薄明宮の奪還 更新日:2005.07.06
(07.18 加筆)

第2部 アドニア〜リムウル
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 第2章 /交差する運命
5.夢

 暗い森の中を、アイリーンは走っていた。
闇の中から不意に、瘤だらけの幹に陰鬱な影のような葉をからませた、不気味な木々が立ちはだかる。悪意に満ちた曲がりくねった木の根と、うっそうと生い茂る下生えのため、思うように前へ進まない。気が焦るばかりだ。
 アイリーンにはわかっていた。後ろから、あの男が追いかけてくる。黒い髪とトパーズ色の目をしたあの男。その目は、憎しみに燃えている。
“殺される! 捕まったら、殺される!”
冷たい恐怖に体がこわばり、ますます足が動かない。逃げても逃げても、男は追ってくる。
何かに足をとられ、アイリーンは倒れた。振り返ると、黒いシルエットとなった男の姿が、すぐそこに立っている。
「きゃぁぁぁっっっ!!」男の手がアイリーンの首にのびてくる。
“もうダメ!”そう思ったとき、辺りがパアッと明るくなった。
あまりの眩しさに男は腕を上げて目をかばい、そしてそのままの姿勢で消えていった。

 次の瞬間、アイリーンは明るい森の中に立っていた。目の前に、満々と水を湛えた美しい泉がある。そばに誰か立って、同じように泉を見つめていた。
 女性の声で、その人が言った。
「力は、この自然界の至るところにあふれています。古いものほど、大きな力を持っているのです。太古の昔から存在する火や水や光には、私たちが利用したくらいではびくともしないほどの力が秘められています。自らの魔力以上の力を必要とするとき、私たちはそこに在る“力”を集め、利用するのです。
  さあ、やってみてごらんなさい。自分の中を空にして、周りの力を引き込むのです。ちょうど水が、高いところから低いところへと流れるように……力を呼び落とすのです、自分という器の中へ……」
 見るとその人は、女性にしては背が高く、黒紫のマントを頭からかぶって手には自分の背丈ほどもある長い杖を持っていた。彼女はその杖を軽く、トン、と地面に降ろした。
とたんに、ザァッと強い風が吹いてきて、辺りの木々の葉を散らす。アイリーンは思わず目を閉じた。深い時の重みを感じさせる、静かで凛とした彼女の声が、頭の中にこだますように響いてくる。
「……ですが、気をつけなければいけませんよ。決して、力を集めすぎてはいけません。魔力を受ける器の大きさも、生まれながらに定まっているのですから……。集めすぎた力を放出することができなければ、その力は自らを滅ぼしてしまいます……」

 次に目を開けると、どこか知らない、建物の中だった。荘厳な飾りのついた太い大理石の柱が何本も立ち並び、天井は見上げるような高さでアーチ型に集束している。あまりに広いので、一番奥まった場所はよく見えないほどだが、どうやら玉座らしい、これもまた美々しく荘厳な飾りの施された椅子があった。
「アイリーン!」
強い声で呼ばれて振り向くと、ティレルが立っていた。蒼い薄闇がただよう虚ろな空間の中、彼の周りだけが淡い銀の光に包まれている。
「ティレル……!」アイリーンは広げられた彼の腕の中に飛び込んだ。
「良かった……! 無事だったのね?」
「いけない、こんな所に来ては……早く帰るんだ! やつらに気づかれる前に……!」
せっぱ詰まった口調の彼を見上げ、アイリーンは困ってしまう。
「帰り方がわからないわ。どうやってここに来たのかも、わからないのに……ここはどこ? あなたはいつもは、ここにいるの?」
 やっぱり、彼はちゃんと人間として生きているんだわ、ここで……そう思うと無性に嬉しかった。ここでは、こんなに自然に彼と触れ合うことができる……。
「目を閉じて。ぼくが、帰してあげる……もといた所へ」
「どうしても、……すぐに帰らなくちゃいけない?」悲しそうに尋ねるアイリーンに、ティレルは青い瞳を曇らせたが、決然としてうなずいた。
 仕方なく、アイリーンが目を閉じると、ティレルは優しく彼女の額に口づけ、ささやいた。
「でも良かった、伝えなくちゃいけない大切なことがあったんだ。忘れないで欲しい……ぼくと君の魔力は二人で一つ。新月の夜は君に、満月の夜はぼくに、二人分の魔力が集まる。だから満月の夜には気をつけて……。君にはほとんど魔力が残っていないから。このことは誰にも言っちゃいけないよ。どんなに気を許した人にもね。万が一敵に知られたら君の命取りになるし、逆に誰にも知られなければ、このことが、いつか君の助けになるかも知れない……」
アイリーンを抱きしめる彼の腕に一瞬、強く力がこもる 。
「……さあ、行って!!」
ふわりと放されたかと思うと、自分の周りの空気が渦を巻いて流れていくのがわかる。彼の気配とともに、最後につぶやいた彼の声がだんだん遠くなっていく……。
「アイリーン……愛してる。会えて、嬉しかったよ……ぼくの大事な……」

