薄明宮の奪還 更新日:2006.09.10

第3部 リムウル
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 第3章

7.彼方からの訪問者


 風もないのに、高い梢の先の木の葉が揺れた。
その気配に、ヴァイオレットは眺めていたフレイヤの涙をサッと手の中に握り込み、窓の外を見た。

 月齢3日の今夜、月はとうに沈んでしまい、外は真の闇だった。
しかしヴァイオレットの目には、小屋の周りの木々の姿がよく見える。そのうちの一本の木の下に、淡く金色に光る人影があった。ヴァイオレットは一瞬、ついこの前に村で亡くなった老人の、残留思念かと思った。しかしそれは、金の髪に紫の瞳をした、美しい少女だった。

 悪いものではなさそうだ……。そう思い、ヴァイオレットは緊張を解いた。もっとも、結界で守られているこの村は、ここに存在することすら敵には知られていない。悪いものなど入り込めるはずはないのだ。

 ヴァイオレットが窓のそばに寄ると、少女もおずおずと近づいてきた。途方に暮れたような、悲しげな顔をしたその少女が、何かつぶやいたようだったが、その声は聞き取れない。ヴァイオレットは彼女に話しかけた。
「まぁ……珍しいお客様だこと。でも、……」
しばし眉をひそめ、じっと少女を見つめる。
「早く帰った方がいいわ、肉体との絆が切れかけているわよ?……ずいぶん遠くから来たのね」
そこでヴァイオレットは少し目を見開いて、驚いたようにつぶやいた。
「まさか……時を旅して来たの?」
少女はますます困惑した表情を浮かべ、わからない、と言うように、少し首を傾げた。唇が動いたが、やはり声は聞き取れない。おそらくこちらの声も彼女には届いていないのだろう……。
「帰れないの? 少しだけなら、手を貸してあげられるわ。さぁ……力を受け取って。元いたところへ……」
ヴァイオレットが力を送った次の瞬間、少女の姿は消えた。



 時折、こんなふうに、人には見えないものを感じたり見たりすることがある。エンドルーアには魔力を持つ者が大勢いたが、その中でも、ヴァイオレットは特別な存在だった。

 自分は、この世で果たすべき役目を負って生まれて来た魂。いつのころからだろう。それを自覚したのは……。うっすらと残る前世の記憶と共に子供時代を過ごし、強い魔力故に16才という異例の若さで、王宮の大神殿に仕える神官の職に就いた。そして悟った。王宮の地下深くに封じられている魔物を見張ること、そして魔物を封じる結界をメンテナンスする血筋が、絶えることのないよう尽力すること。それが自分の“役目”だと……。

 その時、世継ぎの王子ギメリックは3歳。彼に初めて目通りしたとき、彼女は、役目を果たすために守るべき相手を見つけたのだった。

 エンドルーアの国民は皆、3歳の時、“応答の儀”と呼ばれる儀式を受ける。貴族や王族の儀式は王宮内の大神殿で、庶民の儀式はそれぞれの地域にある神殿で行われた。表向きには女神フレイヤの加護を得るため、そして戸籍の確認のためとされているこの儀式は、魔力の有無を調べて国が魔力保持者を管理するという、重要な機能をも果たしていた。
 王家に生まれた者の魔力の有無は、王位継承権に深く関わってくる。そのため、王族の儀式は特に慎重に執り行われる。ギメリックの応答の儀には、大神殿の神官となったヴァイオレットも立会人の一人として参加した。

 神殿内の暗い一室に、親と離されたった一人でしばらく待機していなければならないその儀式の最中に、怖がって泣き出してしまう子供も多かった。しかしギメリックは終始、暗闇を怖がる様子もなく、幼子とは思えない落ち着きと、王家の嫡男にふさわしい強い魔力の片鱗をうかがわせていた。ヴァイオレットは満足だった。これでしばらくは、結界は安泰だと。

  しかし……その魔力の強さが、まさかこんな事態を招いてしまうとは……誰に想像できただろうか。



 ヴァイオレットは窓に背を向けて、小屋の中に向き直った。片隅に掛けられたハシゴを目で追い、意識をゆっくりと登らせて行く。魔力の視覚で、屋根裏とも言える2階のベッドの中の、ギメリックの様子をうかがった。

 あるいは今の出来事を感知して目を覚ましているかと思ったが、彼はよく眠っていた。畑仕事や狩りをする合間に、魔力と武力の練習にもたっぷり時間をかけているため、疲れているのだろう。
 眠っているギメリックの顔には、まだ少年らしい、あどけなさがうかがえる。起きている時の大人びた表情も、王宮にいる時と比べれば……常に彼の心を苦しめていた母親との確執が取り除かれたためなのか、むしろこの村に来てからの方が明るくなったような気がする……。



 クレイヴの魔の手から逃れ、この森に隠れ住んでから、はや2年……。11歳になったギメリックの魔力は、ますます強くなってきている。ヴァイオレットの魔力が封印している彼の記憶も、今ならほんのわずかなきっかけで戻ってしまうだろう……。

 王宮にいた頃もそうであったように、彼の魔力の気配は人々を彼のそばから遠ざけた。しかも、クレイヴの暴挙にギメリックが関わったとなれば当然、村人たちのギメリックに対する想いは険悪にならざるを得ない。皆、大切な家族をクレイヴのために失っているのだから。そのため村からは少し離れたこの小屋で、ヴァイオレットとギメリックは暮らしているのだが……それでも生活上、村人たちと完全に接触を断つ訳にもいかず、このままでは彼らの思念を読んだギメリックが記憶を蘇らせてしまうのは時間の問題だと、ヴァイオレットには思われた。

“……どうすれば、よいのだろう……”

 ギメリックが16歳になるまで、あと5年……。魔力保持者の力の全てが発現し、魔力の成熟が完了する年齢。その時が来れば、強い魔力の持ち主である彼には、あらゆる封印が効かなくなる。つまり……ヴァイオレットが封じた記憶も、もどってしまう。
 それは仕方のないことだけれど……、出来ればせめてその時までは、思い出して欲しくはないと、彼女は思うのだった。
 ギメリック自身は、ただ叔父に両親を殺され、王位を奪われたのだと聞かされて、来る日のために懸命に魔力と武術の鍛錬に励んでいる。そのけなげさを思うと、ヴァイオレットの胸は痛んだ。

 役目を果たすために必要なことは、わかっている。自分が取るべき行動も、十分に、心得ているつもりだった。
 安全なこの村の結界の中で彼が16歳になるのを待ちさえすれば、確実に、薄明宮を取り戻すことができる。ギメリックが石の主となれば、クレイヴなど敵ではない。たとえギメリックの記憶が戻ろうが戻るまいが……そんなことは、関係ないのだと……。

“そう、それが最善の方法。……それなのに、何を思い悩んでいるのだろう、私は……”



 ヴァイオレットは意識を自分の中に引き戻し、考えても仕方ないと自分に言い聞かせるように、ゆっくりと首を振った。
そして気持ちを切り替えて再び窓に向き直り、じっと木の下の闇を見つめた。

“先ほどの少女は……、無事、自分の体に戻れただろうか……”

 彼女が誰なのか、どこから来たのか……詳しいことはヴァイオレットにもわからなかった。それなのに、前にもどこかで会ったことがあるような気がしたのは、なぜなのか……。

 我知らず考え込んだヴァイオレットの黒髪を、そよと吹き過ぎる風が撫で、少女の後を追うように闇の奥へと消えて行った。



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