薄明宮の奪還 更新日:2006.10.16

第3部 リムウル
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 第3章

10.村人たち


「何と……村を捨てろと、そう言われたのか?」
白いヒゲの生えたあごを落とし、老人は言った。
「……ええ」
カーラが、沈んだ表情でうなずく。
「無理にとは言わない、お前たちが自ら決めることだ、とも」
ザワザワと、周りに集まった村人たちの間からどよめきが起こった。

 長老の家に、村の主立った者たち、十数名が顔を揃えていた。長老の家と言っても他の家とそう変わりない、素朴で小さな家だった。部屋の中はほぼ人で埋め尽くされている。集会を開く時はいつも、めいめい敷物を持ち寄って床の上に直接座り込むのだ。
 普段は月に一度、農作業が終わった後、夜に行われている集会だった。しかしカーラたちと共に皇太子ギメリックが村に帰還したという知らせは、夜明けとともに一大事として瞬く間に村中に広まっていた。男たちはそれを知ると、呼ばれるまでもなく自ら集まってきていたのだ。

「なぜそんな必要がある? フレイヤの涙が見つかったんなら、すぐにでも狂王を倒せるんじゃないのか?」
男たちの一人が言い、周りの数人が、そうだそうだと言うようにうなずく。
「ダメよ、アイリーン様は魔力に目覚めて間もないわ。石の力を使いこなせるようになるまで、少し時間が必要なの」
「その間に、敵がここを突き止めて襲ってくると……?」
ゲイルの言葉に、カーラはうなずいた。
「彼が言うには、この辺りに照準を絞って何度も探りを入れられれば、魔力の知覚に反応しない空間があることを悟られてしまうのは時間の問題だろうって」
ゲイルはうなずき、他の面々に向かって言った。
「エンドルーア軍はすでにリムウルの国境を破って進軍中だ。街はそのうわさでもちきりだった。目立たない小部隊が先陣として素早く移動してきて、ここを急襲することは充分考えられる」
「だからと言って、村を捨てろとは? ここが一番安全なことは、皇太子殿下も知っているはずだ」
村人の一人がそう声を上げる。
「向こうも必死なのよ。リムウル軍の目をあざむいて、可能な限りの武力で襲ってくるわ。安全とは言えない、むしろここにいては皆殺しになってしまうと、彼は心配してるの」
再びざわめきが起こった。他の国の軍隊ならともかく、相手は魔力のことも熟知したエンドルーア軍なのだ。当然、幻獣や魔力を使っての攻撃も、同時に行われるだろう。

 不安げな顔を見合わせ合っている村人たちを代表し、長老が口を開いた。
「それで、村を捨てて……どうしろと言われるのか? さらに南へ逃げろということかの?」
「それが……」カーラは一瞬、言いよどみ、それから意を決したように口を開いた。
「リムウル軍に守ってもらうのが一番だって」
皆、一瞬、あぜんとし、それから三たび目のざわめきが怒濤のようにわき起った。
「そんな……素性も知れない団体を、国家の軍隊が守ってくれるわけがないじゃないか」
「そうだ、俺たちはエンドルーア国民だぞ? 密偵と思われればそれこそ皆殺しだ」
「だいたい、なんで他国の王女が石の主なんだ?!」
「そうだ、ギメリック様が石の主ならば……」
「ええぃっ!! 静かにせんか!!」
長老の一喝に、男たちは口をつぐんだ。
「……石については、我ら庶民にはうかがい知れぬことがあるのだろうて。ヴァイオレット様が決めたことなら、従うまでじゃ。……そうだな? カーラ」
カーラはうなずき、強い眼差しで、男たちを見回した。
「リムウルは苦戦してるわ。得体の知れない魔物や魔力を過大評価して、軍の士気も落ちているそうよ。軍幹部や王宮はきっと今、それらに関する情報と、エンドルーアの魔術に対抗し得る戦力を、喉から手が出るほど欲しがっているはずだわ。だから、あたしたち魔力保持者の力を貸す代わりに、魔力を持たない村の者たちも含めて軍の庇護下に置いてくれるよう、彼らとうまく交渉すればいい、とギメリックは言うの」

