薄明宮の奪還 更新日:2005.11.12

第2部 アドニア〜リムウル
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 第3章

5.吟遊詩人の旅立ち


 道を行く間、少年は無口だった。おそらく自分の行く先について、考えをめぐらせているのだろう。そう思ったレスターはあえて話しかけようとはせず、そっとしておいた。

 行く手に門が見えてきても、やはり少年は黙ったままだった。二人は馬を並べてそろって門をくぐり、そこで馬を止めた。レスターと向かい合った少年はようやく口を開き、そばかすの散った顔をほころばせた。

「お師匠様は、よくあなたのこと言ってたよ。どうしようもない悪ガキだった、でも音楽の才は芸術の神アーロンの化身のようだった、って。おれ、いつか会ってみたいと思ってた。でもこんなに早く会えるなんて、夢にも思わなかったな」
レスターは、追憶と微かな憂いに、目を細めた。
「君の師匠は……ハロルド・フルエリンかい?」
「うん、そうだよ」
「やっぱり……その竪琴、見覚えがあると思った。引退して故郷に帰ったと聞いていたけど。……彼は亡くなったの?」
少年は目を伏せて言った。
「……この、春先に」
「そうか……。残念だったね。でも彼は良い弟子に恵まれていたようだ」
少年はパッと頬を紅潮させ、瞳を輝かせた。
「おれ、アレクっていうんだ! 今に、大陸中に名をとどろかす超有名な吟遊詩人になるから、覚えててよ!」
「ああ、もちろん」
レスターの目が、ほんの少し憂いを秘めて、眩しげに彼を見つめる。
未来へと羽ばたく若者の、明るさと可能性。自分にはもうないものだ。

「それから……」
少し遠慮するように口ごもったあと、少年は言った。
「何であなたが一人で旅をしなきゃならないのか、これからどこへ行くのか……おれは知らないけどさ。でももしこの先、あなたがその気なら……十分やってけると思うよ、吟遊詩人として」
何も知らない少年の、残酷とも取れる言葉。しかしレスターは大輪の花が咲くような、鮮やかな微笑みを見せた。それは少年が思わず、我を忘れて見惚れるような笑顔だった。
「ありがとう……。そうだね、いつか……そんな日が来るかな……」
「そしたら、もう一度歌ってくれる? おれの竪琴で」
「……」
レスターは今度は曖昧に微笑み、それでも、微かにうなずいた。
「約束だよ! その時までに、おれ、うんと竪琴もうまくなっておくから。……じゃあ、行くね。いろいろありがとう! さよなら、……レスター様!!」

 少年はサッと馬を東へ向けると、町を囲む壁の外側に沿って走って行った。おりしも雲の切れ間から、明るく輝きだした太陽が顔を覗かせる。
“さよなら、アレク。君の未来に女神の祝福があらんことを……!”
壁が南へと回り込む角のところで、少年は馬を止め、振り返った。レスターに向かって、大きく元気よく、手を振ってみせる。そして、壁の向こうに見えなくなった。

 レスターはそれを見届け、自分の行く道へと目を向けた。
畑の間を縫って続く道はなだらかな丘陵地帯を通り、やがて国境のある深い森の中へと入っていく。はるか遠くに黒い染みのように見えるその森を見つめ、彼はつぶやいた。
「 ぼくの運命が彼女を守るものと定まっているのなら……。必ず、生きて再びあの子に会えるはずだ。……ブラン、お前もそう思うだろう?」
馬の首を軽く叩いてやりながら、レスターは言った。
「さぁ、ぼくたちも少し、道を急ぐことにしようか。おかげさまで頭痛は治ったよ」
合図を受けると、馬はやっと存分に体を動かせるのを喜ぶように、軽やかな足取りで駆け出した。彼らの後ろ姿に、天頂へと登りつつ輝きを増していく太陽が、黄金の日差しを投げかける。後を追っていくのは一陣の、爽やかな初夏の風だけだった。

