薄明宮の奪還 更新日:2006.01.25

第3部 リムウル
<< 前へ 目次 次へ >>
 第1章

7.葛藤


 アイリーンは眠れなかった。闇の中、もう随分長いあいだ横になっている気がするのだが、胸の内に様々な思いが浮かんでは消え、また浮かんできて、ちっとも眠りは訪れてこない。夜が更ければ更けるほど、ますます目は冴えてくるようだった。

 とうとう彼女はベッドの上にそっと身を起こし、ギメリックの方をうかがった。彼は戸口のそばでマントにくるまり、壁に身をもたせかけるようにして座っている。少しうつむいて、眠っているようだ。アイリーンは一つ、密やかなため息を吐いた。


 遺跡からの帰り道、アイリーンはティレルの言葉をよくよく思い返してみて、彼が“新月の夜”アイリーンの魔力が2倍になると言っていたことを思い出した。しかしおそらくそれは自分の聞き間違いか、彼の思い違いだったのだろう。どうやら、自分の魔力が2倍になるのは新月の日の昼間だけらしい……。

 それに気づいたのは、ギメリックの回想が終わらないうちにどんどん彼の心の声が聞こえにくくなり、やがて完全に聞こえなくなってしまったからだ。それは、太陽が遺跡を囲む木立ちの向こうに没し、やがてその最後の残光が空からも消えてしまうのと、ほぼ同時だった。

 その後しばらくして、相変わらず何の説明もなく、無言で彼女を解放したギメリックは一人で馬に乗ろうとした。アイリーンはまだ少し怖いからと言って一緒の馬に乗せてもらい、ダメもとでいくつか質問を投げかけてみた。しかし、彼には完璧に無視され、やはり彼の心の声も聞くことは出来なかった。

“結局、ティレルのこと、何にもわからないままだなんて……!!”
アイリーンは意気地のない自分が嫌になっていた。昼間のうちに、なぜもっと勇気を出してギメリックに質問しておかなかったのかと、悔やまれて仕方なかった。


 それにしても……どうしてギメリックは、あんな格好で眠っているのだろう?
あんな姿勢でよく眠れるものだ、と思う。そう言えば、最初の野営の夜も、彼は木にもたれかかって眠っていた。
 アイリーンはそうっとベッドから降りると、彼に近寄った。息を詰めて、手を伸ばせば届きそうなところまで近づいてみる。しばらく様子をうかがい、彼が本当に眠っているのを確かめてから、アイリーンは自分も同じように壁に背中をあずけて床に座ってみた。

“……ダメ……眠れそうもないわ……こんなの疲れる……”
すぐそばに剣が立てかけてあるところを見ると、敵の襲撃を警戒しているのだろうか……。
 アイリーンは彼の横顔をじっと見つめた。真っ暗闇でも充分に見えるのは、魔力のお陰だと今ではわかっていた。
 眠っているギメリックはそれほど怖くない。それは、あのトパーズの瞳の射るような輝きが隠され、強大な魔力の気配も、今は心なしか和らいでいる気がするせいだ。

 クセのない、さらっとした黒髪が、彼の男らしい整った眉の上に落ちかかっている。くっきりとした二重の、涼やかな目元。高く通った鼻梁、引き締まった唇、そして鋭角的なあごのラインへと続く完璧とも思える造形の美しさ。
 人を威嚇するような瞳の鋭さと恐ろしい魔力の気配のため、普段はどちらかというと野性味と精悍さを感じさせる風貌だったが、こうしてみると貴族の血統が示す繊細さや優雅さをも兼ね備えた、充分に王族としての気品漂う端正な顔立ちだった。

 アイリーンは奇妙な気分だった。こんな風にこの男の寝顔を観察するのは初めてではないが、前の時はエリアードの姿をしていたのだ。姿形が違うのに、同じ人間だったなんて……。
 しかし、どちらの姿をしているときも、この男の雰囲気は変わらない。まさに孤高のドラゴンを思わせる、他人を拒絶するような口数の少なさや頑なな態度。黙って立っているだけで回りを圧倒する、強い存在感と威圧感……。魔力の気配がもたらす恐ろしさは否めないが、しかし例えばルバートに感じたような冷酷さといったものは、感じられなかった。
 アイリーンは、いつか見た夢のことを思い出した。あの恐ろしい殺戮の夢の中のギメリックと目の前のこの男は、逆に、同じ姿をしているが明らかに雰囲気が違う。

 遺跡での彼の回想によって、姉を殺したのは彼ではなかったことや、“黒髪の悪魔”と呼ばれるエンドルーア侵略軍の総指揮官が、どうやら彼とは別人らしいとわかっても……それほど意外な感じはしなかった。きっと心のどこかで、自分にはわかっていたのだろう……。そうでなければ、ここまで安心していられるわけがない……。

