薄明宮の奪還 更新日:2005.07.18

第2部 アドニア〜リムウル
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 第2章 /交差する運命
6.危機

“アイリーン!!”
もう何度、心の声の限りに叫んだだろう?
刻々と過ぎていく時間とともに、ギメリックの焦燥もつのっていた。

 心話の届く範囲はお互いの魔力の強さによって決まる。ギメリックとアイリーンの魔力をもってすれば、その距離はかなりのものになるはずだ。とても一晩で移動できる距離ではない。だから彼女が心話の呼びかけに答えないのは、彼女が意識を失っているか……何者かの、結界の中にいるかのどちらかだ。いずれにせよ、彼女が敵の手に落ちたと考えるほかなかった。

 アイリーンの足跡をたどる靴は、ある場所で止まってしまった。どうやら自分の後を追ったのだとギメリックは気づいたが、始めはそれがなぜなのかわからなかった。
 靴が止まった場所に彼女がいないとすれば……そこから先は、何者かによって運ばれて行ったことになる。周りを調べると、かすかに、彼女の魔力の気配が残留している。それをたどっていくと、彼女に与えた紫のペンダントが落ちていた。
ギメリックはそれを拾って手に握り込み、その手を額に押し当ててつぶやいた。
「お前の見たものを我に見せよ……」
アイリーンの首に掛かっていたペンダントは、ほぼ正確に彼女の視点での映像をギメリックに伝えてきた。そこで初めて、彼は彼女が部屋を出た理由を悟る。
“バカが……! 俺のことより、なぜ自分の方が危険だと気づかない?! この男は……誰だ?”
映像は見えても、男の魔力の気配までは伝わらないので、男が森で襲ってきた相手だとすぐにはわからなかった。しかし前後の状況を考えると、そうに違いないとギメリックも思い当たる。それでも、男がどこからやってきたのかはわからず、従ってアイリーンがどこへ連れて行かれたのかもわからない。

 ギメリックは、夜が明けて次第に人影が見え出した街の通りをさらに調べ回った。しかし、男が自分の魔力の気配をシールドしていたために、その気配は全く残っていない。途中から、男はアイリーンの魔力の気配もシールドしてしまったのだろう。手がかりはそこで途切れてしまった。

 ギメリックが次の手を思案して立ち止まっていると、すぐそばで、二人の男が市の準備を始めた。彼らの商品は、今朝収穫してきたばかりの野菜のようだ。
「領主様のお屋敷に収める分は、もう運んだのか?」
「まだだ」
「バカ、さっさと持って行け! ルバート様は厳しいお方だ、遅れたと知れると鞭で打たれるぞ!」
ギメリックは男達を振り返り、その一人につかみかからんばかりに詰め寄った。
「おい、この街の領主はルバートと言うのか?」
男はギメリックの剣幕に目を白黒させながら答えた。
「そ、そうだけど……」
「ルバート・オー・ハヴォル・フォアリード……か?」
「あ、ああ……」
「……前の領主はどうした」
「病気で亡くなられた、一月ほど前に……」
「……礼を言う」
ギメリックはサッと身を翻すとあっけにとられている男達を残して走り出した。
“くそ……うかつだった……。あいつがこの街にいると知っていたら……無理をしてでも、もう一つ先の街まで森を進んだのに……”

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 アイリーンは部屋の扉を背にして立ち、男をじっと見つめていた。
「座ったらどうだ。空腹ではないのか?……毒など入っていないぞ」
ルバートは朝食の仕度がされたテーブルにつき、薄く笑っている。
「……これをはずしてよ」
手首を縛る鎖に目を落とす。
「ふん、そうだな……」
自分がそばにいて逃げられるはずがないと高をくくっているのだろう。ルバートが空気を切るように手を振ったと思うと、鎖は切れて床に落ちた。
消耗していた魔力が徐々に蘇ってくるのが感じられる。アイリーンは目を伏せ、いかにも痛みがなくなってホッとしている風を装って、手首をさすった。そうしながら、自分の中にある力を探ってみる。果たして自分にどれだけのことができるかわからなかったが、自分のためにも、……エリアードのためにも、逃げなければならなかった。

 再びルバートに目をやると見せて、アイリーンは部屋の中の様子をうかがった。自分の背後で閉じられた扉の向こうは控えの間で、衛兵が十数人も待機していることは、部屋の中に押し込まれる前に見て取っていた。その向こうにはここまで連れてこられた廊下が迷路のように続いていて、そこから逃げることはとても無理そうだ。この部屋には他に扉が一つあり、座っているルバートの後ろに、大きな窓も一つあった。窓の向こうがどうなっているのか……何とか見たいと彼女が考えたとき。
「あっ……?!」
突然、見えない力がアイリーンの体に巻き付き、自由が効かなくなる。彼女は力に引きずられ、ルバートの向かい側の椅子に無理矢理押さえつけられた。
怒りのこもった目でルバートをにらみつけ、アイリーンは言った。
「……私はどなたの朝食に招待されたのかしら? 名乗ってくださらないなんて、礼儀に反するんじゃなくて?」
ルバートは面白い、というように薄い唇をゆがめて笑った。
「くく、その気位、いかにも王家の血筋の者らしいな……精一杯の虚勢、可愛いものだ。いいだろう、私はルバート・オー・ハヴォル・フォアリード。8年ほど前からエンドルーアの密偵としてアドニアに入り込み、アドニアの忠実な臣を装って暮らしてきた。つい最近、病死した前の領主に替わってこの街の領主に任じられ、赴任してきたばかりだ。ちょっとした暗示と魔力で取り入ったとは言え……実に簡単だった。この国は平和ボケしているからな」

