薄明宮の奪還 更新日:2005.12.21

第3部 リムウル
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 第1章

3.落ち着かない思い


 ギメリックがその日の宿を決めたのは、まだ日も高い正午を少し回った頃のことだった。もともと、ルバートの件で急いでベルガードを出ることになったせいで買い足せなかった食料を買うためだけに、ここに立ち寄ったのだ。他に用があるわけでもない。

 あてがわれた部屋に入ると、ギメリックはまず窓に向かい、外の様子を確かめた。そして口の中で呪文を唱え、どうやら結界を張っているらしい。
 アイリーンはその様子を興味深く見守った。自分の体の周りに結界を張るときは、呪文など必要ない。ある程度の魔力を持ち、コツさえ掴めば、たぶん誰にでもできることだろう。しかし呪文が必要な魔法は、教わらないと習得できない。エンドルーアにはきっと、魔術を伝える学問があるに違いない、とアイリーンは思った。
 ギメリックは窓に結界を張り終わると、今度は戸口へ向かい、そこにも結界を張った。そして次に、部屋全体を覆う結界を張る。壁や天井がある分、この結界を保つことは、何もない空間に作る結界より随分と楽なのだった。
「……済んだぞ。この部屋の中にいるときは、自分の結界を解いてもいい」
そう言われても、アイリーンはそうするわけにはいかず、黙ってうなずいただけだった。2倍になった魔力の気配を、ギメリックに悟られるわけにはいかない……。

 結界を張り終わってしまうと、彼にも特にすることがないらしい。さほど広くもない、ベッドとテーブルが一つずつ、椅子が二脚あるだけの部屋だった。手持ちぶさたのまま二人でいると、どうにも落ち着かない。
 今までは森の中の旅だったから、食事と眠るとき以外、ずっと馬を進ませていた。しかもベルガードでギメリックは、アイリーンにも乗りこなせるよう心話に反応の良い馬を選んで手に入れ、アイリーンと別々の馬に乗って旅してきたのだ。アイリーンがギメリックにあまり質問できなかったのはそのせいでもあった。

“今がチャンスだわ……!”アイリーンは思った。
“でもどうやってきりだそう……? ああ、それより、この状況で怪しまれずに体を触れ合わせるにはどうしたらいいのだろう?”
 アイリーンは椅子に腰掛け、そっと、窓のそばに立って外を見ているギメリックの様子を盗み見た。結界に守られているとはいえ、町中では油断できないのか、神経を尖らせているのがわかる。彼は町に入る前に、再びエリアードの姿を身にまとっていた。黒髪にトパーズの瞳は珍しすぎて、もしも敵がいれば一目で魔力を持つ者と悟られてしまうからだ。
 しかしその本質を知っている今、アイリーンにはやはり彼の姿が怖かった。彼がそこにいるというだけで、彼の存在から流れ出てくる威圧感のようなものに圧倒される。彼の素早く無駄のない動きには、今にも獲物に飛びかかろうとする猛獣の、鋭い牙と爪の気配が感じられた。静かで、緩慢に見える動作の中にさえ、秘められた力を感じるのだった。

 ギメリックはアイリーンの緊張とおびえは、単に自分が同じ部屋にいるせいと解釈したらしい。珍しく説明のために口を開いた。
「……気に入らないだろうが、同じ部屋で寝てもらう。理由1。結界が一つで済む。理由2。もしも襲われた場合、そばにいないととっさの時に間に合わない」
アイリーンには彼が頭の中で、
“お前を守るためだ、我慢しろ”と付け加えるのが微かに読み取れた。
そしてため息を吐くように、
“だいたいお前が狩りの獲物を食べてさえくれれば、町へ寄る必要もないんだぞ……”と言うのも。
しかし彼は言葉に出してはこう言った。
「……ああ、俺は床に寝るから心配するな」

 アイリーンは、彼に気づかれないよう、ホゥと息を吐いた。
“この距離なら、離れてても彼の心が読めるみたい……”
さぁ、いよいよ、と彼女が思ったとき、ギメリックは戸口に向かって歩き出し、部屋から出て行こうとした。
「え……どこ行くの?」
「馬の様子を見てくるだけだ。すぐ戻る」
困ったような、すがるような目をするアイリーンを見て、ギメリックは一人になるのが怖いのだろうと思い、「来るか?」と聞いた。
アイリーンはうなずき、後に続こうとした。
「ちょっと待て」彼女の頭を押さえ、部屋に押し戻す。
「その格好で厩に来る気か?」
アイリーンはきょとんとして彼を見返した。
「着替えるか、目くらましで姿を消せ!……それじゃ目立ちすぎる」
アイリーンが着ているのは白地に淡いピンクと紫を基調にした上流階級の女性の服で、それはとても彼女に似合っていたのだが、厩に行くのにふさわしい格好とは言えなかった。
「……じゃあ、着替えるわ」というアイリーンを部屋に残し、ギメリックは扉を閉めた。
“全く、世話が焼ける……”

 アイリーンは荷物の中から、森での旅の間着ていた、少年の服を取り出した。やはりこっちの方が動きやすい。着替えをしながら、アイリーンは考えた。
“そう言えば、ギメリックは私から石を奪って、どこに隠しているのかしら……きっと身につけていると思うんだけど……”


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