薄明宮の奪還 更新日:2005.12.04

第3部 リムウル
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 第1章

1.災厄の予感


 腕の中のアイリーンが身じろぎをしたので、ギメリックは目を覚ました。
追われる生活が長いため、眠りは常に極端に浅い。ほんのわずかな物音、微かな魔力の気配にさえも、彼のとぎすまされた意識は敏感に反応し、彼を身構えさせる。

 しかし今は敵の恐れはないようだった。ルバートの屋敷からアイリーンを助け出してから4日が過ぎ、夜が明ければ5日目を迎える。街道をそれて森の中を進んできたが、どうやら上手く追っ手をまくことが出来たようだ。暗い森の中に魔力の知覚で探りを入れてみても、特に気になる気配は感じられなかった。

 アイリーンはただ寝返りを打っただけらしい。眠りにつくときはあちらを向いていたのに、今はギメリックの胸に顔を押しつけるようにして眠っている。
“寝相は悪いわけではない、と言ってやるべきだろうな。おとなしいもんだ……”
ギメリックはそっと彼女の柔らかな金の髪をなでた。
“あんなに嫌がっていたくせに……眠ってしまうと、こうだ。俺も好きでこうしているわけではないというのに……”
これでは眠れないではないか、とギメリックは小さくため息を吐く。夜明けはまだ遠かった。

 自分の魔力の気配を隠すだけなら、体の回りにぴったり結界を作ればそれで事足りる。慣れているギメリックにとって、無意識でも眠っていても、それは簡単なことだった。しかしようやく結界が張れるようになったばかりのアイリーンは、眠ってしまうと結界を保てない。夜は今まで同様、ギメリックが二人分の結界を張ることになるのだが、彼女の魔力が増してくるにつれてその気配も強くなり、結界の強度も増やさなければならなかった。
 何もない空間に結界を張り、それを長時間保たせることは、かなりの魔力を消耗する。その空間の体積が大きければ大きいほど、そしてシールドしなければならない魔力の気配が強ければ強いほど、消耗の度合いも増す。今後の旅の危険性を思うと、できるだけ魔力を温存したいと考えたギメリックは、彼女を腕の中に抱いて眠ることにしたのだった。それなら、自分を覆う結界を少し延長するだけで彼女の魔力の気配も覆い隠すことが出来る。

 しかし不眠に苦しむようなら本末転倒だ。追っ手の心配もまだ完全になくなったわけではない。結界はある程度、魔力の知覚も遮断してしまうので、本来の力で周りを探ることができない。追っ手が巧妙な手口で自分たちの気配を隠しているかも知れないという恐れはある。それにルバートが連絡をしただろうから、リムウル国内の密偵達も自分たちを捜しにかかっているはずだ。敵に遭遇したときに備えて、魔力も体力も、出来る限り温存しておかなければならない……。

 ギメリックは彼の腕を枕にしているアイリーンの頭をそっと外しにかかった。少し大きめの結界を張ってアイリーンから離れ、夜明けまで眠ろうと考えたのだ。
「……ん……」アイリーンが声を上げたのでギクリと動きを止める。と、彼女の手がしっかりと彼の腰に巻き付いてきた。ますますぴったりと体が合わさる。
“こいつ……俺を抱き枕と間違えてないか?”
ギメリックは眉間にしわを寄せ、憮然とした表情でしばらく固まっていたが、アイリーンに目覚める気配がないのを悟ると、仕方なくそのまま夜明けを待つことにした。
“まぁいい。明日はどうせ、町に入る。宿を取ることにしよう……”

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 リムウル南部の商業都市ラザールでは、この時季、アドニア国のベルガードよりさらに規模の大きい市が立つ。街を囲む障壁の外側には、中に入りきれない商人のテントやキャラバンが延々と連なり、中は中でまた、リムウル中の商人が集まっているのではないかと思うほどのにぎわいだった。
 どちらかというと個人相手の商売というより、ここでは商人同士の取引きが中心だったが、それでも街の大通りにはたくさんの露天商が店を並べ、そこで買い物をする人々の流れも、途切れることがなかった。

