薄明宮の奪還 更新日:2005.06.21

第2部 アドニア〜リムウル
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 第2章 /交差する運命
4.失踪

 エリアード……いや、エリアードの姿をまとったギメリックは、足早に暗い通りを歩いていた。宿から充分離れた場所まで来ると、エリアードの姿を脱ぎ捨て、本来の自分の姿に戻った。眠っているときにまで姿変えの魔法の効力を保たせるのは、難しい。彼ほどの魔力の持ち主でなければ到底、できないことだった。その彼にしても、ずっと他人の姿をまとっていることは、かなりの魔力を消耗するのだ。
 もう他人を装い続けることにも疲れ、嫌気がさしてきていた。しかし彼女と旅を続ける限り、やむを得ない。石を奪い、ティレルを殺すと宣言した自分が、何をどう説明しようと彼女が納得するとは思えなかった。何より、彼女は彼を恐れている……。

 彼はアイリーンから奪い取り、彼女に隠して肌身離さず身につけている“フレイヤの涙”を、服の上からそっと押さえた。
“いまいましい……手に入れさえすれば、この石に宿る力は即、自分のものになると信じて疑っていなかったのに……いったいなぜだ? ……石は自ら主(あるじ)を選ぶことがあると、聞いた気もするが……エンドルーアから遠く離れたこの国で、ぬくぬくと何も知らずに育ってきたあいつが、なぜ選ばれる……?! しかも、女とは!!”
 もう数え切れないほど繰り返している同じ思い。その激しい怒りにきつく拳を握りしめる。
“この石の力を必要としているのは俺だ! この石の正統な権利者も、俺だ! これはエンドルーア王家、直系の嫡男が代々受け継いできたものなのだから……。なのに、なぜだ?!”
「ヴァイオレット……」
ギメリックの唇が、苦しげにその名前をつぶやく。
“あなたの仕業か?! ……なぜだ……”
今は人っ子一人いない広場に佇み、打ちひしがれた子供のように、ギメリックはうなだれた。

 どれくらいの時が経ったのか……。広場の噴水のふちに腰掛け、物思いに沈んでいた彼はふと気配を感じ、顔を上げた。通りの向こうから、一匹の犬が近づいてきていた。この時代、ペットとして犬を飼う余裕など庶民にはない。しかし狩猟や放牧を生業(なりわい)とする者にとって、犬は仕事に欠かせない大切なパートナーだった。
  白にところどころ茶色のブチのあるその犬は、近くまでやってくると足を止め、警戒半分、期待半分といった様子でギメリックを見上げた。群れていないことや、どこか人なつこそうな顔つきから、野犬ではないと思われた。どうやら腹を空かせているらしい。
“……どうした。主人とはぐれたのか”
心でのつぶやきに、犬はピクリと耳をそばだたせ、さらに期待を込めて見つめてきた。個体差が大きいが、動物の中には魔力での心話に反応するものがいる。その様子に苦笑し、ギメリックは言った。
「悪いが何も持ち合わせちゃいない。他を当たるんだな」
犬は動こうとしないギメリックに期待しても無駄と悟ったらしい。また歩き出し、ウロウロと辺りの匂いを嗅ぎながら離れて行った。

 犬を見送りながら、ギメリックは自分たちの食料のことを考えた。
“出発前にもう少し、食料を仕入れておかなければ……”
彼の口から、ため息がもれた。アイリーンのあの様子では、森で狩りをして食料の足しにするわけには、いかないだろう。狩りで得られる鳥やウサギの肉は無料で手に入るし、持ち運ぶ必要もない。新鮮で栄養豊富な、申し分のない食料なのだが……。
  宿での食事の際、彼女がシチューに浮かんでいる肉片を恐ろしそうに見つめたまま、いつまでも手をつけないでいるのを見かねて、ギメリックは一つ一つ丁寧に探し出しては、それを自分の器によけてやった。「貧しい者にとっては、贅沢な話なのですよ」と言いながら……。アイリーンは神妙な顔をしてうなずいていたが、王宮育ちの彼女が真の意味で貧しさや飢えを理解することはないだろう。つくづく、どうして自分がこんな苦労をしなければならないのかとうんざりする。
 できることなら街へはあまり寄らずに済ませたかったが、今後も狩りで食料が得られないとなると、どうしても定期的に街に寄らなければならない。それは危険を冒すということに他ならなかった。
 彼はまた一つ、ため息をつくと立ち上がった。もうすぐ夜が明ける。


