薄明宮の奪還 更新日:2005.09.01

第2部 アドニア〜リムウル
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 第3章
1.追いついた従者-1

「歌わないの?」
声をかけられ、少年は顔を上げた。
年の頃は15、6。やせ細った体に不釣り合いなほど大きな竪琴を構えたその少年は、もう小一時間も前から、なかなかに達者な手つきで次から次へと曲を弾いていた。彼が座っている広場の石畳の上には、裏返しに置かれた帽子が一つ。どうやら吟遊詩人かその見習いらしいのだが、一向に歌おうとしない彼を、声の主はいぶかしんだようだった。

 少年はしかめっつらをして相手を見返した。あと半時もすれば暮れ落ちてしまうだろう夕日が逆光となり、フードを被った男の顔は良く見えない。しかし若々しい声と、すらりとしたシルエットから、20そこそこの青年と思われた。
「風邪、引いちまって……」少年は喉を指さしてみせた。なるほどひどい声だ。
“おかげで、商売あがったり”という意味だろう、次に、帽子を指さして肩をすくめてみせる。人々から投げ入れてもらえるはずの硬貨は、ほとんど入っていなかった。

 声をかけてきた男の、形の良い唇がニッコリ微笑んだ。
「それなら、ぼくに歌わせてくれないかな? 報酬は山分けってことで、どう?」
そう言うと、彼は最近街でよく聞く流行歌のワンフレーズを一節、歌ってみせた。
“おっ……これは、なかなか……”
少年は目を見張った。
“いい声してる。いけるんじゃないか?”
一つうなずくと、竪琴を構え直し、その曲を弾き出す。
ゆったりとしたテンポの、淡くほろ苦い恋の歌だった。

 男は始めは調子を試すように少し小声で、それからだんだん声を張っていった。
少年が思った通り、美しい歌声だった。彼の甘い声は伸びやかによく通り、特に高音には、澄み渡る空の彼方に突き抜けていくような、爽やかな透明感があった。
たちまち二人の周りに人垣ができはじめる。やがて一曲終わるたびに拍手喝采が湧き、熱狂した人々が硬貨を雨のように落とし始めた。

 日が沈むと、薄闇のベールが一枚、また一枚と落ちてくるように、次第に闇が濃くなっていく。辺りがすっかり暗くなってしまっても、広場に集まった人の数は増えこそすれ、減ることはなかった。夕食へと家路につく人が人垣から抜けるそばから、新しく足を止めて聞き惚れる人がいるからだ。しかし周りの家々に明かりがともっても、広場の中心に明かりはなく、かなり暗かった。すると気を利かせた誰かが、どこからかかがり火を調達してきた。
 とたんに、男は明かりから顔を隠すようにフードを深く引き下ろすと、人々に向かって優雅に一礼して見せた。まるで宮廷楽士かと見まがうような洗練された身のこなしだった。
「なんだい、もう終わりかい?」
惜しむ声が上がる中、 男は少年をうながして彼を立たせると、少年と共に、もう一度礼をした。
「……すみません。今夜は少し体調が悪いので。またごひいきに」
そう言う男の周りに、めざとく彼の美貌を見て取った女達が、群がるように寄っていく。それを横目に、少年は集まった硬貨を素早くかき集めた。
“すっげえ! 半時で、これだけの稼ぎ……往年のお師匠様だってこうはいかなかったんじゃないか?!”
彼が硬貨を集め終わる頃合いを見計らい、男は少年の元へと、女達から逃げるようにやってきた。そして少年の耳元に顔を寄せ、ささやいた。
「すまないが……ここから連れ出してくれないかな」
見ると男の瞳が、困ったように笑っている。
「誰にも邪魔されずに食事ができるような店があったら、案内を頼むよ。今日の興行成績に二人で祝杯をあげるっていうのはどうだろう?」
少年にはむろん、否やはなかった。

 いくらも経たないうちに二人は、男性客しか入れない場末のパブに腰を落ち着けていた。こんなところに馴染みを持つには、少年は少しばかり若すぎる感もあったが、男は何も言わなかった。この国では王侯貴族の子供が社交界にデビューするのは12〜15歳。庶民の間でも、16ともなれば一人前と見なされる。
 なみなみと注がれたビールのグラスを前に、喜々として少年は言った。
「ありがとう、あんたのお陰で、今までで一番の稼ぎだ」
男はフードの奥で笑顔を見せた。
「礼を言うのはぼくの方だよ。あこがれの職業を体験できてとても楽しかった」
「へぇ?……あこがれ? そんないいもんじゃないけどな」
少年は少し警戒心を抱いて男を盗み見た。もしも彼が吟遊詩人をやるつもりなら、商売敵になりそう……と心配になったのだ。少年とて自分の声にはそれなりの自負を持ってはいたが、あれほどの美声を聞かされては、彼が警戒してしまうのも無理はなかった。男の竪琴の腕の方はわからないが、見ると、優美で長い、器用そうな指をしている。きっとかなわないのではないかという気がした。 しかも、こうして明かりの下で見ると、フードで半ば陰になっているとはいえ、男の美貌が半端ではないことがわかる。たとえ彼にそれほど音楽の才がなかったとしても……熱狂的な女性ファンがつき、束になって追いかけ回しそうだった。

