薄明宮の奪還 更新日:2006.02.12
(05.01一部修正)

第3部 リムウル
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 第2章

1.飛翔


「あっ……ああ……」
荒い息の合間にもれる艶めいた女の声。
「エムリスト様……ああっ……!!」
感極まった声がひときわ高く男の名を呼び、やがてその余韻はため息と共に闇に溶けていった。
男が覆い被さっていた体を脇へ横たえると、白い裸体を惜しげもなく晒したまま、女はしどけなくそのそばに寄り添った。

 ああ、なんという幸せだろう。自分のような一介の踊り子に、王のお手つきが叶うとは……。
しかし微かな期待がなかったわけではない。お優しい王が流れ者や身寄りのない哀れな娘に、ことさらに心を寄せられると……その噂はまことしやかに、女のいたエンドルーアの辺境にまで伝わってきていたのだ。
 お后様が亡くなってから、早10年……ここエンドルーアの首都リーン・ハイアットに建つ美しい白亜の城、その奥にある後宮には、王の愛妾となった大勢の女達が幸せに暮らしているという。

「女よ……」
たった今熱く愛をかわし合ったばかりだというのに、王の言葉はよそよそしく妙に冷めていた。
「ラミアとお呼び下さい」
甘えるような声も王の心には届かないのか、冬の嵐の唸りのように、王の声は寒々とうつろに響く。
「なぜこの王宮が薄明宮と呼ばれているか知っているか?」
「そのようなこと、エンドルーアの民なら誰でも知っていますわ。両翼に昼の塔と夜の塔をたずさえているから。そうでございましょう?王よ」
「そうだ。昼でもなく夜でもない、時の間(はざま)……永遠の薄明に、我らは閉じこめられているのだ」
「まぁ。そのおっしゃりよう。まるで嫌々ここにいるようではありませんか……」
「お前はここが好きか? ここにいたいか?」
「それは……お尋ねになるまでもございません。お情けをいただいたからには、末永くおそばに仕えさせて頂きたいと存じます」
「そうか、ならば来るがよい」
ぐいと手を引かれ、女は立ち上がった。あわてて手元にあったシーツを体に巻き付ける。
「え……今からでございますか? み、身支度を……」
「必要ない」
王は自らも脱ぎ捨ててあったローブを羽織っただけの格好で、再び女の手を引いた。

 王の居室を出て廊下を歩き出しても、辺りにはそば仕えの従者や侍女はおろか、衛兵の一人の姿も見あたらない。いくら夜中近くの時間と言っても、何かがおかしい……。
王宮の習わしなど何一つ知らない身だったが、女は漠然とした恐れを感じ、身を震わせた。
「あ、あの……王よ……どこへ行くのですか?」
大股で歩く王に半ば引きずられるようにして歩きながら、彼女は尋ねた。しかし王は不吉な気配を漂わせた無言を返すのみ。
 10年前の恐ろしい事件以来、あまりの悲しみのため時折、少々常軌を逸した行いをなさることがあると……これもまた噂には聞いていたことだったが……。

 しんと静まった長い廊下の果てに階段があった。それを下り、燭台のロウソクの光がほの暗く揺れる、壁に面した踊り場を回る。さらに下へ下へと階段は続いていた。
 女が、もう何階下りたのか判らないほどになった時、ようやく階段は終わりになり、その先にまた暗い廊下が続く。

 突如、自分の手を掴む王の手に力がこもり、その痛さに顔を歪めて女は王の顔を見上げた。そこには、まるで自分も苦痛に耐えるかのように、蒼白になり、額に汗を浮かばせた歪んだ壮年の男の顔があった。しかし彼女が驚いたのはその表情ゆえではない。
「エムリスト……様……?」
その時彼女が見たものは、よく知られた金の髪に紫の瞳をしたエンドルーア王の姿ではなかった。禍々しい黒髪に、氷のような蒼い目の……背筋が寒くなるような美貌を備えた男の顔。
「だっ誰……?!」
叫ぶのと同時にみぞおちを殴られ、女はその場にくずおれた。
すでに、ある部屋の扉の前まで来ており、男はそこで呪文を唱え始めた。
ゆっくりと、扉が開く。男は女の体を抱え上げ、部屋の中に入った。
「うっ……」
息をのみ、立ち止まる。
「くそ……もうこんなに、穴が……」
広い円形の部屋だった。王宮の大広間ほどではないが、ゆうに100人ほどは入れるだろう。しかし作りは質素で、壁も床もただの石で出来ている。その石の床に、ぽっかりと大きな暗黒の穴が空いていた。穴……と言っても、それは尋常なものではなかった。まるで空間ごと闇に浸食されているかのように、穴と周囲の床との境目はハッキリせず、まるで黒い雲が漂うようにブヨブヨと微かに伸び縮みして動いている。
「さぁ……今月の生け贄だ、喰え!!」
男が女の体を穴に向かって投げ込んだ。穴はその体を飲み込み、ブワブワとしばらく境界を揺らした後、すうっと縮まって人間の頭がようやくはいるだけの大きさになった。

「くくく……つい先ほど、天上の快楽を味わった魂だ。どうだ、うまかろう……?」
男は冷や汗の浮いたままの顔に残忍な笑みを浮かべ、張りつめていた気を抜くように、後ろの壁にもたれかかった。
バキッ……ボリ……。
部屋の片隅から、音がし始めた。そこに一匹の幻獣が現れ、穴に投げ込まれたはずの女の体を喰っているのだった。
「明日だ……! 明日の朝、お前に主を与えてやる、それまでここで待っておれ!!」
男はそう言い捨てると部屋を出た。扉を閉めると呪文を唱え、封印を固める。
しかし……封印などあってなきがごとし。
それを一番わかっているのは男自身だった。

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“ああ、これは……夢……?”
アイリーンはそう思った。
以前にも経験したことのある意識の浮遊感が、彼女の感覚を包み込んでいた。

 アイリーンは空を飛んでいた。月のない空を。
川を渡り、森を越え、さらなる高みへと飛翔する。
まぶたは閉じているはずだった。けれど、感じることが出来る。
彼女の下を途切れることなく流れていく、闇と静寂に包まれた世界。
夜に眠る者達の安らかな寝息。眠らない者達の秘めやかな足音。
あふれる生き物たちの息吹。鮮やかに繰り広げらる命の饗宴……。

 アイリーンは、自分の意識が果てしなく広がっていき、大気に満ちるのを感じた。
世界はすぐ手の届くところに、まるで彼女の一部であるかのように存在していた。
“……ああ、この世は美しいわ。こんなにも、命の輝きに満ちて……”
歓喜に震えながら高く高く舞い上がり、鳥の目線で地上を見下ろす。

“何だろう、あれは……?”
豊かな黒で塗りつぶされた平原の中に、一点だけ赤く光り、何やらざわめいている気配のする場所がある。強く注意を引かれ、彼女の意識はそこへ向かって収縮を始めた。

“痛い……”
“熱い……”
苦しげな声の尾を引きながら、白い光がいくつもいくつも、まるで花火のようにそこから天空の彼方へと飛んでいく。
地上は火の海だった。草原に囲まれた小さな村。その村全体が燃えている。
“人が……!! みんな、焼け死んでしまう!!”
アイリーンは我を忘れてそのただ中に飛び込もうとした。

「アイリーン!!……待って!!」
彼女を押しとどめた腕。それはティレルのものだった。

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