薄明宮の奪還 更新日:2006.01.09

第3部 リムウル
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 第1章

5.遺跡


 ギメリックは別に、花を愛でるためにここに来たのではない。この地の清浄な空気に触れ、多少なりとも魔力を回復させるのが目的だった。しかしアイリーンの方は、廃墟と化した建物の間に点在する庭園の美しさに、すっかり目を奪われている。半ば夢見心地の様子で、つぶやくように彼女が尋ねた。

「……ここは何?」
「……“光の一族”の神殿の跡だ」
「光の一族って?」
「エンドルーアの王族の、昔の呼び名だ」
  必要最低限のことしか口にしないギメリックが、心の中で自分の知識をなぞるのを、アイリーンは耳をすませて聞いていた。
“太古の昔……エンドルーア建国の祖であるエイドリアンが、リーン・ハイアットに都を興すより前のことだ。そのころはまだ人間の数は少なく、国家というものが存在しなかった。人々は一族ごとに集落を作って暮らしていた。かつてこの辺りには、光の一族が暮らした都があったらしい”

“エンドルーア建国って……千年ぐらい前よね? それより前に、こんな素晴らしい建物が作られたなんて……信じられないわ……”
 崩れかけた石造りの建物には至る所に蔓草がからみついていたが、かつての壮麗さを失ってはいなかった。高い尖塔や美しい柱飾りのある棟がいくつも建ち並び、棟と棟の間を回廊がつないでいる。その間を埋めるどの中庭にも、最初の中庭で見た薄黄色の花が可憐に咲いていた。

 やがて馬は、ひときわ広い空き地に出た。もとは広大な庭園だったのだろう。樹齢数百年、もしかしたら千年を越すかと思われる大きなイチイの木が立っていて、そのそばに噴水だったらしい、丸く石を削った水盤がある。
 ギメリックはそこで馬から降り、二頭の馬の手綱をイチイの木の枝につないだ。
「このあたりで適当に遊んでいろ。俺は奥に用事がある」
そう言って立ち去ろうとするギメリックを、アイリーンの大きな瞳が少し不安そうに見上げた。
「……何かあったら今度こそ心話を使え。しかしここは大きな結界の中のようなものだ、何も心配はない」

 行ってしまったギメリックの後ろ姿が見えなくなると、アイリーンは一つため息をつき、噴水の水盤の縁に腰掛けた。もちろん噴水はもう上がっていなかったが、湧き水が入っているようで、水盤からは澄んだ水があふれてこぼれ落ち、地面の上に小さな流れを作っていた。その流れの回りにもたくさん、薄黄色の花が咲いている。
 アイリーンはイチイの木を振り仰ぎ、漏れてくる木漏れ日の暖かさと、時折吹いてくる風の心地よさを感じ、目を細めた。置いて行かれるのは心細い気がしたが、こうして静かに座っていると、アイリーンにも、辺りに漂う聖なる“力”が感じられる。
“こんな綺麗で静かな所、初めて……静かだけど、寂しくないのも不思議ね……”

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 ギメリックは日の光の降り注ぐ庭園から庭園へ、あるいはシンと冷えた石の回廊の中を、沈んだ気持ちで歩き回っていた。用事があると言ったのは、ある意味、嘘だった。彼は単に一人になりたかったのだ。
 ギメリックは一時期、ヴァイオレットと共にここで暮らしたことがあり、その思い出はあまりに心に痛かった。その痛みに耐え、魔力を回復させるために、一人になってこの地の霊力を全身に感じたいと思ったのだった。

 ここにあった神殿は、かつて強い魔力を誇った光の一族の聖地であり、今でも微かに残留する彼らの魔力の気配と、もともとこの地にあった霊力のおかげで、邪悪なものは入り込めない。だからアイリーンを置いて行っても心配はなかった。

 ギメリックはふいに立ち止まった。無意識に、ヴァイオレットと過ごした場所の方へと足が向いていることに気づいたからだ。軽く舌打ちをし、きびすを返してその場から離れる。
“魔力を回復させるつもりで来たのに、……こんなに気を滅入らせていては逆効果だ!”
彼は自分自身を叱咤した。
“石の力を自分のものにできなかったことは少々やっかいだが……とにかく、石は見つかったのだ。まるで望みのなかった、今までとは違う。あと少し……あと少しで終わらせることができる……。これからの戦いのために、気力を奮い立たせなければ”

