薄明宮の奪還 更新日:2006.09.10

第3部 リムウル
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 第3章

8.目覚め


 アイリーンはベッドの中で目を覚ました。
長い、長い夢を見ていた気がするのだが、今は何も思い出せない。
ぼんやりと、丸太を組んだ天井を見つめる。
“……ここ、どこかしら……?”
今まで見たことのない、知らない場所だった。素朴だが心休まる雰囲気の、小屋の中だ。窓からは明るい光が差し込み、小さなテーブルと椅子が居心地良さそうに並んでいる。
 しかしアイリーンは、ひどく気分が悪かった。
状況を把握するために周りをもっと見回したかったが、体に力が入らない。
上半身を起こそうと考えただけで、天井がぐるぐる回るような錯覚を覚えた。

 扉の開く音がしたのでそちらを見ると、ギメリックが入ってくるところだった。
なぜか、心臓がドキッと跳ね上がる。
あわてて飛び起きようとすると、体の節々が悲鳴を上げた。
「あっ……痛…」
「起きるな! まだ無理だ!」見えない力で、ベッドに押さえつけられた。
持っていた薪を床に置き、急いで枕元にやってきたギメリックは、アイリーンの額に手を置いた。見えない力がすっと遠のく。
「無茶をするな。丸3日も眠り続けてたんだぞ」
気遣わしげにアイリーンを見つめ、やがて彼は安堵の息とともにつぶやいた。
「……やっと、体温も戻ったな」
額に置かれていた彼の手が降りてきて、サラリと頬をなぞる。
「気分はどうだ?」
「……ここは、どこ?」アイリーンの声はかすれていた。
「安全な場所だ、心配するな。話は後だ。今、薬を作るから、それを飲んでもう少し休め」
そう言い置いて、ギメリックは部屋の向こう側へと歩いていく。
アイリーンはぼんやりと、その背中を見送った。

 いったい、何がどうしてこうなったのか……よく思い出せない。
けれどアイリーンは、生まれて初めて、不思議な安心感に包まれている自分に気が付いた。視界の中に、ギメリックの姿がある……それだけで、彼が言ってくれたとおり、何も心配はいらないのだという気がした。彼に全てをまかせて、自分はただ体を休めればいいのだと……そう、彼は生きている……だからもう大丈夫……。

 いつの間にか目を閉じ、うとうとしていたアイリーンは、そっと抱き起こされ、目を開いた。
「ほら、飲めるか?」
緑色の液体が入った木の器が、口元に差し出される。毛布にくるまれているので手を添えることができず、アイリーンはぎこちなくそれに口をつけた。一口すすって、あまりの苦さに顔をしかめる。思わずそっぽを向くと、
「全部飲め、必要な量だ」と言われ、器が突き出された。
しかしとても飲む気がしない。思わずまた顔を背けると、ギメリックは一瞬、怒ったような顔をした。それからついと手を引っ込めると、自分でそれをぐいとあおった。器を放してアイリーンの顔を引き寄せ、口移しで飲ませる。アイリーンはびっくりして暴れようとしたが、それを見越していたギメリックにしっかり押さえ込まれていて逃げられそうにない。それに抵抗しようにも、体に力が入らない上に両腕は毛布にくるまれているのだから、どうしようもなかった。仕方なく、注意深くゆっくりと流し込まれる薬を、懸命に飲み下した。
「確かに、ひどい味だな」
ギメリックはそう言って少し笑った。そしてテーブルから空中を漂ってきたもう一つの器を手に取る。彼はその器の中身もまた口に含むと、アイリーンのあごに手をかけた。
「やっ……」アイリーンはあわてて拒もうと身をよじった。しかしギメリックはおかまいなしに顔を近づけてくる。間近に迫ったトパーズの瞳に見つめられることが怖くて、アイリーンは目を閉じた。しかしそれは今までの怖さとどこか違っていた。

 再び苦みに襲われると覚悟していたが、予想に反して与えられたのは薬ではなく水だった。苦みを和らげる為と、もう一つは滋養の為だろう、水には嫌みでないくらいほんのりと、蜂蜜で甘みがつけてあった。甘みが口の中に広がるのと同時に、アイリーンの心にも、幸福感のようなふわふわとした夢見心地の感覚が広がった。と同時に、目を閉じているのに、頭がくらくらして目眩がしているような気分でもあった。アイリーンには、それが体の不調のためなのか、胸の動悸のせいなのか、よくわからなかった。

