティレルは現エンドルーア王の息子、って言ったわよね」
 ギメリックは一瞬、ハッとした様子ですぐに起き上がった。そして真一文字に唇を引き結び、無表情にアイリーンを見返す。
 嘘やごまかしはもう通用しない。いや、始めから、いつわりなど言うつもりはなかった。ただ、彼女が真実を悟るその時までは、口をつぐんでいようと思ったのだ。ティレルを想う、彼女の心を守るために……。

 この表情には見覚えがある……と、アイリーンは思った。
以前にも、誰かが、こんな顔をして自分を見つめていた……。
同情? 哀れみ?……違う、これは……私を気遣う優しさ……思いやり。
彼女の脳裏に突然、兄の言葉が蘇った。
“どうしても聞きたい? 君は知らなくていいことだと言っても?”
アイリーンは確信した。この人は、私に聞かせたくなかったのだ……なぜなら、聞けば私が、ショックを受けるから……。

  アイリーンは無理矢理、ほほえんでみせた。
「ありがとう、もういいの。……私、わかったから。ティレルが……」
声が震え、うまく笑えない。勝手に溢れ出した涙に気付かないふりをして、アイリーンは続けた。
「……偽物のあなただってこと。……ね、そうなんでしょ?」
痛ましげに見返す、彼の瞳がその答えだった。


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