 確かにそれは良い手かも知れないが、そんなに簡単に、リムウルの王宮や軍が我々を信用してくれるだろうか……。
皆の思いはもっともなもので、カーラもギメリックにそう言ったのだった。
するとギメリックは、皮肉な笑みを浮かべて言ったのだ。
「リムウルの使者はアイリーンを見知っている。彼女を連れて行けば問題ないだろう。そして石の主である彼女を王として、お前たちはエンドルーア正規軍の旗を揚げればいい。リムウルとはあくまで対等に、国家としての体面を保つんだ。お前たちが力を貸さなければ、リムウルはクレイヴを王とするエンドルーアの属国になってしまう。そのことを充分にわからせてやることだ」
ギメリックはそれから、少し苦しげな目をしてさらに言った。
「お前たちを戦いに巻き込むのは、本意ではなかったが……フレイヤの涙なしでは、俺も一人でエンドルーアの進軍を食い止めることに、限界がある。アイリーンと村人たちの安全を確保するために、皆を説得してくれないか? 俺がそうしろと言ったのでは納得しない者もいるだろうが、カーラ、お前なら出来るはずだ」
「一人で、って、ギメリック、あなた……」眉をひそめるカーラに対し、反論はさせないという口ぶりで、彼は続けた。
「ひと月ほどは持つと思う、俺が食い止めておく。だがそれ以上は保証できない。必ずひと月以内に、全員で、リムウル軍の庇護下に入れ」
「ギメリック! 王位は、あなたが継ぐべきだわ! それに一人で戦うなんて無茶よ、狂王がまた襲ってきたらどうするの? フレイヤの涙なしで、あなた戦えるの?」
ギメリックは今度はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「あいつにそんな度胸があるとは思えんな。俺が16になる年まで、奴は恐怖に怯えながら王宮に閉じこもっていた。自分の代わりに息子を矢面に立たせ、手先を使って俺たちの行方を探していたようだが、決して、自ら出てこようとはしなかった。ヴァイオレットがティレルに殺されて……俺が16歳を過ぎても一向に襲ってくる気配がないので、俺の方で何かそうできない事情があるのだとわかったんだろう、ようやく大胆になって、野心を実行に移し、自らも魂を浮遊させてあちこち探り始めたようだが……。しかし今回、石の力を操る者と遭遇したのだ。再び戦えば自分の命はないと、怯えているにちがいない」
「だったら、エンドルーアは侵略を諦めて軍を引き上げるんじゃない?」
「さぁ、どうだかな。今となっては、狂気に駆られているのは狂王ではなく息子の方だ……」



「……カーラ?」
名前を呼ばれ、カーラはハッと我に返った。ゲイルが心配そうに自分を見つめている。
「あ、ごめんなさい……ぼんやりしちゃって」
見ると村人たちはまた、口々にあれやこれやと自分の意見を言い合い、収拾のつかない様相を呈していた。
カーラはキッと彼らを見据え、息を吸い込んだ。
「ねぇ、みんな! 聞いて!!」
張り上げられた声に、皆が振り向く。
ヴァイオレットに特別に目をかけられていたことや、ポルと彼女が村でも一番の魔力を誇る姉弟であることなどにより、カーラは村の中で一目置かれる存在だった。普段はことさら強く我を通すようなことはしない彼女だったが、その存在感は皆が認めていた。

「みんな、帰りたくないの? 美しいリーン・ハイアットへ……あたしは帰りたい、一刻も早く! そして両親と兄弟の、ちゃんとしたお墓を建ててあげたい。フレイヤの涙が見つかったのよ、今、その夢は手の届くところにあるわ。でもあたしはそのために何をしたかしら? ギメリックとヴァイオレット様が、薄明宮を取り戻してくれるのをじっと待っていただけ……みんなも、そうでしょう? もうわかっていると思うけど、悪いのは邪な野心を持った狂王で、ギメリックは陥れられただけ、一番の被害者だわ。なのに、ヴァイオレット様が亡くなり、あたしたちがこの村で安穏と暮らしている間も、彼はフレイヤの涙を探してたった一人で戦っていたのよ。今、彼にはあたしたちの力が必要なの。だから……戦いましょう! アイリーン様を助けて、自分たちの手で、故郷を取り戻すのよ!」
水を打ったように、その場の空気が静まった。