“安心……? ティレルを殺そうとしてるかも知れないこの人といて、安心だなんて……おかしいじゃない……”
アイリーンは心の中で自問自答した。
 けれど、つくづく今までのことを思い返してみると、自分がギメリックに手荒な扱いを受けたのは最初に会ったあの日だけだったことに気づく。

 王宮の奥深くで育った彼女は、孤独だったとはいえ、王の娘として人々からは丁重に扱われた。本当の意味での暴力を受けたことなどもちろん皆無だったし、他人が乱暴な扱いをされるのを目にしたことすら、なかったのだ。だから石を奪われそうになった時のギメリックの恐ろしさは強烈だった。2度目に会ったときは彼を残虐非道な“黒髪の悪魔”と思いこんでいたから、よけいに怖かった。

“ああ、だけど……ひどい人間が弱くて力のない者を相手に、どんな振る舞いをするのか……あのルバートを見てわかったわ。人に苦痛を与えることを何とも思わない、そんな人間がいることを初めて知った……。
 この人は違う。むしろ優しかった。旅に出た直後から、いつも私を気遣い、助けてくれた……。この人は石の主である私を憎み、殺して石の力を奪おうかと迷っていたはずだわ、それなのに……”

 石を奪われたあの夜も、自分が気を失ったのは恐ろしさと、まだ充分に体調が戻っていなかったせいだ。ギメリックに何かされたわけではないと思う。ただ脅かされただけで……。
“きっと本当は、ひどいことなんてできない人なんだわ……。でもそれならやっぱり、ティレルのことは……”

 急に不安になり、アイリーンは立ち上がった。
いても立ってもいられない気持ちで、窓に近寄って空を見上げる。
しかし空には星が瞬いているだけで、月の姿は見えなかった。
“……そうだった……今夜は新月……”
アイリーンは悲しくなった。初めてティレルに会ったとき以来ずっと、もう何年にも渡って、彼女は毎月ティレルと会ってきたのだ。

 たとえ月にたった一度だけの逢瀬でも、アイリーンにとってそれは大きな心の支えだった。どんなに寂しくても、悲しい目にあっても……満月の夜になればティレルに会える、そう思えば耐え忍ぶことができた。
“ティレル……今すぐあなたに会いたい! 本当のあなたに会えるなら、私はどこへだって行くわ……あなたがいないとダメなの。あなたが励ましてくれたからこそ、今の私があるのに……会えなくなってしまったら、どうしていいかわからない……”

 アイリーンは振り返ってギメリックを見つめた。そして心の中で呼びかける。
“ ギメリック、あなたは悪い人じゃない。私を守ると言ってくれた言葉も、信じられるわ。でもだからなおさら、私は不安なの。どうして、あれは嘘だったと……ティレルを殺すつもりなんかないと、言ってくれないの?”
アイリーンは再び、彼にそっと近づいて行った。
“あなたが教えてくれないのなら、ティレルに聞くしかないわ。だから少しだけ、石を貸してちょうだい”

 満月の夜、2倍になった魔力を使ってティレルは自分に会いに来ていた。自分の魔力は元に戻ってしまったけれど、石の力を借りれば、自分も彼の所へ行けるのではないかと、アイリーンは考えたのだ。
「石の主」とはどういうことなのか、よくはわからなかった。けれど石の力を使えるのは自分だけ、そしてその力がギメリックの目的を果たすために必要不可欠なのだと、ギメリックは言っていた……。
その“目的”とは本当にティレルを殺すことなのか、だとしたら自分は、ティレルを殺す手助けをさせられることになるのではないか……?
“どうしても確かめたい。確かめずには、いられない……”

 アイリーンは息を殺して、ギメリックのそば近くに立った。 もう一度、彼が眠っているのをよくよく確かめる。そしてそっと手を伸ばし、彼の衿の詰まったシャツの下をさぐった。その時。
「あっ!!」
眠っているとばかり思っていたギメリックが、いきなり彼女の手を掴んで強く引き寄せた。そしてそのまま、床の上に組み伏せる。
「……何の真似だ?」
こうなったら、とアイリーンは半ばやけになって声を張り上げた。
「石を返してよ!」
「……悪いがこれは俺の物だ」
「それがないと困るの、返してよ!」
「ふん、ティレルに会えなくなるから、と言うのだろう?……ふざけるな!!」
以前のような殺気こそなかったが、激しい怒りと苛立ちに燃えるトパーズの瞳が彼女を見下ろしている。
“こうしている間にも……罪もない命が失われているだろうに、何を悠長なことを……! お前の恋心になど、かまっていられるか!”

▲ページTOPへ
<< 前へ 目次 次へ >>
inserted by FC2 system