“ティレル……”
胸を締め付けるこの悲しみは何だろう?……もしかして……、これは予感なのだろうか? もう二度と、彼には会えないという……。いいえ、そんなはずはない! きっと……、きっとまた会える……。
“ティレル、待っていてね。必ず、あなたを探し出してみせる……”


 腕の中の少女が何かつぶやいたので視線を落とすと、彼女は眠りながら涙を流していた。
男は思わず立ち止まった。侍女に仕度をさせたアイリーンを、主人のもとへ運んでいく途中なのだ。まだ年端もいかない少女を、この先待っている運命を思うと、彼の心は痛んだ。

 彼女を捕らえて主人に差し出したのは彼だった。森の中で彼女とエリアードを襲い、仲間を全て失った後、一人、彼らの後を追っていた。しかしエリアードと呼ばれているあの男の魔力は、自分のものより何十倍もレベルが上だ。とてもかなう相手ではないとわかる。
 そう報告したのだが、主人は彼を許さなかった。必ず殺すか、捕らえるかしてこい、それまで、館に帰ることは許さないと言われた。彼には、妻や子供がいる。人質に取られているも同然だった。逃げることもかなわない。負けるとわかっている相手に魔力で戦いを仕掛けるなど、狂気の沙汰だ。死ねと言われているようなものだった。それでも、彼には他になすすべがなかった。仕方なく、つかず離れず彼らの後を追い、機会をうかがっていたのだ。

 しかしそれは容易なことではなかった。何しろエリアードの魔力は桁外れに強い。少しでも近づきすぎると、必死で自分の魔力の気配を隠しているにもかかわらず、彼に感づかれてしまいそうだった。そのためこの街に入ってすぐに、彼は彼らを見失ってしまった。再びエリアードを見つけたのは全くの僥倖と言えた。しかもエリアードは何かに気を取られていたらしく、普段の彼なら見落とすはずのない、間近に存在する他者の魔力の気配に気づかなかったのだ。

 自分の行く末を考えて不安で眠れず、夜の街をうろついていると、自分のいる細い路地の先で直角に交わっている道を、エリアードがサッと横切っていくのが見えた。一瞬、肝を冷やしたが、自分に気づいていない様子に胸をなで下ろし、後を追った。追ったところで……彼を倒せるわけでもないのだが……と悶々と思い悩み、悩みつつも進んでいくうちに、彼は自分の後ろから、別の魔力の気配が近づいてくるのを感じた。
 おそらくエリアードの方は、無意識でもそれができているのだろう。彼の強い魔力の気配はしっかりとガードされ、彼を見知ってそうと知っている者にしか見破られないほどだ。しかしこの、後ろの魔力の気配は……いかにも無防備だった。 彼は足を止めて振り返った。
……間違いない、これは、アイリーンだ。

“しめた! 彼女を捕らえれば館へ帰れる!”
しかしどうやって捕らえるか、それが問題だった。下手をすると前を行くエリアードに感づかれる。彼は自分の魔力の気配をきっちりと隠し、ただの通行人のふりを装って元来た道を戻り始めた。とっくに真夜中を過ぎ、明け方近いこんな時間に歩いている者など、他には誰もいないから、通行人のふりと言っても無理があるかも知れない……。しかし、とにかく彼女に怪しまれないように近づいて、一瞬で片を付けなければならない。

