薄明宮の奪還 更新日:2005.12.31

第3部 リムウル
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 第1章

4.孤高のドラゴン


“ダメダメ、まっすぐ歩いて……そうよ、いい子ね”
懸命に馬をなだめながら、アイリーンはギメリックの後に続いて馬を歩ませていた。
ラザールの町中から少し離れた森の中だった。明るい午後の日差しが木立の間を縫って差し込んでくる。
 馬の様子を見るだけのつもりだったが、アイリーンがついてきたこともあり、ギメリックは気を変えてラザール郊外まで、馬に乗って出かけることにしたのだ。

 ベルガードでアイリーンのために手に入れた馬は、心話への反応の良さを優先して選んだため、他のことは二の次になってしまった。まだ若いため少々落ち着きのない葦毛の牝馬で、アイリーンがちょっと気を許すとすぐに草を食んだり道をそれてしまいそうになる。おかげで移動中、彼女は馬をなだめることに一生懸命で、余計なことを質問されたくないギメリックにとっては好都合だった。

 アイリーンの思い詰めた様子の原因は、彼女の疑問に何一つ答えてやらない自分への不信と先行きへの不安によるものだということは、当然、ギメリックにもわかっていた。
しかし彼女の察しの良さを考えれば、うかつなことは口にできない。
 今、真実を悟ったところで……彼女はそれを受け入れられないだろう。逆に反発され、同行を拒まれでもしたら、縛り上げるか気を失わせて無理矢理つれていかなければならない。できればそんなことはしたくなかった。

 しかし、ルバートへの恐怖と足の怪我のことがあったにせよ、自分を恐れているはずの彼女が、何も知らされないままここまでおとなしくついてきたのも不思議なくらいだ。彼女の精神力と忍耐力には驚かされてばかりだが、それもそろそろ、限界なのかも知れない。今日の彼女は、確かにいつもとどこか様子が違う。

 ギメリックはそこで、先ほど出会ったソルグの村の住人のことを思い返した。今まで避けていた彼らとの接触も、非常事態となれば仕方がない。事情を話し、彼らにアイリーンを託してしまえば、こんな苦労もいらぬことなのだ……。少なくとも彼女にとっては、その方がよほど気が楽だろう。なのに、どうして自分はそうしようとしないのか……。
ギメリックは自分の愚かさを嘲笑せずにはいられなかった。そして自らに言い聞かせた。
“ソルグの村まで、およそ馬であと3日。彼女との旅の第一段階は、ひとまずそこで終わる。そして真実を知った彼女と再び旅をするときは……きっと、彼女は俺を憎んでいることだろう……”

「きゃっ…!!」
後ろで上がった悲鳴に振り向くと、アイリーンが馬から落ちるところだった。もう何度目かも定かではないこの事態に慣れてしまい、彼女もあわてず自分の魔力で体を宙に浮かす。すでに町からかなり離れているので、周りに人がいないことはわかっていた。
 アイリーンは道からはずれて森の中に分け入ろうとする馬の姿を見送りながら、所在なげにそのままフワフワ宙を漂っている。今にもベソをかきそうな、その情けなさそうな顔を見て、ギメリックは思わず笑ってしまいそうになったがどうにか我慢し、心話で馬を呼び戻した。
 アイリーンは戻ってきた馬に乗るのをためらい、宙に浮いたままギメリックに言った。
「……ちっとも私の言うこと聞いてくれないわ……何でなの?」
「お前が馬を怖がっているからだろう」
「……馬が怖いんじゃないわ。地面からすごく高いし、不安定なんだもの」
「屁理屈だな。馬にとっては同じことだ」
「……」
 怒った顔で黙り込むアイリーンを、ギメリックは魔力で引き寄せて自分の前に座らせた。
「お前に任せていたら町へ帰るまでに日が暮れてしまう。急ぐぞ」
「だから、どこへ行くの?って……きゃっ!」
答えることを拒絶するようにギメリックが馬を走らせ始めたので、アイリーンは思わずギメリックにしがみついた。走る馬の背は激しく揺れて、かなり怖い。すると彼の片腕がアイリーンの肩に回り、彼女の体をしっかりと胸に抱き寄せた。そしてアイリーンには、彼が心の中でつぶやく声が聞こえた。
“あと3日……こうして曲がりなりにも穏やかに旅を続けられるなら……それ以上は何も望むまい”