「わっ!……バカヤロー! 気をつけろっ」
「ごめんなさい……大丈夫?」
派手に転んで叫び声を上げたポルは、差し出された白い手と優しげな声に目を上げ、惚けたようにぽかんと口を開けた。
“うわぁ…っ……女神様!……みたいにきれいだ……”
ぶつかってきたのは、少し年上かと思える、美しい少女だった。大きな青い瞳が、心配そうに自分をのぞき込んでいる。
「あの……どこか怪我した?」彼女は座り込んだままのポルのそばにしゃがみ込んだ。
「だっ、大丈夫!!」ポルはぴょんと飛び跳ねるようにして起きあがった。
「ホラ、ねっ、全然平気さ!」
「そう……良かった。ホントにごめんなさいね」と言って彼女は急いで人混みの中に紛れていった。誰かの後を追っているようだ。
ポルが思わず後についていくと、キョロキョロしていた彼女は探す相手を見つけたのか、小走りになって進んでいく。その先には、鋭い目をした、戦士風の長身の男が立って彼女を待っていた。少女が近寄ると、男はくるりと背中を向けて歩き出した。少女はまるで叱られた子供のように首をすくめ、うなだれて後に続いた。

“変なの……どっかのお嬢様とその護衛、って格好なのにさ”
イニシアチブを取っているのが男の方というのは変だったが、所詮行きずりの相手、自分には関係のないことだ。そう思ったポルは雑踏の中に見えなくなりかける2人に、自分も背を向けて、その場を去ろうとした。しかし、ふと感じたある“気配”に眉を寄せ、振り返る。
“?!……これは……魔力の気配!!”
彼はあわてて人波をかき分け、2人の姿を追って行った。

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「ポル!」カーラは弟の姿を見つけ、怒ったようにその名を呼んだ。
「もう!……心配させないでよ。どうしたって言うの? まだ買い物も終わってないのに呼び出したりして……」
“ねぇちゃん、気づかない?”
カーラとゲイルが彼のそばに席を作って落ち着くと、ポルの黒い瞳が真剣に見上げてきた。こんなに近くにいるのに心話を使うのは、周りに聞かれたくない話だということだ。
“……何?”
カーラも真剣になって弟を見返す。一緒にいるゲイルにはワケがわからないだろうが、事情を合点して黙って二人を見守っている。
“あの子の……魔力の気配……”
“え?! 誰?……どこ?”カーラはポルの視線を追って店の中を見渡した。

