薄明宮の奪還 更新日:2005.08.13

第2部 アドニア〜リムウル
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 第2章 /交差する運命

8.救出

「ねぇ、もういいわ、降ろして」
ギメリックに抱かれたまま運ばれているのは落ち着かなかった。
最初、自分で歩くから、と言ってみたのだが、彼からは一言、
「この方が早い」と返されたきりだった。その後は何度訴えても無視され続けている。
あまりのそっけなさに、アイリーンは心の中でため息をついた。
“この人からいろんなことを聞き出すのは、至難の業だわ、きっと……”

 ギメリックの魔力は驚くべきものだった。ルバートの結界などものともせず、おそらく彼に気づかれないよう何らかの策を施して、ギメリックはアイリーンを抱いて塀を乗り越えた。彼が少し助走をつけてジャンプすると、後は風が彼らの体を塀の向こうへと運んでくれたのだ。

  屋敷は町はずれの丘陵地帯に続く森の中に、半ば埋もれるようにして建っていた。ルバートの追っ手を警戒してか、ギメリックは急ぎ足で街へと向かっていた。

 さっきはパニックになっていて、単純に、エンドルーアの密偵であるルバートが、この男の命令でそうしているのだと思ったが……よくよく考えてみればそれはおかしいということにアイリーンは気づいた。もしそうなら、ルバートも部下の男も、エリアードが実は自分の主君だということぐらい、わかるだろう。それに森で襲ってきた相手を……ギメリックは何人も倒している。味方同士でそんなことをするはずもない。でもそれなら……あの男が、ギメリックは自分の主君の名だと言ったのは……どういうことだろう?

“俺を信じろ、ですって? 信じられるのは……あなたとルバートたちの勢力が、今は敵対しているということ……それだけよ”
アイリーンがじっと彼の顔を見上げていると、視線を感じたのかチラリと見下ろしてきたギメリックと一瞬、目が合った。アイリーンはひやりとしてあわてて目をそらす。

相変わらず、刺すように鋭い視線だった。……とても恐ろしい。
でも、そうでなければ……非常にまれな、美しい宝石のような瞳なのに……と、アイリーンは思った。
どうして初めて会ったときすぐに、彼がエンドルーアの王族だと気づかなかったのかと、今更ながらアイリーンは不思議に思う。トパーズの瞳は女神フレイヤの血を引く確かな印、ユリアからそう聞いたことがあったのに……。
アイリーンの頭に、乳母から聞かされた女神フレイヤの伝説がよみがえってきた。

エンドルーア王家の祖と言われるフレイヤは、月と太陽の女神。
その髪は月の光のごとく銀色に、瞳は太陽のごとく、熱く鮮烈なトパーズの黄色に輝いていたという……。しかし、かの“暗黒の7日間”、彼女の髪は怒りと悲しみのため黒く染まった。そして荒れ狂う彼女を鎮めるために、彼女の娘が自ら命を絶ったとき……フレイヤの瞳は紫に染まり、そこから一粒の涙がこぼれ落ちた……。黒い髪、紫の瞳となったフレイヤは、傷ついた心を抱え、迎えに来た神々とともに、遠く西方の海の彼方、神々の住む地へと去って行ったのだ。

ああ、この人の姿を恐ろしく思うのは……きっと、フレイヤの“暗黒の7日間”の姿そのままだから……。アドニアで育った自分でさえそう思うのだ。エンドルーアの人々に、黒髪にトパーズの瞳をしたギメリックは、どんな風に思われているのだろう……。
なぜだかアイリーンはそう思い、どうして自分がそんな想像をして、勝手に胸を痛めているのかわからなかった。

アイリーンが何となく沈んだ気持ちで物思いにふけっていると、ふいにギメリックが声をかけてきた。
「街に入るぞ。目くらましを使え」
「え……?」
アイリーンはギメリックの顔を見上げたが、彼は前を向いたまま言った。
「お前の様子は人目を引きすぎる。俺がいいと言うまで、姿を見せるな」
確かに……横抱きにされて運ばれているところを、人にじろじろ見られるのは恥ずかしい。そう思ったアイリーンは言われたとおり魔力を使って自分の姿を隠した。ギメリックも、再びエリアードの姿を身にまとった。


ギメリックが目立ちすぎる、と言ったのは違う意味だった。
アイリーン自身は全く気づいていない様子だが、彼女が着せられているのはどう見ても寝間着で、衿ぐりは広くあき、白い布地と言えば体のラインがぎりぎり透けるか透けないかという代物だった。ルバートが何をもくろんでいたかは一目瞭然だ。ギメリックが彼女をあまり見ようとしないのは、目のやり場に困るからだった。
マントを被せてやればよいようなものだが、理由を聞かれると困る。それに本人が気づいていないのだ、別にかまうまい。

