薄明宮の奪還 更新日:2005.12.10

第3部 リムウル
<< 前へ 目次 次へ >>
 第1章

2.新月


 相変わらず、すぐにはぐれてしまいそうになるアイリーンに腹を立て、ギメリックは彼女の肩を抱いて町を歩いていた。彼女は嫌そうだったが、もはや隠す必要のない怒りや苛立ちの気配が彼女をおびえさせるのだろう。半ば無理矢理にマントの下に引き入れると、彼女はおとなしくされるままになった。
 体が触れ合っていると、相手の心の動きはいっそう伝わりやすくなる。アイリーンも魔力を持つ者として、理屈抜きの恐れを自分に感じていることをギメリックは悟っていた。
 店を出て行く直前にポルが自分に投げかけてきた視線を思い出し、ギメリックは微かに、自嘲の笑みを口の端に浮かべた。恐れられることには慣れている彼だった。

 彼が生まれたときから、人々はその黒髪と、トパーズの瞳におびえた。
明るい色彩を持つ北方民族であるエンドルーアの民には珍しいことだったが、強い魔力を示す黒髪は、魔力を受け継ぐ血筋に時折、現れる。しかしトパーズの瞳は、神世の時代まで遡っても、片手の指で数えられるほどまれなものだった。そして黒髪とトパーズの瞳、その両方を併せ持つ者は……エンドルーア王家始まって以来、およそ1000年の歴史の中でも、ギメリックただ一人だけだった。
 ギメリックが成長するにつれ魔力を増し、未だかつてないほどの魔力を備えていると知ったとき、さらに人々は彼を恐れた。実の母親でさえ、彼がそばへ寄ることすら嫌がった。そのことが多少なりとも、彼の性格に暗い影を落としたことは間違いない。しかしおおむね彼が健全な成長を遂げられたのは、父であるエンドルーア王と、ヴァイオレットの存在に寄るところが大きかった。

 “災いを招く黒髪の王子……? 何を言う。お前は我らの希望だ。魔力は神々からの恩寵、だからお前は、神々から最も祝福されて生まれてきた子供なのだ。言いたい奴には言わせておけばよい、お前は何も、気にすることなどない”
 その言葉と共に自分に向けられた大らかな父の笑顔。ギメリックは激しい胸の痛みに耐えきれず、その記憶を無理矢理、意識の奥底へと押さえつけた。

“俺が殺したのだ……父も、ヴァイオレットも”
彼が心の中でそうつぶやいた時。
アイリーンの様子に、激しい動揺の気配が感じられた。
“……?”ギメリックは不審に思い、彼女の顔をのぞき込もうとした。
「あっ……!!」
一言叫んで、彼女は地面につっぷした。ギメリックはとっさに魔力で彼女を支えようとした。しかし突然のことで、力の加減が難しかった。周りに人が大勢いるこんな場所で、勢い余って彼女の体を宙に浮かすわけにはいかないからだ。幸い怪我はない様子だったが、体を起こしたアイリーンの顔は見事に砂にまみれていた。

「……器用だな。どうやったら平らなところでつまずけるんだ」
「あ、えと、……」アイリーンは困惑の表情を浮かべ、
「何だか今日は、ホントに変なの……、私」と言った。
「別に。今に始まったことじゃないが?」
冷たく言われ、アイリーンはうぅ、と唇を噛んで下を向く。
「ひどいわ……」
「いつまで座ってる気だ」腕を掴んで立たせ、袖口で顔をぬぐってやろうとすると、彼女は顔を背けて自分のベールで顔を拭いた。ギメリックはため息をつく。
「せっかくのお嬢様風が台無しだな……」
「いいの。前の服の方がよかったわ」
「よくない。お前が男物を着てるとよけい目立つと言っただろう」
「……」アイリーンは不満そうに眉をひそめたがうつむいて何も言わなかった。