 彼女が小走りに近づいてくるのが見えた。金の髪が夜目にも明るく輝いて見える。彼は何気なく歩いていきながら、緊張が高まってくるのを感じた。すれ違ったら、「何か落としましたよ」と声をかけ、振り向いたところを……。と考えていたのだが。驚いたことに、彼女の方から近づいてきた。
「あの……すみません」
ずっと駆けてきたのだろうか、息が上がっている。
「……何だい?」
「この道で、背の高い男の人と……すれ違いませんでしたか?」
「ああ……見たよ」
アイリーンはホッとしたように笑顔を浮かべた。
「ありがとうございました」と言って走り去ろうとするのを呼び止める。
「その人、ある家の中に入っていったけど……良ければ案内しようか?」
さりげなく近づきながら言うと、
「まぁ……それはご親切に」
アイリーンは嬉しげに微笑んだ。微塵も疑っていない様子に罪悪感を感じながら、彼は彼女のみぞおちを殴って気を失わせた。あっけないほどあっさりと、彼女の体が倒れかかってくる。
“悪く思わないでくれ……私も自分の身が可愛い……妻や子供も、守らなければならないんだ”


 彼がもう一度、心の中でアイリーンに詫びたとき。長いまつげが震えたかと思うと、彼女が目を覚ました。パッチリ開いた大きな、澄んだ青い瞳に、彼は激しく動揺した。
彼女は自分を横抱きにしている彼の顔をじっと見上げて、やがて言った。
「あなた、……あの時の人ね。森の中で、私たちを襲ってきた……」
彼の腕に抱かれていることに特に抵抗する様子はない。先ほどの抵抗で疲れ果て、その気力も体力もないせいだが、彼女が敏感に、彼の心の中の彼女に対する同情心を感じ取ったからでもあった。
「気づいていたら……近づいたりしなかったのに」とため息をつく。
「……まだ魔力に目覚めて間もないのでしょう。力が不安定なのは仕方がありません。私も精一杯自分の魔力を使って隠していましたから」
男はなぜ自分がこうも素直に、しかも丁寧に答えているのかわからなかったが、そうせずにはいられない何かが、彼女の中にあった。

 アイリーンは、やはり手首に巻かれている鎖のもたらす痛みに眉をひそめた。両手を目の前に持ち上げて眺め、不思議に思う。これほどの痛みを感じるのに、見た目には何の損傷もない。先ほど吊られていた時にできたらしい跡が少し、ついているだけだった。
「どうしてこんなことするの?……私があなたに何かした?」
「すみません……助けて差し上げたいが、私は主人に逆らうことは、できません……その代わり、何でも、あなたの助けになりそうなことは教えて差し上げたいと思います、主人のこと以外なら……」
苦しげに答える男の顔を、アイリーンはまた、じっと見上げた。
「……私、幻獣を倒したことがあるけど、無意識で……攻撃の魔力をどうやって使えばいいのかわからないの。教えてくれない?」
「言葉で教わってすぐにマスターできるような簡単なものではないのです。それに魔物相手と人間相手では、勝手も違う。魔物に対抗する力はエンドルーア王家に備わった天性のようなものですから……無意識にでも倒せたというのは、納得できますが……」
「……」
不安そうな彼女の瞳を見て、男は思わず口走っていた。
「館の周りの結界を、私が一瞬だけ解きましょう。その時、彼を呼びなさい。あなたのナイトはとてつもない魔力をお持ちだ、必ずここを探し当てて助けに来るでしょう」
アイリーンは少し考えていたが、
「どうして、彼が私の敵だなんて言ったの?」と聞いた。
「あなたを彼から引き離すためですよ。精神的に揺さぶりをかけるのが魔力戦での常套手段……。防御や攻撃の魔力を使うには強い精神力と集中力が必要です。それを崩すには、相手の心に迷いや疑いを吹き込んで自滅させるのが一番なのです。彼には通用しそうもなかったから、防御の弱いあなたにターゲットを絞って精神攻撃をかけたのですが……あなたにも、通じませんでしたね」
男は薄く、苦い笑いを浮かべた。そして一瞬、躊躇するように口をつぐみ、それから言った。
「……聞いてしまえば私は主人に問われたとき答えざるを得ませんから、彼が何者であるかは聞きますまい。しかし……魔力を持つ者が腰に剣を携えているとは……驚きました。柄に革を巻いた特殊な作りの剣のようでしたが……それにしても、鍛え上げた鉄を身につけて、辛くないわけがありません。袋に空いた穴から水が漏れるように、常に魔力を消耗しているはずです。それなのに……彼はその上、二人分の結界を張り続けながら旅をしている。普通では考えられないほどの魔力です。……私と主人の魔力を合わせても、魔力戦では彼にはかなわないでしょう。しかしこちらには数を頼んだ武力がある。……お気をつけなさい。魔力を持つ者にとって、刃物による傷は命取りになりかねない。常人の何倍ものダメージを受けるのですから。体の回りに結界を張ることによってそれは防げますが、魔力で強化された剣だとそうもいかない、しかも魔力で攻撃を仕掛ける瞬間には、結界は解かねばなりません。だから我らは、魔力を持つ者と常人の剣士、両方を混ぜたチームでもって、魔力を持つ者を狩るのです」

