薄明宮の奪還 更新日:2006.11.13

第3部 リムウル
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 第3章

11.宿命


 深い眠りからアイリーンを揺り起こしたもの。
それは、首にかかったペンダントから流れ込んできた、ある恐ろしい“気配”だった。
 アイリーンはもう知っていた。その気配の正体が、エンドルーアの王宮、薄明宮の地下深く封じられた魔物のものであることを……。

 どうしてなのか、アイリーンにも、よくはわからない。石の主として力を得て、ティレルにかけられた封印が解けてしまったのか……眠り続けていた間、彼女の魂はまたも体から浮遊し、遠くエンドルーアへと旅をしていたのだ。ギメリックがそのことに気付かなかったのも無理はない。戦いで魔力を消耗していた上に、アイリーンの魂は距離とともに時間を超えていたのだから。

 魔物への恐怖にうなされながら、アイリーンは目覚めた。静まり返った小屋の中に視線をさまよわせ、そこにギメリックの姿がないことを知る。半ば無意識に魔力を使って探ってみたけれど、小屋の外にも彼の気配はなかった。
“行ってしまった……私を置いて……どこへ……?”
 アイリーンの脳裏に突如、彼が自ら命を絶とうとしていた姿がまざまざとよみがえった。永遠に彼を失ってしまったのだという恐ろしい喪失感に目の前が真っ暗になる。同時に襲ってきた激しい頭痛に悲鳴を上げ、恐怖と不安に押しつぶされそうになりながら、アイリーンは思わず心話でギメリックを呼んでいた。

 すぐに返ってきた返事に少しだけホッとしたものの、一刻も早く彼の無事な姿が見たい。アイリーンはまだ痛む体を無理矢理起こし、ベッドから降りて戸口へと向かった。けれども二、三歩歩いたところで倒れそうになり、そのままうずくまってしまった。
 テーブルの足につかまって、頭痛と気分の悪さに耐えて目を閉じていると、眠り続けていた間に見てきた様々な場面が頭の中に押し寄せてくる。混乱と悲しみの巨大な渦に飲み込まれ、心がバラバラに引き裂かれてしまいそうだった。

「……っう……あぁ……っ!!」
苦しみに耐えかね、頭を押さえて叫んだとたん、部屋の中の物がいっせいに宙に浮き、空中を飛び回り始めた。ガタン!ドンッ!と派手な音を立てて壁や天井に物が当たる。
「きゃっ!!」
ヒュッとすぐそばを飛んで行った大きな物をよけて、アイリーンが首をすくめたとき。
バタン!とドアが開いた。
「何をやってるんだ!!」
声と同時に、浮いていた物の動きがピタリと止まり、ゴトゴトと落ちてきた。
自分の上にも落ちてくるのではないかと首をすくめたままだったアイリーンは、強い腕に抱き上げられるのを感じ、やっと目を開けた。

「魔力の暴走か……どうしたんだ、いったい? よく眠っていたと思ったのに」
見慣れたトパーズの瞳が、すぐ近くで気遣わしげに自分を見下ろしている。アイリーンにはそれが、この世にまたとない、尊く美しい奇跡の宝石と思えた。こみ上げてくる涙を押さえ込むように、アイリーンはまたギュッときつく目を閉じ、ギメリックにしがみついた。
「……あなたがどこかへ行ってしまったかと思って……」
「……」
どうしてこうも余計な時に察しが良いのかとあきれながら、ギメリックは無言で彼女を運び、元通りベッドに寝かせた。毛布をかけてくれた彼の手をとって、アイリーンは自分の頬に押し当てた。その温かさに目を閉じて安堵の息を漏らし、小さな声でつぶやく。
「……良かった……生きてる……」
「……バカだな。危なかったのはお前の方だ」
“ウソ!……死のうとしていたくせに!”
アイリーンはそう思ったが、口に出すのがためらわれた。
“いったい、何をどう言えば、この人の心の闇を払ってあげられるのだろう……”

 石の力で過去を旅してきたとは言え、訪れた場面はとぎれとぎれで、それらをつなぎ合わせてよくよく考えてみることもできていない。理解よりも混乱の方が大きく、アイリーンの中で全ての謎が解けたわけでもなかった。それでも、ギメリックについて、今はかなりのことを知っている。そのあまりにも悲運に満ちた人生に、自分の方が圧倒され、言うべき言葉が見つからないのだった。