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「やられた!」
目を覚ましたウィリアムは、叫んでいた。レスターに眠り薬を盛られたに違いない。そうでなければ、武人として訓練されたこの自分が、彼が出て行く気配に気づかないわけがない。おそらくアイリーンと城を出ようとしたときに使った薬を、何かの時のためにと残してあったのだろう。

 ウィリアムは部屋から走り出ると、彼の剣幕に驚いている宿の主人に詰め寄った。
「おやじ! 私の連れはいつ頃ここを出た?」
「二刻ほど前ですが……」
「よし!」
勢い込んで厩に走ろうとする彼に必死にしがみつき、宿の主人は懇願するように叫んだ。
「お待ちを! 手紙をお預かりしています!」
「手紙?」
「はぁ。あなた様がこれを読むところを、必ず見届けて欲しいと……チップも弾んでいただきました」
ウィリアムは仕方なく、はやる気持ちを抑え、手渡された手紙をその場で開いた。
手紙には大きく一文字、美しい飾り文字で “F”と書いてあるだけだった。
のぞき込んだ宿の主人が首をかしげる。
「何のことですかね?」
「……」
ウィリアムには心当たりがあった。自分がレスターの従者になったいきさつにまつわることだ。

 池で溺れた後、レスターはさすがに水辺には近づかなくなったが、相変わらず、しょっちゅう従者をまいて行方をくらませていたという。事故以来、神経質になった王や妃から、そのたびにとがめられるお守り役の従者は、たまったものではなかった。次から次へと従者は変わったが、誰も彼も、半月と経たないうちに彼の従者を続けるぐらいなら王宮に仕える仕事を辞めさせてもらいたいと言い出すしまつだった。

 困った大人達は一計を案じた。レスターの乳兄弟である7歳のウィリアムを従者に抜擢したのだ。遊び友達や学友としてならともかく、いくら本人がまだ子供だからと言って、王子の従者を子供が務めるなど異例のことだった。

 しかしレスターは気にもかけずに、やはり彼を置いて城の外に出かけてしまった。そしてこれも異例のことだったが、彼の逃亡を阻止できなかった罪でウィリアムは鞭打たれた。さすがに自分と同じ年頃の子供が体罰を受けるのを見て、思うところがあったのだろう。それからしばらくレスターは、おとなしくしていた。

 さぞや大人達はホッとしたことだろう。が、いくらもたたないうちにやはり彼は、勝手にウロウロし始めた。しかし大人達が騒ぎ出す前にウィリアムが彼に追いつけるようにと、ウィリアムにだけわかる“しるし”を残していくようになった。その中の一つがこの、アルファベット一文字の手紙だった。

 それはしょせん子供が考えた他愛もない小細工だったから、大人達にはすぐにばれて結局二人とも後でひどく叱られた。けれどそれぞれのアルファベットが何を、あるいはどこを示すのかということは、今に至るまでレスターとウィリアムしか知らぬことだった。ほんの数年前まで、レスターは時折、思い出したようにこの暗号を用いて、ウィリアムに意志を伝えたものだ。

「おやじ、この屋敷に井戸はあるか?」
「井戸? へぇ、使っていない枯れ井戸なら一つありますが?」
そこへ案内してもらったウィリアムは、付近を調べた。すると目立たないよう、でも探す者があればそれとわかるように石が積んである場所があり、その下から、小さな紙切れが出てきた。そこには、豆粒のような小さな字で
『部屋に帰って服を脱ぐこと。注:これは大事なことだから、すぐ実行するように』
と書いてあった。これにはウィリアムも首をかしげる。
“いったい何の冗談です? 時間稼ぎのつもりですか?”