 誰もが、ギメリックが16歳になれば彼がクレイヴを討ち果たし、自分たちも故郷へ帰れると思っていた。
だが、ちょうどその頃、ポルとカーラがヴァイオレットの死を感知し、知らせを受けた村人たちは皆一様にショックを受けた。しかしなぜそんなことになってしまったのか、ギメリックはどうしているのか……。何もわからなかった。
 それから一週間ほど経った後、ギメリックはひっそりと長老の元を訪れ、フレイヤの涙を探しに行くと言い残して消息を絶った。一年経ち、二年が経ち、三年が過ぎても、何の音沙汰もなかった。不安な思いで待ち続ける間に、村人たちは次第に、この薄幸の王子の身を案じる気持ちになっていたのだ。まだ少年だった彼に些細なきっかけで憎しみの感情を投げつけ、ヴァイオレットと村を出て行かせるきっかけを作った者さえ、今ではそれを後悔していた。

「あの、さぁ。……あんまり、言いたくはないんだけど……」
部屋の隅で、黙って話を聞いていたポルが口を開いた。
「おれ、思うんだ。あの人が村の外にいたから、今までこの村は見つからずに済んでいたんじゃないかな。時々、密偵とやりあって、敵の注意をよそに引きつけていたのかも知れない。……それにおれ、あの人の魔力の気配を知らなかったから、てっきり探りを入れてきてる敵のものかと思ってたんだけど……何度か感じたんだ。この村の結界の外に、すごく強い魔力の気配。もしかしたら、敵がここを見つけそうなとき、2重にここを守って……」

“勘違いするな。俺は別に、お前たちのために戦っていたのではない”
その場に集まっている者たちの中で、魔力保持者の全員がその声を聞いた。
皆、驚いて顔を見合わせ、それから一番近くにいた者が、サッと扉を開く。
閉め切っていた部屋に、風とともに新鮮な空気が流れ込んできた。
外で乱反射している強い初夏の日差しが、村人たちの目を射る。
その白い光を背にして、ギメリックが立っていた。

眩しげに目をしばたたく皆の前で、ギメリックは静かに歩を進め、長老の前に立った。
「久しぶりだな。長老殿」
「おぉ……ギメリック様……」
長老はつぶやき、そして絶句した。村人たちは一言も発さず、彼を見つめた。
 ほとんどの者は彼が11歳でこの村を去って以来、彼に会っていない。長老でさえ、彼が16の時、一度会ったきりだった。3年あまりの間、たった一人で、いったいどこでどのように過ごしてきたのか……もともと大人びた少年だったが、長身で引き締まった体躯を持つ堂々とした若者に成長した彼は、王者の風格を思わせる落ち着きを身にまとい、研ぎ澄まされた鋭利な刃物に対峙するような緊張感と、強い魔力に対する畏敬の念を、見る者に感じさせた。

 皆は心打たれた様子で我知らず頭を垂れる。長老が感慨深げに口を開いた。
「ご立派に、なられましたな……」
その言葉を苦笑で受け流し、ギメリックは言った。
「アイリーンが目を覚ました。あとは充分に体力が回復するのを待って、徐々に魔力を使うことに慣れさせればいい。それまで、リムウル軍の元に身を寄せた方が良いという話は、カーラから伝えてもらった通りだ」
「……王よ、仰せの通りに。私たちは、あなたに付き従います」
皆の気持ちを代表し、長老が言うと、ギメリックは顔をしかめた。
「王は彼女だ」
「なぜですか? なぜ、ヴァイオレット様はフレイヤの涙を他国の王女に……?」
「それは……俺にもわからない」
塞がりかけた傷に触れるような、ヒリヒリした痛みを心に感じながら、ギメリックは言った。
「とにかく俺は、お役御免になったのだ」
ギメリックは皆の顔を見渡した。
「お前たちには、すまないと思っている……だが、俺にできることはもう何もない。悪いが今後は、好きにさせてもらう」
「何もないなんて、そんなことないわ、一緒に戦ってくれないの? アイリーン様に、魔術の手ほどきを……」
カーラが言いかけるのを、ギメリックは遮った。
「全てお前たちにまかせる。彼女が真に魔力に目覚め、石の力を自在に操るようになれば、俺の助けなど必要ないはずだ。それに彼女は前王の妹の娘、血統的に何の問題もない」
ポルはムカムカしながらその言葉を聞き、
“何だよコイツ、やっぱり気に入らない……少しでも見直したおれがバカだった!”
と思いながら声を張り上げた。
「それって、アイリーンとおれたちに戦いを押し付けて、自分は逃げるってこと? そんなの、無責任じゃないか!」
「責任だと……?」
ギメリックはさも可笑しそうにククッと笑った。とたんに、魔力保持者たちは震え上がった。彼の心にわだかまる冷たい闇の気配が、吹き荒れる嵐のように彼らの心を打ったからだ。
「フレイヤの主となる資格がないと判断された者に、何の責任を負う義務がある? 文句があるなら、ヴァイオレットとフレイヤの涙に言え」