「どうして? 好きで選んだ仕事じゃないのかい?」
「……」何の屈託もなく、素直な好奇心を見せて聞いてくる男に、少年は自分の狭量な心が嫌になり、ぶっきらぼうに答えた。
「おれの師匠はすっごい厳しかったんだ。それだけの話。歌うのは、好きだよ。竪琴もね……まだ下手だけど」
それだけ言うと少年は急に話題を変え、
「ところで山分けの話だけど。ここで金を数えるのは、ちょっと……」と、言葉を濁した。少々妖しげな連中もたむろするこんな場所で、大金を人目にさらすのははばかられる。
すると男は気のない様子で言った。
「ああ……いいよ、ぼくは。君がみんな取っておいてくれれば」
とたんにムッとして、少年は男をにらみつけた。
「……おれが貧乏だと思ってバカにしてんのか?」
男は困ったように、秀麗な眉をひそめた。
「じゃあ、ここの払いを頼めるかな?」
「それくらいじゃ全然、山分けにならない」
「……すまない、君を侮辱したことになるなら、あやまるよ。実は少し気晴らしがしたかっただけなんだ。最初から無償で、なんて言ったら、君が警戒すると思ったんだよ」
「……」
少年は、男の様子を改めてじっくり観察した。
身に着けているのはごくありきたりのものだったが、耳に光る緑の宝石がもし本物なら、確かに裕福な身分なのだろう。そう言えば、マントの陰にチラリと見えた剣も、細かな細工が施された見事なものだった。それに、よく手入れされ、爪の先まで美しい彼の優美な手は雄弁に、彼が上流階級に属する人物であると告げている。何より、その華やかで優雅な身ごなしからは、隠しようのない高雅な雰囲気がにじみ出ていた。

“ふぅん……どっかの領主の若様がお忍びで遊びに来ているといったところか……”
と、少年は想像した。“結構なご身分で……”と少々皮肉に思いもしたが、困った顔をしている目の前の男にはどこか憎めないところがあった。
少年はそれ以上、男の素性について考えるのはやめることにした。何と言っても、彼のおかげで今夜は大もうけできたのだ。これで当分、ゆっくり休養が取れ、その間に風邪も治るだろう。
「……わかった。一つ借り、ってことにしといてやるよ」
男はホッとした様子で笑顔になり、グラスを差し出した。
「では改めて……ぼくたちの出会いと今日の成績に、乾杯といこうじゃないか」


「あんた、何でフードを降ろさないんだい? 暑苦しくないか?」
グラスを重ね、胃袋も満たされて気分良くなった少年は、少しからかうつもりでそう口にした。もちろん理由はわかっている。お忍びで来ている都合上、あまり顔を人目にさらしたくないのだろう。しかし寒くもないこの季節、屋内でフードを被っている者など他に誰もいなかった。
「……ああ、かえって目立ってしまってるかな、やっぱり」
「うん」
男は苦笑いを浮かべ、フードを降ろした。現れた白っぽい金髪は美しいものだったが、この地方ではさほど珍しいわけではない。しかし、狭いテーブルをはさんで向かい合う少年の近さからなら、天井に吊された獣脂のランプに照らされた男の瞳が、ちょっと見ない珍しい色合いであることが見て取れた。
“きれいなブルーグリーン……って、え?……まさか……”
顔色を変えた少年の様子に、男は再び困ったように眉をひそめた。
「人目を忍ぶにはいささか不利な身の上でね」
そう言うと笑って、自分の人差し指を唇に当てて見せる。
“うそだろう、おい!”
驚いた少年があわてて身を引いた拍子に、手元にあったグラスに手が触れた。倒れたグラスから中身がこぼれ、となりの男の衣服にかかる。悪いことに、いかにもたちの悪そうな荒くれ者、といった風情の男だった。
「おい、何してくれてるんだ、ええ?」案の定、男が少年をにらみつける。
「すみません、私が彼を驚かせてしまったものですから。許してやってくれませんか」
フードを被りなおし、レスターは立ち上がって言った。
「ふん! 謝って済むと思っているのか、弁償しろ、弁償!!」
「あ……」顔色を失った少年が、硬貨を詰め込んだ袋に手を伸ばす。その手を、テーブルのこちら側に回ってきたレスターが素早く押しとどめた。男と少年の間に割って入ると、
「これを……」と片方のピアスを外し、男に差し出す。
うさんくさそうに光に透かして見る男に、柔らかな笑みを浮かべてレスターは言った。
「エメラルドですよ、もちろん本物です。信じられないと言うなら、明日、一緒に鑑定士の所へ行きましょう。それまでここで飲み明かしませんか? 私のおごりで」
「……朝まで? マジでか? お前のおごりで?」
男はぎょろりとした目を剥いて、レスターの顔を眺めた。
「ええ」ニッコリと笑いかける彼の顔は、相手の毒気を抜くような邪気のなさだった。このようなところに来る男達は酒が飲みたくて来ているのだ。おごると言われれば嬉しくないわけがない。
「よーし、気に入った! 今夜は飲み明かすぞ!!」上機嫌になった男は 腕を上げ、
「じゃんじゃん持ってこい!」と店主に向かって叫んだ。

