薄明宮の奪還 更新日:2006.01.25

第3部 リムウル
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 第1章

8.ギメリックの激情


  ギメリックから発せられる恐ろしい威圧感に身がすくみ、魔力でしばりつけられているわけでもないのに、アイリーンは動けなかった。体が震えてくるのを感じながら、それでも気丈に、彼女は彼を睨んで叫んだ。
「あなたがティレルの敵なら、私はこれ以上、あなたについて行くことはできないわ!」
“ああ、そうだろうとも! わかっていたさ、そんなことは、始めから……だからわざわざ他人に化けて、お前を連れ出したんじゃないか……!”

 ティレルを想う彼女の気持ちを考えれば、当然のことだった。なぜ、石を奪ったあの時……ティレルを殺すつもりだと言ってしまったのか。いずれは知られてしまうこととはいえ、せめて村へ着くまでそのことを隠しておけたなら、アイリーンも自分も、もっと心穏やかな旅ができただろうに……。
 ギメリックは笑い出した。
“バカバカしい……! あの時から俺は、あいつに嫉妬していたというのか……! ああ、たぶんそうなんだろうよ! しかしまさかあの時は、こんな事態になるとは思ってもいなかった。石さえ手に入れば、お前に会うことも二度とない、そのはずだったんだ……!”

「ギメリック……?」
「俺だってお前を連れて行かなくて済むならその方が、どれほど楽か知れない……いいだろう、そんなに嫌なら、一緒に来なくて良いようにしてやろう」
 彼の言葉が何を意味するのか、アイリーンにはわからなかった。けれどギメリックの瞳を見ると、自分の身に危険が迫っていることが、ひしひしと感じられる。
“何……? いや……怖い……!!”
「は、放して……」震える声で、彼女は訴えた。
しかしギメリックは無言で、アイリーンの体をいきなり抱き上げた。
「きゃっ?!」

 抵抗する隙も与えず、素早くベッドに移動させ、そのまま覆い被さる。
驚きに息をのむ彼女の唇に、自分のそれを押し当てた。彼女の体がビクリと震え、精一杯らしい力を込めて、懸命に抵抗してくる。しかし魔力を使ってねじ伏せるまでもない。彼女の腕力など、何ほどの邪魔にもならなかった。
 押しのけようとしてくる手を掴むと、細い手首を両方まとめて一つにし、彼女の頭の上で押さえつける。そうしておいて、空いた片手で彼女のあごをつかんで無理矢理こちらを向かせ、再び唇を奪う。
“いやっ……やめて、いや!!”
唇をふさがれた彼女の、心話での悲痛な懇願にも耳を貸す気はなかった。

  ギメリックの唇が首筋に移っていくと、アイリーンは顔を背けて苦しげに息をつきながら、涙声で叫んだ。
「どうして……ルバートと同じことするの?……うそつき! 私を守るって、言ったくせに!」
「挑発したお前が悪い」ギメリックは傲然と言い放った。
「挑発って何……」言葉が途切れた。
またもや襲ってきた口づけの激しさに翻弄され、アイリーンの思考が止まる。
“それに、ある意味ではこれがお前を守る唯一の方法だ……”

 アイリーンは最後の気力を振り絞って、魔力で抵抗しようとした。ルバートの時と同じように、自分の中の力を集め、ギメリックに向かって投げつける。
 一瞬、目の前を閃光が走った気がした……。けれど、力は吸収されたように彼の中に収まってしまい、何も起こらない。
 圧倒的な力の差を前に、彼女の気丈さも、とうとう崩れ落ちた。
固く閉じたまぶたの奥から、涙があふれる。
“いや!……ティレル!……お兄様!!”

 苦しげにひそめられた美しい眉、乱れた息をもらす甘い唇、こぼれ落ちる涙、か細い悲鳴さえも……何もかもが、どうしようもなく彼の激情をかきたてる。今さら後へは引けなかった。

 彼女にとってはひどいショックだろう。しかしこれでもう、フレイヤの涙を担う重圧も、エンドルーアの脅威に対する恐れも、ティレルを殺す手助けをする胸の痛みや葛藤も……彼女を苦しめることは永遠にない。呪われたエンドルーアの血から解放され、普通の娘として、ごく当たり前の生活ができるだろう。彼女の身を危険に晒して、エンドルーアへと連れて行く必要もなくなるのだ。
それでいい、そのためなら……自分がどれほど恨まれ、憎まれようがかまわない。

“……そうだとも。魔力を失ったお前をレナンダールまで送り届ければ……いや、明日、ソルグの村の住人を探しだし、彼らに託せばそれで事足りる……もう二度と会うこともない。俺は石の力を手に入れて目的を果たし、やっと、死の安らかな翼の元で眠りにつくことができる……それだけを望んでこの数年、フレイヤの涙を探し続けてきたんだ”
その、はずだった。しかし……。

“……どうして?……あなたを信じる気持ちになっていたのに……今になって裏切るのなら、どうして助けに来たりしたの? あのまま放っておいてくれたらよかったのに!”
信じた者に裏切られる気持ちは、嫌と言うほど味わっている彼だった。彼女の悲嘆が胸に染みる。
“やめて、お願い……いや!!”
始まったときと同様、いきなり抱き上げられ、そのまま強く抱きしめられたアイリーンは何が何だかわからず、固く目を閉じたまま、ただ泣き続けた。

  ギメリックは何度も、彼女の額に、そして唇に、口づけを落とした。先ほどの奪うような激しいものではなく、いたわるような、そっと触れるだけのキスだった。両のまぶたに触れたときは、あふれる涙を吸い取り、
「泣くな、俺が悪かった……」と苦しげにつぶやいた。
そして再び、激しく震える彼女の体を抱きしめる。

 やはり自分にはこの少女を傷つけることは、できない……。
しかし目的を果たすためには、どうしても石の力が必要なのだ。
“ヴァイオレット……なぜだ?! なぜ、血が繋がっているとはいえ、エンドルーア王家の争いには何の関係もないこの少女に……こんな過酷な運命を押しつけた?……アイリーン、お前は何も知らないのだ、ただ巻き込まれただけで……もとはと言えば、全て俺の罪だというのに……!!”

 乱暴されそうになったばかりだというのに不思議だったが、アイリーンは彼の腕に抱き包まれている感覚に心地よさを感じ、目を閉じたまま、おとなしくその身を委ねていた。
顔に押しつけられている彼の胸から、彼の心が伝わってくる……。
今はもう、彼の心には自分を害そうという気持ちは跡形もない。
彼の中にあるのは、自分に向けられた慈しみの心。
しかし同時に、その心に深い絶望が広がっていくのも感じる。
“……どうしたの……? 何がそんなに悲しいの?”
アイリーンは心話を使ったつもりだったが、ギメリックには伝わらなかったようだ。
“ああ……この人は、こんなに深い闇を背負って……どうして生きていられるのだろう……”
彼自身の心が、果てのない闇の中に、今にも身を投じてしまいそうに揺らいでいるのがわかる。
“待って……行かないで! ダメよ……”
アイリーンは、どうして自分がそんなに焦っているのかわからないまま、必死で訴えかけた。
なぜか目を開けることができない。
混沌とした闇の中に、彼女の意識は吸い込まれていった。

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