 不安そうに見つめてくるアイリーンに、ギメリックはゆっくりと、噛んで含めるように言って聞かせた。
「ここはソルグの村と言って、魔力保持者たちが住む村だ。大きな結界で守られている、何も心配はない。お前のことも頼んでおいた」
「……どこへも行かないで。私のそばにいてくれる?」
一瞬、うろたえた様子のギメリックに、アイリーンはますます不安そうな表情になり、彼の手を握る指に力をこめた。

 そんな彼女を見下ろし、ギメリックは考えた。
彼女が不安に思うのは……当然かも知れない。同じ魔力を持つ者同士と言っても、村人たちのほとんどは一面識もない他国の民だ。アドニア城の中ですら、ろくに人との関わりがなかった彼女にとって、ひとりぼっちで他人の中に置いていかれるのはどんなに心細いことだろう……。
 それに、村人たちのあの様子では、彼女を石の主と納得したかどうか疑わしい。よもや村から追い出すようなまねはしないだろうが、彼らが本心から彼女を受け入れたと思えるまで、安心できない。

 やがて彼は、諦めたようにため息をついた。
「とにかく、もう少し寝ろ!……ここにいるから」
“せめて彼女の体が回復し、村人たちと馴染めるまで……どとまるしかなさそうだな……”
そんなギメリックの想いを感じ取ったのか、アイリーンは少し落ち着いた様子で、ベッドに身を沈めた。ギメリックは緩んだ彼女の指から手を引き抜き、テーブルのそばから椅子を引き寄せてそれに座った。

 いつもの堂々として威厳のある様はどこへやら、彼は背中を丸めて膝の上でほおづえをつき、窓の外をながめながらすねたように口の中で小さくつぶやいた。
「全く……お前のおかげで、番狂わせばかりだ……」
「……よけいなことをしたと、言いたいのでしょう?」
聞こえるか聞こえないかという声だったのに返事をされ、ギメリックは振り向いてアイリーンを見た。彼女は泣き出しそうな瞳をして、それでもまっすぐにギメリックを見つめている。
「……ああ、そうだ」
ギメリックは一瞬、引きつった笑みを浮かべたかと思うとまた真顔になり、フイと横を向いた。
「なぜ引き返したりした。奇跡的に助かったから良かったようなものの、お前の方が死ぬところだったんだぞ」
「……だって……私を助けてくれたあなたを、放って行けるわけ、ないじゃない」
ギメリックは乾いた笑い声をたてた。
「ハ!……どいつもこいつも、おめでたいことだ。……助けた?……俺がお前を?」
皮肉な笑みを浮かべ、再びアイリーンを見る。そのトパーズの瞳には、初めて会った頃と同じ、刺すような鋭さと、ほの暗い闇が宿っていた。
「俺はただ敵を討ちたかっただけだ。両親の敵、そしてヴァイオレットの……。その目的のためにお前の力を利用しようと考えた、だからお前をアドニアからここへ……」
「……やめて! もういいわ!!」
アイリーンは耳をふさぎ、聞くまいとした。あまりにも彼の心が痛々しくて、聞いていられなかったのだ。

“うそつき! 私、知ってるわ……あなたが目的を果たすため一番簡単にできたことは、私を殺して石の力を奪うことだって。私がルバートに捕まった時も、見殺しにすることもできたはずなのに……”
 とうとうあふれてきた涙を見られないように、アイリーンはあわてて寝返りを打ち、ギメリックに背を向けた。

“たぶん、この人には自覚がないんだわ……あなたは誰よりも自分自身で、自分の罪が許せないのね。だから誰とも心を通わそうとせずに、わざと嫌われるように、憎まれるように振る舞って……本当は人一倍優しくて、だからこそ、自分が招いた不幸に巻き込まれた人々に対し、負い目と責任を感じているくせに……。いったいいつまで、そうして自ら人々を遠ざけて、自分自身に罰を与え続けるつもりなの……?
 ああ、でも、あれはあなたの罪じゃない……あなたはお父様の負担を取り除いてあげたかった。そして同時に、魔物とともに自分の魔力を葬り去りたかったのでしょう……? 幼いあなたに言葉巧みにそんな考えを吹き込んだのは、あの男……なのにそれでも、あなたは自分の罪を許せないというの?……あなたとお母様を追いつめたあの噂も、あなたを孤立させるためにあの男が自ら振りまいた嘘なのに……”

 けれど今更、そんな過去の話をしたところで、彼の心に巣食う行き場のない孤独感や厭世観をどうしてあげることもできない。そのことだけは、アイリーンにはわかり過ぎるほどわかっていた。
“この人に今必要なのは、明日を生きるための心の糧なのだ……。だけど、自分に何ができるのか……むしろ彼から石を奪い、生きる目的を奪ってしまったのは、私の方……”