彼女の靴は持ってきていたが、こんなに足に怪我をしているのに、歩かせるわけにはいかなかった。急いでいるのも本当だが、それはルバートの追跡を警戒する気持ちに加え、彼女の怪我の手当を早くしたいがためだった。傷口から悪い病でも入り込んだりしたら、取り返しがつかない。消毒してやりたくても、荷物は全て宿に置いたままだったのだ。

 人の多い大通りを避け、ギメリックはいつ覚えたのか、迷路のような裏道を通って朝方飛び出してきた宿に帰り着いた。もう昼を少し回っている。
「さて……宿屋のおやじに、馬と荷物を処分されていなければいいんだがな……」
ギメリックはつぶやいたが、それほど心配はしていなかった。
何かあった時のためにと用心し、良心的な経営者の宿を選んであるのだ。思った通りその甲斐あって、宿の主人は心配していた様子で、驚きながらも暖かく迎えてくれた。
「迷惑をかけたな。もう一泊分の宿代を払うから、あと一時、空いている部屋を貸してくれ」
と言うギメリックの頼みにも快く応じてくれたのだった。

ギメリックはベッドにアイリーンを座らせると、傷を洗い、手当を始めた。
「……っ!!……」触れられるとひどく痛む傷もあり、アイリーンは悲鳴をかみ殺し、奥歯を食いしばった。今まで緊張のためかそれほど感じなかったのに、二度も拳を食らったみぞおちも、少し腹部に力を入れるだけで激しく痛んだ。
てきぱきと手を動かしながら、ギメリックは言った。
「チクチクするところはないか? 異物が入っているなら取っておかないと……化膿でもしたらコトだ」
「……大丈夫みたい……チクチクは、しないわ……痛いけど」
「靴も履かずに飛び出したりするから、こんなことになる」
まぁそのおかげで、ある程度彼女の足跡をたどることができたのだが……。
それにしても痛々しい足だった。
「履いてる暇がなかったんだもの」
「お前が部屋を出た理由はわかったが……なぜ、結界から出てすぐに心話を使わなかった」
「だって目で見て確認できるまで呼ぶなって……」
「……」ギメリックは絶句し、あきれたように彼女の顔を見上げた。
「どうしてそういう……余計なところで、バカがつくほど素直なんだ? 非常事態の場合はそんなこと言ってられないだろう!」
「……」
言われてみれば確かにその通りだった。
“ほんと、バカみたい……私……”
いくら気が動転していたとはいえ、少し考えればわかりそうなものだったのに。
アイリーンは情けなくなってきた。あんなに怖い思いをしたのも、こんな痛い目にあう羽目になったのも、み〜んな自分がバカだったせいなのだ……。

 再び彼女の足に視線を落とし、手当を続けながら、彼は言った。
「だいたい、俺の後をつけていた奴の後ろから近づけば、俺に会う前にそいつに遭遇するのだということぐらい、気づくだろう普通。……全く、妙に察しが良いかと思えば肝心な所で抜けている。バカなんだか利口なんだか……」
そう言いつつ手当を済ませたギメリックは、彼女の顔を見てギョッとした。
「あ?……っと……え、その……ああっ! もういい! 泣くなっ」
「……泣いてなんか、……」言葉は続かなかった。
ギメリックが彼女を引き寄せて、力一杯抱きしめたからだ。彼の胸に顔を押しつけられて息苦しくなったアイリーンは、泣くのをやめて首をよじり、横を向いた。
「ギメリック、苦し……」
小さく抗議の声を上げかけたとき。彼の指が彼女のあごをすくい、唇がアイリーンのそれを塞いだ。

それはほんの一瞬で、アイリーンが何が起こったかわからないうちに終わっていた。
「その……こういうことを、されなかったか? あいつに……」
少々バツが悪そうに、彼は尋ねた。
「あ……されたわ」
どうして知ってるの?と、口元を押さえ、赤い顔をして聞いてくるアイリーンに、彼は何と言ってよいやら困ってしまう。
「……つまり、だから……ベッドで一緒には、眠れないわけだ……」
「?……何のこと?」
きょとんとしているアイリーンの様子に、たいしたことはされていなさそうだと胸をなで下ろしたが、それはそれでまた、何だかもの悲しいような複雑な気分になる彼だった。
「……いや、いい……何でもない」
……まあ、彼女が魔力を保っているところを見ると、大事なかったのだ……。