  アイリーンは彼の説明を聞くうち、激しい動揺を覚え、目眩がしてきた。キュッと目をつむり、気分の悪さに耐える。
「それからもう一つ。あなたの結界はほとんど物の役に立っていませんよ、彼の結界の中から出てしまえば、あなたはとても無防備に自分の魔力の気配をさらしている」
「ええ、……心話を習ったときに一緒に教わったけど、まだ私、うまくできないみたい……」
目を閉じたまま答え、それから目を開けると、ちょうと男が何かに打たれたように顔を上げるところだった。
「すみません……もう、行かねばなりません……主人が呼んでいます……」
男は苦痛に顔をゆがめて彼女にそう告げ、歩きだした。ここでは、主人の呼び出しとは苦痛を伴うものらしい。つくづく、あの、ティレルとは似ても似つかない銀髪の男は、ひどい人間なのだろう。
「魔力の知覚をずっと張っておいてください、私がタイミングを見計らって一瞬だけ、結界を解きますから……その時を見逃さずに、彼を呼んで……後は、できる限り身の回りに結界を張って、少しでも多く時間をかせぎなさい……」
アイリーンは恐怖を覚えながらも、男に向かって言った。
「ダメ、私にはわからないかも知れない。それにそんなことしたら……きっと、あなたがあの人にひどい目に会うわ」
「……この館で魔力を持つ者はもはや私と主人だけです。主人の注意があなたに向いていれば、何とかごまかせます……」
それでも、危険な賭であることに変わりはない。アイリーンにはそれがわかった。が、どうすればよいのだろう? この男に危険を冒させる以外に、何か自分にできることはないのだろうか?

  そこでアイリーンは思い出した。先ほど見た夢のことを。 前に見た、恐ろしいほどの現実感を伴ったあの殺戮の夢とはちがって、とりとめのない散漫な印象の夢だった……。けれどその中にいくつか、重要な暗示があったような気がする。
 アイリーンは一生懸命考えた。
……そう、魔力のことだ。力の、集め方……そして、ティレルと自分の魔力が、二人で一つだということ……。

 アイリーンはその時、ハッとして自分を抱いている男の顔を再び見上げた。
「そうだわ……ティレルのことを教えて! 彼を知ってる?」
「ティレル……とは、レティス卿のご子息の、ですか?」
「え……彼はエンドルーア王家の第二王子と思っていたけど……違うの? 青い瞳と銀の髪の、私と同じ歳くらいの……」
「では間違いないでしょう……私はお会いしたことはありませんが。彼は行方知れずと聞いています、10年前から……彼のお父上、レティス卿とともに」
「えっ……」
そんな……そんなはずはないわ。だって彼はあそこにいたもの……あれはきっと、エンドルーアの、王宮だったに違いないのに……。それとも、あれはただの夢だったの……?

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