薄明宮の奪還 更新日:2006.06.25

第3部 リムウル
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 第3章

1.昔日


「王子!」
舌足らずの声に呼ばれ、ギメリックは振り向いた。
いつものように塔に登ろうと、中庭を横切っているところだった。
「見つけた〜」
はしゃいだ声をあげているのは、近づいてくるレティス卿の腕に抱かれた、従弟(いとこ)のティレルだ。父のゆっくりとした足取りがもどかしいのか、彼は暴れて地面に降ろしてもらうと、満面の笑みを浮かべてこちらへ駆けてきた。

 今年4歳になるこの小さな従弟は、どういうわけかギメリックをまるで自分の兄のように慕っている。魔力を持つ者が多い宮中で、何かと敬遠されるギメリックにとって、そんな彼が可愛くないわけがない。しかし最近になってギメリックは、それは自分が、彼の父であるレティス卿に似ているからではないか、と思うようになっていた。

  レティス卿、クレイヴ・オー・ドルシィ・レティスは、ギメリックの父であるエンドルーア王、エムリスト・オー・ランディア・ジ・エンドルーアの弟である。王家の慣習に従い、エムリストが16歳で王位を継いだとき爵位を受けて臣下に下った。その黒髪が示す通り強い魔力の持ち主である彼は、王を補佐する12人の魔法使い、暦司(こよみつかさ)と呼ばれる役職を、もう長きに渡って勤めていた。

 宮中のうわさ話は、幼い耳にも容赦なく響いてくる。今やギメリックは知っていた。自分に親しく話しかける人間がごくわずかである理由は、強い魔力への恐れと、王家の嫡男という身分に対する敬い……その二つだけではないことを。
 まだ7歳になったばかりだと言うのに妙に大人びた、冷めた態度が身に付いてしまったのは、むしろ当然の成り行きと言えるかも知れない。

「お邪魔ではありませんか? この子が王子に会わせろと言ってきかないものですから……」
礼儀正しく自分の前に膝をついたレティス卿の冷たい美貌を、ギメリックは静かに見返した。
 同じ黒髪に生まれついたギメリックの、本当の父親ではないかとうわさされている男。
髪の色が同じという点を差し引いても、確かにギメリックと彼はよく似ていた。少し切れ長の、鋭い視線を放つ目元。整った眉、通った鼻筋、形の良い薄い唇。白磁の肌の印象とともに、物静かであまり表情を顕わにしないこともあり、その顔はまるで雪花石膏で作った古の神々の彫刻のようだと、賞賛と揶揄を込めて人々は語った。

 だが……ギメリックは信じていた。叔父と甥なのだから、似ていて当然だと言うヴァイオレットや父の言葉を。それ故、叔父の青い瞳が自分をじっと見つめる視線を感じても、彼は特に動揺することもなく、その視線を平静に受け止めるのが常だった。また、うわさを耳にしているだろう叔父自身も、そのことについて一言も触れようとはしなかった。めったにそんな機会はないとはいえ、たとえ二人きりになったとしても、王の息子に対する臣下としての態度を崩すことも、一度もなかった。

「私はこれから昼の部の魔術の講師を務め、そのまま夜の塔の詰め番に入りますので、この子は侍女に預けて屋敷まで送らせようと思うのですが……」
「いやだ! 王子と遊ぶんだ!!」
ティレルはギメリックにしがみついていた腕にいっそう力を込め、父親の目から隠れるようにギメリックの後ろに回った。
「……この調子なのです」
困った様子で言うクレイヴに、ギメリックは言った。
「いいよ。午後からは特に予定はないから」
「うわ〜ぃ!」
飛び上がって喜ぶティレルに、釘を刺すように言う。
「ただし、夕方になったら家へ帰るんだよ」
「うん、わかってる!! さぁ行こう行こう!!」
ティレルは先に立って、ギメリックが行こうとしていた方向へ歩き出そうとする。
“塔は小さい子には危ないな……庭で遊ぼう”
ギメリックはそう思い、従弟の小さな手を取った。
「こっちだよ。何して遊ぶ?」
「かくれんぼ!」
無邪気な笑顔で元気よく答える様子に、思わず、頬が緩む。
天使のような、という形容が本当に似合う、愛らしい笑顔。
光り輝く明るい色の髪、青い瞳、小さな紅いくちびる……


“……誰かに似てるな。誰だったろう……”






……あぁ、アイリーンだ。






ギメリックはふいに、我に返った。


 静かに、雨が降っていた。
森の中の一本の木にもたれかかり、足を投げ出すようにして、ギメリックは座っていた。ポルたちと別れた後、馬を走らせ続けるうちに意識が暗くなったことしか覚えていない。馬の姿はどこにもなかったが、別に気にならなかった。もう自分には必要ないのだから。
 濡れそぼった全身にずっしりと、重い疲労感がのしかかっている。
両脇にだらりと下げた腕をほんのわずか、持ち上げることすら出来ないような気がした。

“クレイヴ、何をしている。早く来い……”
自分の魔力の気配を隠す結界は、ポルたちと充分離れたと思った時から解いている。気配を感じたら、奴は必ず、何を置いても真っ先に自分のもとへと食らい付いてくるはずだった。この10年というもの、血眼になって探し続けた獲物なのだから……。

 それとももうそばに来て、精神攻撃を仕掛けてきているのだろうか? やたらと懐かしい夢を見た気がするが……。

  つい先ほど見た夢の内容を、ギメリックは思い出せなかった。ただ、夢の最後に、アイリーンを想ったことだけを鮮明に覚えている。



……彼女は泣くだろうか。
妙に律儀なあの少女は、自分のせいで俺が命を落としたと、きっと気に病むことだろう……。

そんな必要はないのだと。
これはむしろ、俺が望んだことなのだと、言ってやれたらいいのに。
どうせ、こうするつもりだった。少し早くなっただけのことだ。彼女を村へ送り届ければ、それで終わりにしよう……望みのない戦いに挑んでやろうと、心に決めていた。それ以外に、自分に出来ることなどもう、何も残っていない。

……そう、だから、これは自分自身のため。
彼女の心を苦しめることを思うと胸が痛むが、自分はこの事態を喜んでさえいる。同じ死ぬなら、何の役にも立たずにただ死んで行くよりは、ずっとマシだからだ。
「……くだらない、自己満足のヒロイズムだな……」
ギメリックは目を閉じて苦笑し、声に出してそう言った。

だが、生きる目的を見失い、抜け殻となってしまった自分のむなしさを思うと、せめて最後に誰かの役に立てることが無性に嬉しかった。そして苦難に満ちた自分の生涯を終わりにしてしまえること、そのことにも、心から喜びを感じていた。それはヴァイオレットが死んでからのこの数年、心の奥で望み続けて来たことだったから。
心残りと言えば自分の手で両親の敵を討てないことだが、それももう、どうでもいいという気がした。……彼女ならきっと、やり遂げてくれるだろう。

“クレイヴ、聞いているなら応えろ。精神攻撃など必要ない。お前の望み通り、俺の命と王の肩書きをくれてやる。俺の首をさらし、名実共にエンドルーアの主となるがいい”


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