 ギメリックはそんな彼女を訝しい思いで眺め、眉間にしわを寄せた。旅を始めた頃は、彼女の気分だけでなく、彼女が頭の中で考えていることまで、易々と読むことが出来たのだが……ルバートとの戦いで、一段と力をつけたらしい彼女の思考を読むことは、今ではほとんどできなくなっている。うかうかしているとこっちの考えまで読まれてしまいかねない。

 そうは思ってもギメリックは、まさかアイリーンが本当に自分の心を読んでいるとは知らなかった。魔力とは段階的に強くなるもので、たとえアイリーンの魔力がこれからもっと強くなるのだとしても、昨日今日でそうそう変化があるとは思えなかったからだ。

「……足は?」
「え?」
「痛まないか?」
「あ……いいえ、大丈夫……」
ギメリックは先ほどと同じく肩を抱こうとしたがアイリーンはそれを拒み、
「ちゃんとついていくから」と言って顔を背けた。
ギメリックは何も言わず、先に立って歩き出す。アイリーンはその背中を見つめ、困惑の表情のまま、後に続いた。

 いまだ敵か味方か判然としないギメリックに対し、アイリーンは自分の気持ちをもてあましていた。どういう態度を取って良いのか彼女自身、決めかねていたのだ。

 知りたいことは山ほどあったが、ギメリックは何を聞いても「今にわかる」と、皮肉っぽい薄笑いを浮かべるか、そうでなければ無表情に言うばかりだった。あまりうるさく聞くと、眼光鋭く睨まれた。彼のトパーズの瞳に射るように見据えられると、恐ろしさに身がすくみ、何も言えなくなる。
 そう、アイリーンはやはり、彼が怖いのだった。
魔力を自分のものとした今、アイリーンにも感じることが出来る。彼の恐ろしいほどに強大な力……そしてその力ゆえに彼が常にのぞき見ている、気の遠くなるような闇の深淵を……。その闇の救いようのない深さに、彼女の心はおびえた。まるで底なしの井戸の縁に危うく立って、果てのない闇の底をのぞき込んでいるような気分だった。

 けれど、そっけない態度や冷淡そうな言葉とはうらはらに、彼が自分の怪我の具合にとても気を配ってくれていることに、アイリーンは気づいていた。
 ここまでの旅の間、彼は極力アイリーンを歩かさないように気をつけ、馬への乗り降りにも魔力を使って彼女を移動させた。おかげで足はすっかり回復し、今日は久しぶりに靴を履いたのだ。今も彼は、アイリーンの歩調に合わせ、さりげなくゆっくり歩いてくれているようだった。
 結局、ギメリックが自分の正体を明かした時と、彼のわけのわからなさは全く変わっていなかった。

 でも、今日は新月……。夢の中でティレルが言っていたとおり、彼女の魔力は倍になっている。それは、体が触れているとギメリックの思考が読めてしまうことですぐにわかった。
 どうも今日はうまく結界が張れないようだと言ってごまかしていたが、その実アイリーンは一生懸命自分の魔力の気配をシールドしていた。しかし2倍になった魔力の気配は今の彼女の力では隠しきれなかった。だから今日は夜が明けてもそのまま、ギメリックが二人分の結界を張っているのだった。
 ギメリックは彼女がまだ力を使うことに不慣れだから波があるのだろうと納得したようだったが、アイリーンにしてみれば、いつばれてしまうかと怖かった。先ほどのように、彼の心の声にすぐ反応し、動揺してしまうからだ。だからなるべく彼から離れていたいのだが、そうすると今度は、彼の心に浮かぶ言葉ははっきりとは読めなくなる。
 なんとか、自分の魔力の秘密を悟られずに、知りたいことの答えを彼から引き出すことは出来ないだろうか……。いや、知りたいことが多すぎる。とても全部は無理だと、アイリーンは思った。

 彼女が何より一番知りたいと思うのはティレルのことだった。彼は何者なのか……。そしてギメリックは本当に彼を殺すつもりなのか。もしも、そうなら……この男はやはり自分の敵なのだ……。


▲ページTOPへ
<< 前へ 目次 次へ >>
inserted by FC2 system