「あ、あの……」
まごついている少年の手を取って、レスターはそっと彼を壁際へと押しやった。
「君はもう家へ帰るといい。早く休んで風邪を治さないとね。でも悪いけど、やっぱり少し硬貨を分けてもらうよ。あいつ、飲みそうだし……持ち合わせだけじゃ少々不安だ」
声を潜めてそう言うと、彼は苦笑した。
「それでもあのまま、君の稼ぎを全部巻き上げられるよりは良かったと、思ってくれるかい? 穏便に済ませておかないと、後で君が困るだろう。店に迷惑もかかるしね」
「だけど、あなたの宝石が……!」
「いいんだ、どうせ手放すつもりだった。明日、これも売ってしまうことにするよ」
片耳に残ったピアスを指さしてみせる。 それから小さく、ため息をついた。
「この目も一緒に売ってしまえたらねぇ」
本当に困ったもんだ、というその様子に、少年はぷっと吹き出した。
「無理だよ……! 確かに宝石みたいにきれいだけどね!」
意気消沈していた少年の顔が明るくなったのを見て、レスターの瞳が微笑んだ。
「だけど心配しないで。おれ、師匠がアドニアの首都にいた頃の話をしょっちゅう聞かされてて……あなたのことも色々……だからすぐにわかったんだ」
少年は硬貨の入った袋をそのまま、レスターの手に押しつけた。
「これ、預けとく! 明日の朝、残りを取りに来るから!!」
「あっ……」
レスターが止めようとする暇もなく、少年は機敏に身を翻すと、狭い店の中を器用に人をよけながら走り去って行った。その姿を見送りながら、レスターは眉間にしわを寄せる。
“明日の朝だって?……困ったなぁ。まさかとは思うが……嫌な予感がするぞ”
「おーい、色男! 何してる、早く来い、一緒に飲もうぜ!!」
見ると、さっきの男が禿げ頭をテカらせ、ビールのジョッキを高々と差し上げて呼んでいる。回りにいる、連れらしい数人の男達もすっかり出来上がりつつある雰囲気だ。
“おいおい、まだしらふでいてもらわなくちゃ困る……”
と思いながら、レスターは笑顔を浮かべて彼らの輪の中へと入っていった。

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“今日も収穫はなし、か……。さて、どうしたもんだろう……”
夜半過ぎ、宿へと帰る道をたどりながら、レスターは頭を悩ませていた。
ふぅ、と一つ、深いため息を吐く。
“悪目立ちしてしまったからなぁ。もうこの町を出た方がいいことは確かだが……いったい……”
明かりの消えた家々の軒先はほとんど真っ暗闇だったから、道の真ん中を選んで歩く。ふと空を仰ぎ、またため息をつく。
“今夜は新月らしい。月の光すらも、微笑みかけてはくれないのか……”

 レスターには、荒くれ達を御するコツを良く心得ているようなところがあった。意気投合し、最後まで一緒に飲んでいた男たちがことごとく酔いつぶれてしまったので宿へ帰ることにしたのだが、それまでに、出来る限りの情報収集はしてあった。しかし、アイリーンの行方に関する手がかりは依然として見つからなかった。
“おかしい……。この街道沿いの一つ手前の都市までは確かに来ていたはずだ……どこからか道をそれて、この町には立ち寄っていないんだろうか……?”
しきりに考え事をしながらゆっくりと歩く彼の背後から、一つの影が忍び寄っていた。

 突如、襲ってきた殺気に、レスターはハッとして振り向いた。
危ういところで、振り下ろされた剣をとっさにかわす。
足音も立てずに後ろに迫っていた男が、ものも言わずに斬りつけてきたのだ。
男の頭はマントで、口元は布で覆われ、顔はほとんど見えない。
レスターは素早く後ろへさがりながら、自分の剣を抜いて叫んだ。
「何者だ?!  名を名乗れ!」
男は無言のまま、再び襲いかかってきた。
相手の剣を剣で受け、力を流して脇へと跳ね返す。
お互い飛び下がり、間合いを取って、にらみ合う。
じりじりと足場を移しながら、レスターは相手の懐に踏み込むタイミングを計った。
しかし男の構えには一分の隙もない。
こいつは手強い、と、レスターの剣士としての経験が告げていた。
本気でやり合っても勝てるかどうか……? しかしこんなところで無駄死にするわけにはいかない、アイリーンを守って死ぬならともかく……。
レスターが決死の覚悟を決めたとき、男は静かに剣を引き、口元を覆った布を降ろして言った。
「よろしゅうございます。カンと腕は、鈍っていないようですね」
唖然として開かれたレスターの口から、声が漏れた。
「ウィリアム……!」


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