 それで思い出したというように、アイリーンはふと、
「ああ、そう言えば……あなた床で寝てたでしょ?……どうして?」と尋ねた。
“しまった、やぶ蛇だった……”ギメリックは内心頭をかかえ、
「え、だから……、う……ええと……」
と言いながら、何かもっともらしい理由はないかと考えた。
「……お前の寝相が最悪だったからだ。何度も殴られたり蹴られたりしたんで、耐えられず……」
「うそっ!」
赤くなって叫んだ彼女だったが、すぐに心配そうになり、上目づかいで聞いてきた。
「……本当?」
その様子があまりに可愛らしかったので、彼は思わず白状した。
「……ウソだ」そして彼女の反応が可笑しくて、笑い出した。
笑いながら背中を向けると、彼は出発の仕度をするために荷物をまとめ始めた。

「何よもうっ!……あなたって、ほんっと、嘘つきね!」
怒りながらも、アイリーンは意外な思いで、彼を見つめた。
“……笑ったわ、この人”
初めて見た彼の笑顔は、何だか感じがよかった。 今まで、ただ恐ろしいだけだったギメリックのイメージとは、どこかちぐはぐな印象だった。
“この人も……こんなふうに、普通に笑えるのね……”
アイリーンはホッとした。正直なところ、エンドルーアの皇太子であるはずのこの男が、なぜ自国の臣と戦ってまで自分を守ってくれるのか……さっぱりわけがわからない。無理矢理石を奪われたことや、ティレルを殺すと言われたことなど、気になることもたくさんあったが、“基本的に嘘つき”と認識したこの男の、何が真実で何が偽りなのか、アイリーンには判断がつかなかった。
とにかく今は彼が自分を守ると言ってくれた言葉を、信じるほかなかった。頼れる者は彼しかいないこの状況で、自分には選択の余地はないのだ。

それにしても……、さっきのあれは、何だったのだろう……?
何だか、うやむやになってしまったけど……キス……されたような……。
思い出すと顔が火照ってくる。
“なんであんなことしたの?……ほんとうに、この人、わけがわからない……”

「さぁ、すっかり遅くなった。出発するぞ」
「出発って……どこへ?」
二人は見つめ合った。
アイリーンは薄々気づいていた。レナンダールがこれほど遠いはずはないと。
「……まぁ、追々わかるさ。それより、これに着替えろ」
そう言って彼は荷物の中から出してあった彼女の替えの服を手渡した。
「終わったら合図をしろ。急いだ方がいいぞ。ルバートの所にはお前が着ていたものが残っているからな。特にマントはほぼ一週間ずっと、お前が身につけていたものだ。ルバートがもし方法を知っていてその気になれば……数日の間くらいなら、魔力を使ってお前の居所を探ることが出来る。あいつに追いつかれたくはないだろう?」
アイリーンはサッと青ざめたかと思うと、そそくさと着替え始めた。
ギメリックはあわてて扉の外に出る。
“……よほど怖かったんだろうな……”
ギメリックの心を、チクリと罪悪感が突き刺した。

アイリーンがティレルを想い、時折、心で呼びかけていることは、最初からわかっていた。だからこそ、ティレルに化けて石を奪うことを思いついたのだ。
彼女が徐々に力をつけてきて、無意識に魔力を使っていることに気づいてからは、密かに結界を張ってその都度、彼女の魔力の気配が漏れないように対処してきた。それなのに……昨夜はなぜか、彼女がティレルを呼ぶことに腹が立ち、やめろと言ってしまったのだ……。おこたりなく結界は張ってあったのだから、いつものように気づかぬふりをしていればそれで良かったはずなのに……。
ギメリックはため息をついた。彼女がひどい目にあったのも、もとはと言えば自分のせいだとも言える。

……心配するな。これからは、何があっても俺が守ってやる……と、抱きしめて慰めてやれたら……どんなにいいだろう。しかしいずれ、それもまた嘘だったと、彼女に思われることになる。この先、さらに過酷な戦いへと、他ならぬ自分自身が彼女を導くことになるのだから……。それがどんなに気が進まないことであろうと、彼女がフレイヤの涙の主である以上、彼女を利用して目的を果たさなければならないのだ。
“目的地に着くまでのあと僅かな間……せめてその間だけでも……俺はお前のナイトを務めよう。その後のことは……今は、考えるまい”
胸の奥にわだかまる重苦しい痛みから目を背け、彼はアイリーンの心話に答えて部屋の扉を開けた。

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