 ギメリックは思索の底に深く沈んでいたので、またもや自分の足がどこへどう向かっているか全く意識していなかった。そして回廊を支える柱と柱の間からアイリーンの姿を見て初めて、元の場所近くまで戻ってきてしまったことを悟った。

 アイリーンは地面の草の上に座り込んで、回りに集まった小鳥や小動物の仕草を楽しそうに眺めていた。数匹のリスがイチイの枝の上を走り回って追いかけっこをしている。水盤からあふれて流れる小川の中で、羽根を震わせて水浴びをしている小鳥もいた。水盤の水で喉を潤したり、地面を歩き回って餌をついばんでいる鳥もいる。
 つながれている2頭の馬も時折、彼女に向かって首を伸ばし、すっかりなついた様子でくつろいでいた。彼らの首をなでてやっているアイリーンの顔には、幸せそうな微笑みが浮かんでいる。

 柔らかな金色の光に包まれた、一枚の絵のような光景だった。まるで太古の昔、光の一族が栄華を誇った黄金時代の再現かと思われるような、平和で、光に満ちたその光景を、できることなら永遠に時を止め、いつまでも眺めていたい……ギメリックは自分がそんな思いに囚われていることすら意識せずに、ただひっそりと回廊の中に佇んでいた。

 彼が意識していたのは、彼女と自分のいる場所があまりにもかけ離れているということだった。まばゆい光の中にいる彼女と、閉ざされた闇の中にいる自分……。
“……それがどうした。何もかもどうでもいい……所詮俺にはもう、何を望む資格もないのだ。望みと言えばただ一つ、課せられた使命を果たし、ゆっくり眠りたい……それだけだ……”

 彼は自分が踏み込んでいくことでその光景が壊れてしまうのを恐れ、長い間そこに立っていた。
 しかし彼女が真実を知れば……あの笑顔は永遠に失われてしまうのだろうか。自分と違って彼女に罪はないが、少なくとも自分の苦悩の一端を、彼女に背負わせることになるのだ……いや、ティレルのことに限って言えば、むしろ自分より何倍も苦しむことになる。彼女はティレルを愛しているのだから……。
 ギメリックがそう思ったとき、彼女のそばに、どこからかやってきた大きな赤い鳥が近づくのが見えた。彼は微かに眉をひそめ、次の瞬間、腰から短剣を引き抜くと、静かに足を踏み出した。

“なんて綺麗なの……おいで……こっちへ来て、その羽根を良く見せて”
見たこともないほど美しいその鳥に目を見張り、アイリーンは夢中になって心で呼びかけた。
 差しのばした手の先を突然、何かが鋭く横切った。
鳥は驚いて一声鳴くと飛び立っていった。集まっていた小鳥や小動物もいっせいに逃げ出していく。
 アイリーンが呆然としていると、ギメリックがやってきて、どうやら彼が投げたらしい短剣を拾った。
「……ギメリック! 何するのよ?」
「あの鳥は華炎鳥と言ってな。焼いて食うとうまい」
「なっ……」怒りの表情を見せるアイリーンに目もくれず、ギメリックは馬の手綱を解きながらそっけなく言った。
「自分で食う気がないなら、むやみに人に慣らすな」
“羽根は貴族どもの華美な衣装の飾りになる。庶民も貴族も、好んで狩る鳥だ。人に慣れればそれだけ早く命を落とすことになる”
アイリーンは彼の真意を読み取り、自分を恥じた。
「帰るぞ。もう一人で乗れるな?」
そう言ってアイリーンの馬の手綱を投げてよこす彼の顔には、何の表情も浮かんでいない。アイリーンは馬に乗ろうと背中を向けたギメリックを見つめ、自分の中に湧き起こってきた、正体のつかめないおののきに震えながら、叫ぶように言った。
「あなたは、わけもなく生き物の命を奪うような人じゃない……でもそれなら、ティレルを殺すと言ったのはなぜなの?」

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