 アイリーンは涙を拭いて半身を起こし、ギメリックに向き合った。
首からペンダントを外し、彼に差し出す。
「……ごめんなさい。これ、返すわ。これはあなたのもの……あなたが生きるために必要なもの」
ギメリックは一瞬、驚いて目を見張った。そして薄く笑みを浮かべ、揶揄するように言った。
「なぜだ? ティレルに会えなくなってもいいのか」
またもこみ上げてきた涙を懸命にこらえて、アイリーンはパッとうつむいた。
“泣いてはいけない……この人の前で、私には泣く資格なんてない……”
ギメリックが味わってきた辛苦に比べれば、自分がティレルを失う胸の痛みなど……きっと取るに足りないことなのだ……。

 アイリーンが涙をこらえているのを見て、ギメリックの口調が少し優しくなる。
「俺にはもう、その石から力を引き出すことはできない。……だから受け取っても意味がない。石の主はお前だ、アイリーン……」
無言で肩を震わせる彼女を、ギメリックは困った様子で眺め、とうとう立ち上がってきてベッドに腰掛けた。ためらいながらそっと手を伸ばし、そして、彼女を引き寄せる。旅の間に何度もそうしたように、細い体を、強く抱きしめた。

 彼女が泣いている理由は、ティレルにもう会えないと言われたことを思い出したからだろうと、ギメリックは思った。
「……ティレルのことはあきらめろ。俺にはそれ以上、言えることはない。せめてもの忠告だ」
 どうして自分はこんなにも、彼女の涙に弱いのか……。
この世界に存在する全てのものに対し、もはや何の望みも執着も、ないはずの身だった。それなのに……アイリーンの華奢な肩が、悲しみに震えているのを見るのは耐えられない。何が何でも、慰めてやりたくなる……。

“俺の過ちの後始末を、お前が引き受ける羽目になったことは、すまないと思う……だがそれは俺が選んだことではない。運命を受け入れ、この村の住人たちやエンドルーアの者たちのために薄明宮を取り戻してくれ。お前の魔力は強い。魔力の鍛錬を充分に積みさえすれば、難しいことではないはずだ。エンドルーア王としての役目を果たすことも、それほどの負担にはならないだろう……”

  ギメリックの父エムリストの魔力は、強いものではなかった。日々魔物の封印を新たにする儀式は、彼の魔力と体力を確実に蝕んでいたのだ。歴代のエンドルーア王の中には、早死にをした者が少なくない。無用な争いを避けるための掟(おきて)が、魔力の強弱にかかわらず年長者に家督を継がせることを強いていたからだ。

 そこまで考えて突然、ギメリックの頭に雷に打たれたかのような衝撃とともに、ある認識が訪れた。
 アイリーンがエンドルーアの王になる。その次に王になるのは彼女の子供だ。しかし、その子供を身ごもるために、彼女は魔力を失うことになる。その時もしも王家の人間が、彼女の他に一人も生き残っていなければ……少なく見積もっても17年、子供の魔力が成熟するまでの間、石の主が不在となってしまう……。

“これはいったい……何の茶番だ、ヴァイオレット……!!”
 今、石の主となり得るほど神々の血を色濃く受け継いでいるのは、クレイヴとティレルを除けばアイリーンと自分だけ。つまり……魔物の封印を守るというエンドルーア王家の宿命を、全うな手段で果たすために……自分は生き続けなければならない。
「ク……ハハッ……」
ギメリックの歪んだ唇から、思わず笑いが漏れる。
“何と言うことだ……俺は好きな時に死ぬことすら、許されていないのか……”

  それだけではない。アイリーンが誰か他の男と結婚し子供を産み育てる、その過程を見守りながら生きるか、そうでなければ自分が彼女の夫となりエンドルーアの王となるしか、道はないのだ……。
“なれるものか! 今さら……ヴァイオレットにその資格なしと判断された俺が王になど……!! 第一、エンドルーアの民がそれを許すはずがない……”

「ギメリック……?」
彼の様子がおかしいことに気付いて、アイリーンが顔を上げる。涙に濡れた青い瞳に見つめられ、ギメリックの葛藤は極限まで振れ切った。
“無理だ……! 俺にはどちらも、……耐えられない!!”
突然立ち上がり、小屋から出て行こうとする彼に、アイリーンはうろたえた。
「待って……!!」
ギメリックは振り向かない。足早に部屋を横切り、ドアに手をかける。
“行ってしまう……今度こそ、彼は帰ってこない……!!”



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