傲然と言い放ち、くるりと踵を返して彼が部屋を出て行こうとした時。

“ギメリック!!……どこ?!”

すくみ上がっていた魔力保持者たちの心に、いきなり大音声で、アイリーンの声が響き渡った。
「わっ……?!」
驚いて飛び上がり、耳を塞ぐ仕草をする者もいる中、ギメリックは即座に心話を返し、外へ飛び出した。
“どうした?!”
“どこにいるの?……帰って来て……頭……痛い……”
悲鳴のようなアイリーンの叫び声は、次第に弱々しくなり途切れ途切れになっていく。
“心話を使ったりするからだ! すぐに行くから、しばらく魔力は使うな!”

 走り去ってしまったギメリックを見送り、皆と共にあぜんとしていたポルは真っ先に我に返った。
“アイリーン! 何かあったの?!”
そう心話を送りながら戸口へ向かう。
「ポル! やめなさい!!」
バタンと目の前で閉められた扉に、ポルは勢い余って顔から突っ込んだ。
「……っ痛ぇ〜〜っ……何すんだよっ、ねぇちゃん!!」
赤くなった鼻を押さえ、涙の溜まった目を怒らせて、ポルは振り向いた。
「どうせあんたが行っても、結界の中に入れないでしょう?」
ここに来る途中で、ギメリックは結界を解いてきたに違いない、と思いながらもカーラはそう言ってポルをいさめた。
「だったら、ねぇちゃんが見に行ってくれよ! 心配じゃないか!!」
カーラは少し首を傾げ、考えながら言った。
「大丈夫、敵に結界を破られた気配はないわ。ほら、あんたにもわかるでしょ?……しばらく、待ってみましょう……たぶん、彼を引き止められるのは彼女だけだわ」
ポルの可愛らしいほっぺたが、プッと膨らんだ。
「いいじゃないか! あんなやついなくても!……みんなもそう思うだろ?!」
ポルの問いかけに、村人たちは皆、困惑した様子で顔を見合わす。

 カーラは心配そうに、美しいハシバミ色の瞳を曇らせた。
「……彼はね、私たちが準備を整えてリムウル軍の庇護下に入るまで、危険を冒してまた一人でこの村を守るつもりなのよ。……でもダメ、やっぱり彼がいなくちゃ。彼の黒髪とトパーズの瞳は、生まれた時から彼が次期国王だと人々に知らしめてきたわ。だから狂王もあえてクーデターを公にしようとしなかった。ギメリックほどの適任者を排して王位を奪ったとあれば、国内で抵抗勢力が生まれるに違いないもの。アイリーン様を王に、と彼は言うけど……本物のフレイヤの涙と共に、彼が姿を見せればエンドルーア内部でもクレイヴとティレルを疑う者も出てくるはず、それこそが最大の武器になるのに……」
「そうだ、おれたちの王はギメリック様だ。フレイヤの涙がエンドルーアの王位に必要不可欠なものだと言うなら、アイリーン様にギメリック様の妃になっていただくのがいいと思う」
ゲイルの言葉に、ポルはますますほっぺたを膨らませたが、カーラは静かにうなずいた。
「そう、アイリーン様は女性よ。いつ、不測の事態が起きて、魔力を失うかわからない……その時もしもギメリックがいなければ、血統からして自動的に石はクレイヴのものになってしまうわ。それだけは許せない。……そうでしょ? だから私は彼に、この村にとどまって欲しい……命の危険を冒してまで一人戦うより、私たちとアイリーン様のそばにいて、一緒に戦って欲しいわ。誰が王になるか、そんなことは後で決めればいいことよ……」

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