 アイリーンは自分の頭から血の気が引いていくのを感じた。
こんな重大な秘密を、アドニアの王女である彼女にぺらぺらしゃべるということが何を意味するか……察しの良い彼女にはわかったからだ。この男は確実に、いずれ自分を殺すつもりなのだ……。
 幻獣には、生理的にも本能的にも、理屈抜きの激しい嫌悪と恐怖を感じた。しかし相手が人間となると、敵と言っても今ひとつ実感が持てなかったアイリーンだが、ここにきて、やっと、実感を伴った恐怖が襲ってくる。
しかし彼女は気丈にもそれを表に出さないように努め、ルバートを強い瞳で見返した。

 ルバートは目を細めて、そんな彼女をじっくりと眺めた。
肩までの長さしかないが、きれいに整えられた金の髪は柔らかなウェーヴを描いて彼女の顔を明るく包み、さらに彼女の全身をその光で覆うかのようだ。大きく開いた襟ぐりから、美しいラインを描いてすんなり伸びる細い首。白い服を身にまとっていながら、さらに白さが際だつその肌のきめ細かさ。ふっくらとつややかな唇の、美しい色合い。そしてこちらを見返してくる瞳の中にかいま見える、凛とした意志の強さ……。魔力によって彼女のおびえた気持ちが伝わってくる。しかし彼女は見事なまでにそれを隠し、表情の中にそれをうかがうことはできなかった。

「なるほど、こうして見るとお前はフェリシア姫に生き写しだ……」
蛇のような陰湿なその視線に、アイリーンは寒気を覚えながらも聞かずにはいられなかった。
「……母を、知ってるの?」
ルバートはさらに目を細め、薄い唇に笑みを浮かべる。
「アドニアに来る前は、エンドルーアの王宮に出入りしていたからな。私がエンドルーア王宮に初めて仕官した頃、姫は我らの崇拝の的だったが……フフ、その娘であるお前を私に与えてくれた、運命の巡り合わせに乾杯だ」
ルバートは高く杯を差し上げて、その中身を一気に飲み干した。
「……それにしても、おかしいではないか。アドニア王が魔力を持っているはずがない。お前の母も、魔力は持たなかった。となると、お前の父は誰か?……ということになるな」
杯をテーブルに置くと、にぃっと嫌な笑いを浮かべ、ルバートは立ち上がった。
危険を感じてアイリーンも立ち上がる。
“だまされちゃダメ、私が動揺すると思って言ってるだけよ……”
アイリーンは必死になってその思いにしがみつこうとした。しかし兄から聞いた言葉が、頭の中によみがえる。
“君が少しだけ、生まれ月より早く誕生したものだから、君の母上はエンドルーアで身ごもったのだと言う下世話な輩がいるんだよ”

バカバカしいわ、エンドルーアで誰かと結婚していたのを隠して、母がアドニアに嫁いできたとでも言うの?……そんなはずないじゃない……。お父様も、お母様を信じていると言っていた……。

 結婚すれば自然に子供が授かると思っているアイリーンはそう考え、むしろ馴染みのない、魔力がどうこうという話の方が信憑性に欠けると思った。
「隔世遺伝、ってこともあるでしょ?」
「……ないな。女の魔力はほとんどが大人になるまでに消えてしまうとはいえ、魔力を持つか持たないかは、3才の時の儀式で確実に確かめられる。魔力の遺伝を持たない親からは、魔力を持つ子供は生まれない。エンドルーアでの長年の研究の結果、導き出された事実だ」
「……」アイリーンはそんなのおかしいと思ったが、言葉には出さず、近づいてくるルバートを避けるように後ずさりながら彼をにらんだ。

「そして魔力の血統は必ずしるしとしてどこかに現れる。銀髪や黒髪、紫の瞳、滅多にないがトパーズの瞳……」
ルバートは逃げようとするアイリーンの体を再び魔力で縛り、自分の元に引き寄せた。腕を掴んで顔を近づけ、彼女の瞳をのぞき込む。
「お前の瞳は珍しいな。……それほどの魔力を持ちながら、瞳が完全に紫ではないというのも……。フェリシア姫は紫の瞳だったが……」
「それなら、やっぱり母は魔力を持っていたんだわ」
必死に、魔力の戒めを解こうとしながら、アイリーンは言った。
「それは違うな。黒髪とトパーズの瞳は強い魔力を持って生まれたしるし、数も少ないが……銀髪や紫の瞳はエンドルーアではありふれている。その者が必ずしも魔力を持つとは限らないのだ」
ルバートは彼女の体を抱き上げ、奥の扉へと向かった。
「くくく、結界は解いてあるぞ。やつを呼べ! お前の力で心話が届く範囲にいれば、必ず来るだろう」いかにも、準備万端ととのえてある、という口ぶりだった。
「……来ないわよ。絶対、呼ばないから……」
「さて、その強がりがどこまで持つか見物だな」
ルバートの顔が近づいたと思ったら、生暖かいものが彼女の唇を塞いだ。
驚きのため一瞬、彼女は目を見開らき、それから硬く閉じた。
“いやっ!!”
顔を背けようとするが、痛みを覚えるほどに全身を魔力でしめつけられている上、さらにルバートの腕が強く頭を押さえていて身動きができない。
“……苦しい……! 放して!!”
息ができず、彼女の喉の奥から、苦しげな悲鳴が漏れる。それを楽しむように、ルバートは執拗に彼女の唇をむさぼり続けた。
“い…やっ……!!”

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