“あと3日?……あと3日で目的地に着くってこと? それで、その目的地ってどこなの?”
アイリーンは思ったが、もちろんギメリックにそれを問いただすことはできない。
“口では教えてくれないし、心を読んでも肝心なことはちっともわからないまま……いったいどうすればいいのかしら……”

 アイリーンはギメリックの沈黙と魔力の気配を背中に感じながら、考えに沈む。
この男の強大な力と見るものに恐怖を与える姿、そしてそれ故の孤独の影は、猛獣……というより、古(いにしえ)の時代に生きたドラゴンを思わせる。ドラゴンは、子孫を残すためにつがいを作るとき以外は、常に単独で行動したという。しかしまれには、例外もあったようだ。

 アイリーンは子供の頃、乳母が話してくれたおとぎ話を思い出した。
エンドルーアにはドラゴンにまつわる伝説がたくさん残っている。これもその一つで、エンドルーアの北に連なる険しい山々の奥に、まだ太古の火が燃えていた頃のお話だ。
その山の一つに、ドラゴンが住んでいた。
ある時ドラゴンは道に迷った人間の娘に恋をして、人間に化けて彼女を里まで送っていき、そのままその村に住み着いた。何かれとなく自分の世話を焼いてくれる男に、娘も少なからず好意を抱くようになったが、ある時、その正体を見てしまう。恐怖を湛えた目で見られて耐えられなくなったドラゴンは山へ帰ってしまうが、後悔した娘がやってきて、以後はそこで二人、幸せに暮らしたという話だった。

 アイリーンは幼い頃この物語が大好きで、何度も乳母にねだってしてもらったものだ。
しかし大人になった今、少し違った思いでこの物語を思い出す。時には人を食べることもあったという恐ろしいドラゴンに対し、自分だけに親切にしてくれるからといって、そう簡単に気を許せるようになるものだろうか?

“この人が本当にティレルを殺すつもりなら、私は……”
そこまで考えて、アイリーンは途方に暮れる。
“私は……、どうすればいいの? 少しは魔力を使えるようになったわ、でも……”
とても自分自身で身を守れるレベルではないことは、アイリーンにもわかっていた。
“ もしも私が逃げようとしたら、この人はどうするだろう……。やっぱり、私を殺そうとするのかしら……。でも逃げようにも、私一人では馬にさえ乗れないんだわ……”

 アイリーンは自分の無力さに暗澹たる気持ちになりながら、少し身を乗り出して後ろを振り返った。自分が乗っていた馬は、ギメリックの心話に応えておとなしく後ろについて走ってきている。
“せめて一人で馬に乗れるようにならないと……”
 その時アイリーンは木々の間に見え隠れする展望に気づき、目を見張った。ずっと登り坂だとは思っていたが、随分高いところまで登ってきたらしい。眼下には、おそらく先ほど出発してきたラザールの町並みと、町を囲むように蛇行して流れる川が見える。

 その景色に見とれているうち、馬の足音が変化した。見ると地面ではなく、道は石畳に変わっている。
“こんな所に石畳が……?”
アイリーンが不思議に思っていると、やがて行く手に、石造りの門が見えてきた。門の間の扉は朽ちてほとんど原型をとどめていない。門の左右に続く障壁も、所々崩れて、かなり年月を経たもののようだった。

「わぁ……!!」
馬が門をくぐって中へ入ったとたん、アイリーンは思わず声を上げた。門に続く内部はそのまま石を敷き詰めた回廊になっていて、両側に広がる中庭の、鮮やかな緑に覆われた地面の上に、淡い黄色の花が一面に咲いていた。

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