薄明宮の奪還 更新日:2006.01.15

第3部 リムウル
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 第1章

6.残留思念


 突然、核心に迫る質問を投げつけられ、ギメリックは背中をこわばらせた。振り向くことさえためらうように、一瞬、そのまま立ちつくす。しかし向き直った彼はいつもの鋭い光を湛えた目で彼女をにらみ、
「余計なことは聞かなくていい」と冷たい声で言い放った。
「そ、そんな顔したって……怖くないんだから……」
と言いつつも彼女はおびえた表情で身をすくめ、一歩、後ずさる。
「ぐずぐずしていると日が暮れる。置いて行かれたいか?」
彼の言葉通り、いつの間にか日はすっかり傾き、遺跡の中は斜めに落ちてくる影で一杯になっていた。光に満ち、金色に透き通っていた空気も、今は迫り来る闇をはらんで密度の濃いオレンジ色に染まっている。

 その時、アイリーンは目の端に何か動く物をとらえ、ハッとそちらを見た。
人の形をしている……。けれど、どこか変だった。こちらへ向かって来るのだが、歩くと言うより、空中を漂うように移動してくるのだ。
「何……? あれ……」
アイリーンは無意識にギメリックの方に体を寄せ、不安そうに尋ねた。
彼女の視線を追って、ギメリックもそちらを見る。
“ああ、……残留思念だな……”
との彼の心のつぶやきにも、アイリーンは何のことかわからず、さらに不安を募らせた。

 その物体がすぐそばまで近づいてくると、その異様さがハッキリと見て取れた。
確かにそれは人だった。けれどその姿は半ば透き通り、その目は何も見ていないかのように宙をさまよっている。
 アイリーンはさらにギメリックの方に体を寄せ、震える声で言った。
「幽霊……?」
「そうではない。魔力の残り香のようなものだ。魔力を持つ者の強い想いが、こういう形で残る場合がある。……何も悪さはしない、怖がるな」

 そう言われても、アイリーンはギメリックの陰に隠れるようにしてこわごわ、それが自分たちのすぐそばを通っていくのを見つめていた。
 それは銀髪に紫の瞳をした壮齢の男の姿をしており、宙をさまよう目は何かを探すようにソワソワと落ち着かなげだった。アイリーンにはその男の“強い想い”とは何だったのか、もちろん知る由もなかったが、何かに対する強い執着なのだろうということだけはわかった。

「おい……気が済んだか?」
声をかけられ、アイリーンはハッと我に返ってあわててギメリックから身を離した。いつのまにか彼の背中にぴったりと張り付き、息を殺して男の姿が遠ざかっていくのを見送っていたのだ。
  バツの悪さに顔を赤らめながら、ギメリックとの間に距離を置こうとしたのだが、うろたえてさまよわせた視線の先に別の人影を認め、とびあがるようにまた彼の背中にはりついた。
「やだ……あそこにもいる……」
「ほらみろ、置いて行かれたくはないだろう?……さっさと馬に……」
と言ったきりギメリックが息をのむ気配に、アイリーンは彼の顔を見上げた。

  アイリーンが見つけたもう一つの残留思念……少し離れた回廊の薄暗い陰の中に立っている、淡い紫の光に包まれた人影を、ギメリックは蒼白になって凝視している。
“ヴァイオレット……!!”
“ヴァイオレット?……さっきギメリックが“俺が殺した”って言ってた人ね……”

 人影はやはり漂うようにこちらへ近寄ってきた。それは、濃紫のマントにその長身を包んだ、美しい女性だった。アイリーンは気がついて心の中で叫んだ。
“あっ……この前、夢に出てきた人だわ……”

 彼女の想いがよほど強かったのだろうか、それとも彼女の魔力の強さゆえなのか……アイリーンには何となく、その両方なのだろうという気がしたのだが、彼女の体はほとんど透けていなかった。まるで生きている人間のように生き生きとした、現実感のある美しい姿をしていた。
 年齢は20代後半かと思われる。しかし彼女の周りには、深い時の重みを感じさせる、不思議な雰囲気が漂っていた。
 体を包む紫の光のせいか、フードの奥の黒髪も、切れ長の目の黒い瞳も、濃い紫色に見える。白い肌とのコントラストが眩しかった。くっきりと鮮やかな赤い唇には、微かに、穏やかな微笑みが浮かんでいる。そしてその目は、深い慈愛に満ちていた。

“ああ、この人の想いは……誰かに対する愛情だわ……”
アイリーンはそう思った。ヴァイオレットが残留思念を残すほどに強く深く、誰を想っていたのかは、わからなかったけれど……。


