薄明宮の奪還 更新日:2006.07.28

第3部 リムウル
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 第3章

3.虚無


……落ちて行く。
深い、深い闇の中をどこまでも。
永遠の虚無に通じる暗黒の穴、そこに引き込まれる悪夢を、何度見たことだろう……。
それはエンドルーア王家の嫡男に生まれた者の宿命だった。




女神フレイヤがこの地を去るとき、人々のために一つだけ懸念したこと……。
神代の時代に封印された人を喰う魔物を結界の中に閉じ込めておくためには、定期的に、封印のメンテナンスを行わなければならない。

かつて人間と共にこの地を歩んでいた神々は、やがて人間たちにこの地をゆずり、大きな美しい金の船に乗って、西方の彼方へと去って行った。その時、人々の願いに応えこの地に残ったのが女神フレイヤだった。人間から見れば永遠とも言えるほど長命な、神々の一人であるフレイヤがいるかぎり、封印は安泰と思えた。

しかし人の世に起こった争いのため、愛する夫と息子を失ったフレイヤは、恐ろしい魔女と化して7日7晩荒れ狂った。大地は揺れ、雷が鳴り響き、土砂降りの雨が降り続いて、いたるところで川や湖が氾濫した。女神の娘アリエルは、地震や洪水で家族を失い、恐怖と不安に苛まれる人々の嘆きに胸を痛めた。このままでは人や生き物がみな死に絶えてしまうと考えた彼女は、母に祈りを捧げながら、湖に入水した。人の魂が天に還っていくまでのわずかな合間に、アリエルは女神の心に触れ、それを鎮めた。

遠い西方の地にいた神々は荒れ狂う天地の異変を察知し、この地に向かっていた。アリエルの魂がまさに天に旅立とうとするとき、神々は力を合わせてそれを止め、彼女を生き返らせた。そして、この地を去る女神の代わりに、彼女の血筋に封印のメンテナンスを託したのだった。

しかし神々の血を受け継ぐとはいえ、人間の持つ魔力には限界があり、封印を完全にすることはできない。そのため神々はそのときフレイヤがこぼした涙を宝石に変え、魔力の増幅器として、アリエルに与えた。

魔力を持つ者が石に込められた力を使うとき、その魔力は天地を支配し、この世界に存在するありとあらゆる力を凌駕すると言われたが……それはもはや古(いにしえ)の話。
時が移り、一族の中の神々の血が薄れるにつれ、石の力はむしろそれを持つ者の重荷となっていった。
それでも……石を手に入れ、この地で一番の魔力を手中にしたいと望む愚か者も、時には現れたのだ……。




「返しなさい、ギメリック……!!」
振り返ると、血まみれになった父がいた。
「父上……!!」
「一人でそれを扱うには、お前はまだ幼すぎると言ったはずだ……さぁ、どこへやった? 石を、ここへ……」
血に濡れた手を差し出してくる父から一歩身を引いて、ギメリックは歯を食いしばった。
「……こんな子供だましに俺がのると思うのか……」
父の姿をした“それ”が叫ぶ。
「お前が石を持ち出しさえしなければ、私も皆も、こんな目に遭わずに済んだのだぞ!!」
「……黙れ!! 全ては、お前が仕組んだことではないか、クレイヴ!!」

一瞬、父の姿が後退し、黒いもやに包まれたように輪郭が曖昧になった。
「なるほど……強情さはあの時のまま、いやそれ以上になったか。だが、ひどく魔力を消耗しているようではないか? それでは9才だったあの時と、さほど変わらない力しか使えまいて……しかも、お前に加勢するヴァイオレットはもういない……」
くくく、と含み笑いをする声が聞こえた。黒いもやの中から、幻獣の触手のようなものが何本も飛び出してくる。飛び下がろうとするギメリックの体を一本の触手が捕らえ、他の一本はズブズブとギメリックの体に食い込んだ。触手は次々と皮膚を裂き、内蔵を引きちぎり、首を締め付けてくる。
「……く……っ」
魔力による幻覚だとわかってはいたが、苦痛はそのまま、精神へのダメージとなる。
痛みに耐え切れなくなれば精神は破綻し滅び去る。そして、肉体も死ぬ。

「さぁ、答えてもらおう……フレイヤの涙はどこだ?」
ギメリックは笑い出した。
「気でもふれたか……?! ギメリック」
「俺が石の在処を知っていて、お前が無事でいられるわけがないだろう。知っていればとっくの昔に、こうして、お前の息の根を止めるために薄明宮に乗り込んでいただろうよ!!」
ギメリックの両手が白熱の光を帯びた。彼が呪文を叫び、手を振ると、黒いもやに向かって光の玉が飛んだ。もやの中から同じような光の玉が出現し、二つの光球は激しく衝突した。辺りの闇を真昼の明るさで照らし、凄まじい火花が散る。降りかかってくる火花を避け、もやのなかからクレイヴが姿を現した。

ギメリックは攻撃の思念を集め、手の中に淡く輝く剣を形作った。その剣で打ちかかってきたギメリックを、クレイヴは同じく思念を集めて作った杖で、かろうじて受け止めた。冷や汗をかきながらギリギリと力を込め、ギメリックの剣を押し戻す。パッと離れ、またもや打ちかかってくるギメリックを飛び下がってかわす。
“くそ……満身創痍も同然のくせに、どこからこんな力が……やはり並の魔力ではない。こやつが石を持っているなら即座に負けている……在処を知らないと言うのは本当なのか……? しかし、そんなはずはない、何か知っているはずだ、何か……”

そう思う間にも、ギメリックは激しく戦いを仕掛けてくる。クレイヴは応戦しながら一計を案じた。
ギメリックの鋭い突きをかわし、彼が体勢を整える一瞬の隙に、クレイヴはヴァイオレットの姿を身にまとった。
「ギメリック……!!」彼女の声で呼びかけながら渾身の力を込めて杖を突き出す。



わかっている、はずだった。ヴァイオレットであるはずがない。
しかし突然目の前に現れた彼女の顔、呼びかけられたなつかしい声。
一瞬……ほんの一瞬だけ、ひるんだ。
そして、クレイヴにはその一瞬で、充分だった。



深々と、ギメリックの胸に杖が突き刺さっていた。
肺から上がってくる血液に、ギメリックは咳き込んだ。
魂のみの精神戦、肉体には影響はない、はずだ……頭では理解している。しかし、まるでリアルな夢を見るように、傷つけられた感覚は生命エネルギーを奪っていく。
ギメリックは動けなかった。
息をするたび気が狂いそうなほどの痛みが、体を駆け巡る。
クレイヴが笑っていた。どこか遠いところで奴の声がする……。

突然、その声がハッキリと頭の中に響いて来た。
「さあ、これで最後だ。本当に石の在処を知らないのか?……記憶を探ればすぐにわかることだ……」
“……ダメだ! 記憶を探られては……アイリーンとソルグの村のことを知られてしまう……!”
しかしそれを阻止する魔力は、彼にはもう、残っていなかった。頭の中に食い込んでこようとするクレイヴの力をかろうじて振り切り、最後の力で、ギメリックはクレイヴの拘束から抜け出して自分の肉体に帰った。そして震える腕で剣を取り、自分の首に突き立てようとした。肉体が死んでしまえば誰もその魂を捕えることはできない。記憶も安全だ……。

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