 口の中に流し込まれる水が無くなってしまっても、ギメリックの唇は離れない。
“……?”
熱っぽく続く口付けに、アイリーンはますます胸がドキドキしてきた。
口を塞がれていることもあって息苦しさが増していく。
“……いや、ギメリック……!!”
心の声が聞こえているのかいないのか、彼は全く動じる気配を見せない。
「んっ……!!」アイリーンが声にならない声を上げ、抗議の身じろぎをする。
ようやく顔を離したギメリックは、片頬だけで笑って見せた。
「役得ってやつだな。……もっと飲むか?」
アイリーンは乱れた息を吐きながら、うつむいて首を振った。
顔が熱い。耳まで、熱い。
たぶん、ゆでられたように真っ赤になっているに違いないと思うと、顔が上げられなかった。
「……いや、飲んでおいた方がいい。全然足りてないはずだ。これっぽっちじゃ脱水症状を起こすぞ」
身構えるアイリーンに、平然と彼は3度目の口付けをし、水を飲ませた。
続いてもう一回、さらにもう一度。
「も、もういい……やめて!」たまらずアイリーンが声を上げる。
気絶しそうなほど、息苦しかった。心臓の音が耳元で鳴っている。
アイリーンが息を整える間、ギメリックは黙って彼女を抱いていた。
「……大丈夫か?」彼女が落ち着いたのを見計らって、声をかける。
アイリーンはうつむいたまま、うなずいた。
「じゃ、休め」
ギメリックはアイリーンを元通り寝かせ、毛布を整えた。
「寒くないか?」
アイリーンの頭に軽く手を置いて、ギメリックは彼女を見下ろした。その目に、まぎれもない自分へのいたわりと気遣いが表れているのを、アイリーンは不思議な思いで眺めた。あんなに恐ろしかった黄色い瞳が、今は穏やかな午後の太陽のように温かく感じられる。その光に包まれるような幸福感に、なぜか涙ぐみそうになるのをこらえて、アイリーンは首を振った。
ギメリックは一つ頷き、
「早く食えるようになることだ。そうすれば回復も早い」と言って離れていった。
見送る後ろ姿が、涙でにじむ。
“こんなにも満たされていて幸せと感じるのに……なぜ、涙が出るの……?”
ああ、でも、今は考えてはいけないと、心の奥でささやく自分の声がする。
“……今はとにかく、何も考えずに眠ること……”
そうして、アイリーンはまた、深い眠りに落ちていった。



“病人相手に、何をやっているんだ俺は……”
小屋を出て扉を閉めたギメリックは心の中で独り言をいい、自分の口元に手をやった。
彼女の柔らかな唇の感触が残るその場所を、そっと指でなぞる。
深いため息を一つ、心の底から絞り出すように吐き出すと、村へ向かって歩き出した。

 水を飲ませるという建前など、途中からどうでもよくなっていた。
彼女との接触がもたらす痺れるような快感が、心の奥のあらゆる感覚を呼び覚まし、理性のタガをどこかへ吹き飛ばしてしまう。彼女の手前、もっともらしいことを言ってみたが、正直なところは、ただ彼女に触れていたかっただけなのだ……。
 自分はこれほどまでに衝動的な人間だっただろうか。これ以上彼女のそばにいて、ますます自分を抑えられなくなったら……と思うと、彼女の元へ戻ることさえためらわれた。



ああ、そうか……。俺はもう、消えればいいのだ。……彼女の前から。



  突然、ギメリックは立ち止まった。
……そうだった。ルバートが襲ってきたせいで予定が狂ってしまったが、もともと、そうするつもりだったのだ。とにかくソルグの村まで彼女を送り届け、その後は……。

 過ちを犯した自分、他の誰でもないこの自分が、両親とヴァイオレットの敵を討ち薄明宮を取り戻す。そう思いつめていたから、アイリーンが石の主と知った時、石の力を手に入れるため彼女を殺すことさえ考えた。だが、彼女を傷つけたくないと思ったあの時……悟ってしまったのだ。
石が彼女を選んだ時点で、……いや、ヴァイオレットが彼女に石を託した時点ですでに、自分は誰にも必要のない人間になっていたのだと。

どうしてもっと早く、そのことに気づかなかったのか。
改めて、自分自身のあまりの滑稽さに、可笑しさと寂寥感がこみ上げてきた。

“しかし誰かが、彼女を守ってこの村まで連れてこなければならなかったのだ。あのアクシデントの中、とにかく彼女を守り通し、俺はその役目を果たした。だから、……死ぬ前に一つぐらい、褒美をもらっても罰は当たらないだろう……。彼女には悪かったが、もう会うこともない。我慢してもらおう”
ギメリックはそう思い、再び歩き出した。

もう大丈夫だ……あとは、自分がいなくても……村の者が彼女を導き、果たすべき役目のことを伝えてくれるだろう。

ソルグの村の住人に彼女のことを頼みに行く。そしてその足で村から立ち去り……2度と戻って来るまい。



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