 ギメリックは、近づいてくるヴァイオレットの姿から顔を背けて目を閉じ、息苦しくなるほどの胸の痛みに耐えた。

 魔法の師として、そして母親代わりとして、厳しくも優しかったヴァイオレット。……愛されていると信じていた。フレイヤの涙を探し求めてさまよい続けたこの数年……自分の犯した罪の重さに打ちひしがれ、今にも闇に飲み込まれそうになる心が辛うじて踏みとどまったのは、彼女の愛を信じていたからこそであり、自分に課された使命を果たすことが彼女の望みでもあると思っていたからだ。それなのに……。

「ギメリック?」
アイリーンが、ためらいがちに、それでも気遣うように、声をかけてきた。固く握られた彼の拳の上に彼女の手が柔らかく重なってくる。しかしギメリックは目を開かなかった。やがてヴァイオレットの残留思念がゆっくりと去っていくのを感じ、それからやっと、目を開く。

  アイリーンは、どうしたの?と問いかけるような、心配そうな眼差しで彼を見上げている。そんな彼女に対し、憎しみこそはもうなかったが、信じた者に裏切られた悲しみは止めようもなく心にあふれていた。
“そんな顔をするな……俺は、場合によってはお前を殺すつもりでいた男だ……”

 アイリーンが持っている石が紛れもなくフレイヤの涙だと知ったとき……激しく彼女を妬み、憎んだ。ヴァイオレットが自分ではなく彼女を、石の継承者として選んだのだと悟ったからだ。
 道理でいくら探し回っても見つからなかったはずだ。てっきり、万が一のとき敵の手に渡らぬようにと、手元に置かずにどこかに隠していただけだと思っていたのに……よもや、当然の権利者である自分を差し置いて、他国の王女に石を渡すなど……思いもしなかった。
ヴァイオレットは自分を、石を託すに値しない人間と判断したのだ。
そのことを思い知り、打ちのめされる思いだった。

 しかしそれだけでアイリーンを殺そうと思ったわけではない。
石さえ手に入れば、彼女のことなどどうでもよかった。
だが、奪い取ったフレイヤの涙は……すでに彼女を主として選び、自分に力を与えようとしなかった。
 目的を果たすためには、どうしても石の力が必要だ。仕方なく、アイリーンの部屋に引き返した。彼女に、自分に協力すると約束させるか、拒まれれば彼女を殺してでも、石の力を手に入れると心に決めていた。

“ヴァイオレットが死んでから……フレイヤの涙を探して、探して……各地を転々とした。やっと見つけた石が自分に力をもたらさないと知って自暴自棄になり、力を手に入れるためなら何でもしてやろうという気になっていた。……お前は何も知らずに巻き込まれただけなのにな……”

 ギメリックは無言でアイリーンを抱き寄せた。驚いた彼女は逃れようと身をよじったが、彼の強い腕は彼女を放そうとしない。
「あ、の、ちょっと……」
“しばらくでいい。ほんのしばらく、こうしていてくれないか……?”

  その言葉は心話だったのか、それとも彼女に読まれていると知らぬまま、心の中で彼がもらしたつぶやきだったのか……アイリーンにはよくわからなかった。
 しかし彼が心でたどった回想の一部始終を読んでいたアイリーンは、彼の悲しみを理解した。この男が自分を殺そうと思っていたことがあるにせよ、今はもう、その気配は完全に消えている……。
アイリーンはおとなしくギメリックの腕に抱かれ、彼の心の声にさらに耳を傾けた。

“……自分でもわからない。この少女を連れ出したのは、守りたかったからなのか、殺したかったからなのか……”

 彼女の部屋に引き返したとき……ちょうど、彼女が幻獣を倒すところに行きあわせた。凄まじい魔力の気配が放出され、とっさにシールドしようとしたが間に合わなかった。
 あの幻獣を使っていた男はおそらく、ずいぶん前から、エンドルーアの密偵としてアドニア城内に送り込まれていたに違いない。目的はたぶん、アドニアの内部事情を探ることに加え、念のためにアイリーンに魔力の気配がないか、見張ることだっただろう。

 16歳という年齢は、魔力を持つ者にとって特別な意味がある。ヴァイオレットはアイリーンが魔力を持つことを敵に悟らせないため、彼女の魔力を封印していたようだ。しかし16歳になると、あらゆる封印は破れてしまう……。

 16歳の誕生日以降、彼女の魔力は徐々に目覚めてきていたはずだ。自分が初めて会ったときはまだ微弱で、その気配はほとんどわからないほどだったが……皮肉なことに自分が彼女を怖がらせたために、急激に彼女の魔力は目覚めてしまった。そしてその魔力に反応し、主を失って眠っていた石もまた目覚めたのだ。

 とにかくあのままでは、魔力の気配を隠すことを知らないアイリーンは、いずれルバートの手の者によって殺されていただろう。彼女が幻獣を倒したときの魔力の気配は、少なくともベルガードまでは届いただろうから……。



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