 大通りに面した、かなり広い食堂の中だった。まだ昼時には少し早いのだが、それでも大勢の人が狭いテーブル席にひしめき合って食事を摂っている。
“ホラ、あの壁際に座ってるちょっといい身なりの女の子……薄紫のベールを被った……”
カーラは彼女を捜し当て、目を細めた。
“……本当。驚いたわね。女の子の魔力保持者なんて……”
“荒削りだけど、すごく強い。いったい、何者だろう? そばへ行って、話しかけてみようよ”
“ダメよ! もし敵だったら……”
“そんなはずないよ。あんな優しそうな女の子が、奴らの仲間なんてさ”
“知らずに協力させられてるのかも知れないわ”
“大丈夫だって! ここからだと距離があるからハッキリはわからないけど、どうやらアドニアから来たらしい”
“ポル!! 敵か味方かわからない相手の意識に魔力で探りを入れるなんて……! 感づかれたらどうするの?!”
ポルは姉の怒りになど動じず、話を続けた。
“そんなヘマしないよ、先に彼らの衣類から過去の記憶を探ったんだ。で、大丈夫だと踏んで、その後彼女の意識に接触してみた。全然読めなかったけど、向こうも無反応だったよ。なんかアンバランスなんだ。魔力は強いのに、まだ慣れてないみたいで……不思議だろ? アドニアに魔力保持者がいるなんて聞いたこともないし。きっと何かワケありなんだよ。もしかしたら敵が存在するってことも知らないんじゃないかなぁ?”
カーラはポルの説明を聞きながらアイリーンを見つめていた。
「……災厄」ぽつりとつぶやく。
「え?」 ポルは驚いた顔をして姉を見上げた。アイリーンを見つめる、彼女の瞳が曇っている。
“そうね、たぶん……あの子は敵じゃないわ。でも、あの子に関わるのはよしましょう”ポルは信じられない、と言うように、くるっとした大きな目をさらに見開いた。
“なんで? 敵じゃないなら、村に迎え入れてあげないと……!! 見てよあの様子、全然警戒してないじゃないか! まるで奴らに見つけてくださいと言わんばかりに、あんなに魔力の気配をまき散らしてさ!”
“……あんただからわかるのよ、あんたほど強い魔力の持ち主、きっと敵にだって数が知れてる。こんなところまで偵察にきてるとは思えないわ”
“だからって、ほっとくの? 味方にすればすごく心強いと思うよ、本当に強いもの、あの子の力……”
“……やめた方がいいわ”
“どうしてさ?!……災厄って、……じゃあ、予知?”
カーラはため息をついて弟を見下ろした。
“知ってるでしょ? 私の予知はアテにならないって……でも、ね……”
カーラは再びアイリーンに目をやった。
“何か良くないことが起こる。村を危険にさらすわけにはいかないわ。……わかるでしょう?”
“……ちぇ。アテにならないとか言いながら、やっぱり、予知だと思ってるんじゃないか”
“もっと役に立つ予知なら、良かったんだけどね。ごめん……中途半端で”
“……ま、しかたないさ……予知って、そういうものなんだろ?”
そう言いながらも、ポルは名残惜しそうにアイリーンを眺めた。
“でも気になるなぁ……心配だし……”
カーラはからかうような微笑みを向けた。
“知らなかったわ、あんたが年上好みだったとはね。確かにきれいな子だけど”
“なっ何言ってんだよ、そんなんじゃないや!”
ポルは赤くなり、あわてて、席を立って出口に向かって歩き出した。カーラが笑いながら、ゲイルは訳がわからないという顔をしながら、その後に続く。

 店から出て行く彼らを、ギメリックは目の端でとらえて見送った。
“手間が省けたと思ったが……近づいてこないとは?”ギメリックは、わざと彼らが感づくようにと解いていた、アイリーンの魔力の気配を封じる結界を張り直した。
“……警戒されたか。……まあ、それならそれでいい。予定通り俺がソルグの村まで送れば済むことだ……”

 ふと振り返ったポルに、カーラは怪訝そうに声をかけた。
「ポル?……どうしたの?」
「あいつ……」
つぶやいたポルの顔色が悪い。彼の視線は、アイリーンの連れの戦士風の男に向けられていた。ちょうど彼らも店を出ようとするらしく、立ち上がったところだった。
  カーラは首をかしげる。長身でバランスの取れた、見目良い体格をしているという以外、特にこれと言って目立つ特徴のない男だった。金褐色の髪を長く伸ばして後ろでまとめている。首を守るための戦士の習慣だ。この町には、金持ちの貴族や大商人に私財で雇われた傭兵がごろごろしている。少女と男は、そんな良家の娘とその護衛、という風に見える。
“何も感じないわ。普通の人でしょ? ほら、腰に剣を提げてるじゃない”
“う、ん……。魔力の気配は……感じられない”
“じゃ、何をそんなに怖がってるの?”
“こ、怖がってなんか、いないさ!……ただ……気味が悪い。なんか得体が知れないんだ、あいつ……。うん、ねぇちゃんの言うとおり、関わらない方がいいみたいだ……行こう”

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