  よほど無視して先を急ごうかと思ったが、こんなことが大した時間稼ぎにならないことぐらい、わかりきっている。あの考え深いレスターが、そんな意味のないことをさせるだろうか……?
「ええぃ! くそっ!」
ウィリアムは悪態をつき、驚いている宿の主人を尻目に部屋に駆け戻った。
“脱ぐって……どこまで?”
納得できない顔をしながらも、まずはマントを脱ぎ、次に肩から斜めに提げている革の剣帯を取る。そして腰のところで袖無しの胴着とその下のシャツを同時に絞っているベルトを外し、胴着を脱いだ時。
服の中に仕込んであったらしい、手紙が落ちてきた。

“これか……!”
読んでいくウィリアムの顔が、さっと引き締まった。
その手紙は……
ベルガードの領主、ルバートがアイリーンとギメリックを探していた形跡がある。しかし彼女たちのことは最重要機密事項として、王宮内のごく限られた人間にしか知らされていないはずだ。確かに自分は会議での結論が出る前に城を出たから、その後どういう方針になったかは不明だが、それにしても他にも色々、彼には不審な点がある。自分が思うに、ルバートがエンドルーアの密偵である可能性があるので、それを王に知らせてほしい、という内容だった。

「う〜……!」
一言うなったまま、手紙を凝視し続けていたウィリアムはやがて、がっくり肩を落とした。
“レスター様!……あんまりです! 私が無視できないことを見越して、こんな……”
手紙の口調は命令ではない。懇願だった。しかし、ウィリアムの魂には、底の底までアドニアの武人としての忠誠心が染みついている。レスターに付き従うために同じくアドニアでの身分を捨てた彼だったが、これからエンドルーアと戦になろうかという今、国の存亡を左右するかも知れない重大な情報を、王宮に伝えないわけにはいかなかった。

 ウィリアムは、何とか自分は帰らずに誰かにこの情報を託すことを考えてみた。都市から都市、時には国から国へと渡り歩いている商人などに、手紙を託すことは普通に行われていた。
しかし……と、ウィリアムは頭を抱えた。
コトは非常に重大だ。もしも一般の民に情報が漏れたり、まして敵の手に渡って握りつぶされたりしては……大変なことになる。だからこそ、レスターは用心に用心を重ね、この手紙が万が一にも他人の目に触れることのないように、こんな手の込んだ方法でウィリアムに手紙の存在を知らせたのだろう。

 “F”と書かれた手紙も、服を脱ぐことを指示した手紙も、それだけ読んだのでは何のことかはわからない。もし宿の主人が好奇心に負けて手紙を読んだとしても、部屋で眠っているウィリアムが衣服の下に何か大切な物を持っていると勘ぐられることもないし、誰かが井戸のそばで手紙を見つけたとしても、その手紙とウィリアムを結びつけることはできない。
 さらに、たとえ不測の事態によってウィリアムに二つの手紙が届かなくても、そうなれば必ず自分に追いついてくるだろうから秘密の手紙は無事だと、そこまでレスターは考え抜いたに違いない。

“どうしても、私自身が帰るしかないのか……そうだっ! 国境警備兵がいる! そこから軍人を一人選んで……いや、ダメだ!!”
 ウィリアムはレスターのそばに長年仕え、彼のやり方をよく知っていた。ウィリアムが思いつきそうなことぐらい、彼にはお見通しだろう。ここぞというときに効果的にウソをつくこともわきまえている。警備隊の者に、後から来るウィリアムの言を信じないようにさせることなど、彼にとっては朝飯前なのだ。きっともう、手を打ってあるに違いない……。

「……ああ、ああ!! わかりましたよ、帰ればいいんでしょう、帰れば!!」
ウィリアムは恨めしそうに宙を睨み、彼には薄情と思える主人の顔を思い浮かべた。
どうせ今頃、あの人は……どんなときにも茶目っ気たっぷりのあの主人は、笑っているに違いない。狐につままれたような顔をして服を脱ぐ、間抜けな私の姿を想像して……!
「いいですとも……見ていてご覧なさい! 私はあきらめませんからね、きっとまた、追いついてみせますから……!!」

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