薄明宮の奪還 更新日:2005.10.29

第2部 アドニア〜リムウル
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 第3章

3.第二の追尾者-1

 夜が明けたばかりの街はいまだ夢から覚めやらず、薄闇と静寂の中でまどろんでいた。街を貫く大通りにも、人影はほとんどない。
 しかし今、石だたみに穏やかなひづめの音を響かせ、一頭の栗毛の馬が歩いていく。
「ああ、ブラン……ゆっくりね。もう少しゆっくり……」
レスターは低く馬に声をかけた。
顔色は冴えず、うつむいて目を閉じ、馬が進むにまかせている。
「うう……さすがに飲み過ぎたな……」
鈍い頭痛に見舞われている頭を押さえ、つぶやく。
「やけ酒は体に応えるというのは本当らしい……もうやめる……から、頼むよブラン、もう少しゆっくり歩いてくれないかな……」

 馬の歩みは極端に遅かったが、やがて道の行く手に門が現れた。
隣国リムウルへと続く街道の、最後の宿場として興ったこの町は、北と南に向かってその出入り口を開いている。平和な時代が長く続いたこともあり、門と言っても名ばかりだ。門番がいるわけでもない。
 背筋を伸ばして騎乗してはいたが、うつむいたままだったレスターはほとんど気づかずに門を通りすぎるところだった。

 しかしその時。後ろから聞こえてくる早駆けの馬の足音に、レスターはハッと顔を上げた。一瞬、ウィリアムが追いかけてきたのかと身構える。が、
“まさかね……そんなはずはない”と思い直した。
「ぼくに関係ない人が道を急いでいるのなら御の字……そうじゃなきゃ誰にせよ隠れた方が良さそうだが……、」
とつぶやきながらも、彼は同じ調子でそのままゆっくり馬を歩ませ、門をくぐり抜けた。

 門の外には畑が広がっていて、隠れる所などどこにもない。背後からの馬はついにレスターに迫り、精一杯張り上げたかすれた少年の声が響いた。
「待って……ねぇ、待ってよ!!」
レスターは頭痛がさらにひどくなるのを感じながら、手綱を引いて立ち止まった。ゆっくりと振り返り、追いついてきた馬の乗り手に言う。
「やあ君か。おはよう、早起きだね」
「ひどいや、酒場に行ったら、とっくに帰ったって……」
レスターは少年の手に硬貨の袋が握られているのを見て微笑んだ。
「何がひどいって? よせばいいのにあの男、急ピッチであおるもんだからすぐ酔いつぶれてしまってね。お陰で君の財産にも手をつけずにすんだよ。……あそこの店主はなかなかの好人物だな。君と馴染みだそうだから頼んでおいたんだが、ちゃんと受け取ってくれたんだろう?」
少年はちっとも聞いていなかった。思い詰めた目をして、相変わらず風邪の治りきっていない少しかすれた声で、叫ぶように言った。
「おれ、決めたんだ! あなたと一緒に、おれもこの町を出る!!」
“あ……”
レスターはうなだれ、優美な指で眉間を押さえて目を閉じた。
“嫌な予感、的中……”

 そのままの姿勢で動かなくなってしまったレスターに、少年は畳みかけるように言いつのった。
「迷惑なのはわかってる、でも、おれ、自分のことは自分で面倒見るから! だから頼むよ、連れて行ってよ!」
「……」
やはりレスターは動こうとせず、痛む頭で考えをめぐらせていた。
困ったことになった……ほんの少しの気晴らしを求め、懐かしさも手伝って声をかけたのだが……よせばよかった。全て自分が悪いのだ。何とかしなければならない。
 しかし、きかん気の強そうなこの少年は、生半可な説得では意志を曲げようとはしないだろう……。

「おれ、身寄りがないし、師匠ももういない。一人前の吟遊詩人になるなら、そろそろ旅に出なきゃ……って、思ってたんだ。でも、その……踏ん切りが、つかなくて。だけどあなたに会えた、今だ!って思ったんだ」
 レスターは顔を上げた。しかし少年を見ようとはせず、声もかけようとはしなかった。無言で手綱を引き、今通ってきたばかりの門の方へと、馬首を向けさせる。少年はとまどい、引き返していくレスターをあわてて追いかけた。
「……何? 戻るの? どうしてさ? ……おれを諦めさせるつもりなら、無駄だよ」
馬を並べ、レスターの顔をのぞき込むようにして言った。しかしレスターはまっすぐ前を向いたまま、やはり少年には目もくれようとしない。
“ちぇっ! 迷惑がられるのは承知の上さ!……それでも絶対、ついて行くって決めたんだ!!”
少年は少々ふてくされながらも、決意も新たにレスターの後について行った。


“そうだね、悪くはない。一人の若き吟遊詩人の旅立ちに、手を貸すのも。……これが目的のない、ただの気ままな旅だったら、ね”
レスターはそう思い、心の中でため息をついた。
“ずっと、そんな生活にあこがれていた……”

 自由に諸国を回る、放浪の旅に出る……どんなに、そうしたかったことだろう。やろうと思えば自分にはいつでもできたはずだ。しかしなぜか、行動に移そうとは思わなかった。人に言えば、王家のお坊ちゃんが一人で国外への旅に出るなど、いざとなれば怖じ気づいてとても本気で望むことではないからだと思われたことだろう。しかしレスターにしてみれば、別に怖かったわけではない。ただ何となく、その気にならなかっただけだ。
それがなぜなのか、今なら、わかる。

 エディスが殺された現場を見たとき……その凄惨さと同時に、アイリーンが並々ならぬ事態に巻き込まれているのだという認識が、レスターの全身を総毛立たせた。
 子供の頃、彼女に命を救われた事実。それを、ほんの数日前に思い出したのは、単なる偶然ではないという気がした。今この時のために、自分は生かされたのだと……そんな気がしてならなかった。だとすれば、自分は彼女を守って死ぬ定めなのだ。

 なるほど……それもいいだろう、と彼は思った。
これまで自分は、存分に人生を楽しんできた。それは言わば、なかったはずのものなのだ。
 大国の第二王子という身分は、次期国王を担うという重責とは無縁だった。しかも何不自由ない暮らしを謳歌させてくれた。……本当に、自由気ままに生きてきた。心のおもむくまま、市井に触れて庶民とも言葉を交わし、知らず知らずのうちに民衆の心を掴んで若い軍部の将校たちとも心を通わせた。そのことが、部下たちにおかしな期待を抱かせることにもなった。しかし、充分に恵まれた今以上の地位や権力になど、何の望みもなかった。
望みもないかわり、目的もなかった。

 でも今は違う。アイリーンを守ることが自分の使命、生きる目的なのだ。
わざわざ身分を捨てるような真似をして城を出ようとしたのは、ウィリアム達のもくろみを退けるためだけではなかった。それは、今までの人生に別れを告げるという、自分自身への決意の表れだった。
“誰にも、付き合わせるわけにいかない……。悪いが絶対、諦めてもらうからね”

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