 帰ってみると、部屋はもぬけのカラだった。
“あのバカ……!! どこへ……?!”
彼の心は一瞬、躊躇する。このまま放っておけば……自分が手を下すことなく、彼女は敵の手にかかって死ぬか、それとも……魔力を失うか……。そうなれば、石は主を失い、新たな主を求めることとなる。石は今、自分の手元にあるのだ。望み通り、自分が石の主となり得るかも知れない……。

 しかしそんな思いとは裏腹に、彼の足は勝手に表に飛び出していた。
やみくもに辺りを見回し、心話を飛ばす。
“アイリーン! どこだ、答えろ!!”
目を閉じ、魔力の知覚を研ぎ澄ませて待ってみたが、返事はなかった。
息苦しいほどの不安が襲ってくる。彼は自分の動揺ぶりに驚きながら、自らに言い聞かせた。
“くそっ、落ち着け……! 何か手がかりは……”
先ほど部屋の中で見た光景が頭にひっかかっていた。彼は部屋に引き返し、それを見つけた。彼女の靴だ。すうっと彼の心が寒くなった。靴を履かずにいなくなったということは……
“敵に連れ去られた……?”
しかし、もしそうなら敵に結界を破られた痕跡があるはずだが、それは感じられない。彼は靴を手に取ると、口の中で呪文を唱え、床に戻した。
 すると靴はまるで見えない足がそれを履いているかのように動き出した。大急ぎで部屋を飛び出し、階段を駆け下りていく。ギメリックはその後を追った。
“自分で出て行ったのか……! 何だってそんなバカな真似を? しかもこのあわてぶりは?”
数々の疑問を頭に浮かべながら、ギメリックは靴の後を追って再び、暁の光が差し始めた街の通りへと飛び出していった。

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 絶え間ない苦痛の波が、アイリーンの意識を暗闇の底から呼び戻した。苦痛の源は手首だった。彼女は、下着として身につける薄物一枚という格好で、両手首を頭の上で鎖で縛られ、吊り下げられていた。金属の鎖は肌に触れているだけで焼け付くような痛みを与えてくる。いったん、薄目を開けて周囲を見回したアイリーンは、その痛みに耐えかね、再び固く目を閉じて、がっくりと頭を落とした。

“ここ……どこかしら……。ああ、それにしても、どうしてこんなに痛むの……? 今までは何ともなかったのに……。魔力に目覚めたから? フレイヤの涙も鎖がついていたけど……あれは、きっと特別だったのね……”

 そんなことを考えながらも、彼女は魔力を使って幻獣を倒したときのことを、必死に思い出そうとしていた。人は死に瀕したとき、走馬燈のようにそれまでの人生を脳裏に思い浮かべるそうだが、それはその記憶の中に現状を打開し助かる方法がないか探るために、本能的に脳にプログラムされている働きのせいだと言う……。今、彼女が必要としているのは自分がいかにして魔力を使ったかという記憶だった。

“あの時はただ夢中で……無意識だったわ、自分が魔力を使えるなんて思ってもいなかったから……”
焦れば焦るほど、何も思い出せない。

 物音がして、誰かが部屋に入ってきた。ここは薄暗く、じめじめとしてカビ臭いにおいのする、どうやら地下牢のようだった。やってきたのは二人の男だ。そのうちの一人が銀髪だったので、アイリーンは一瞬ティレルかと思った。しかし 美しい銀の髪の輝きこそ似ていたが、男は全くの別人だった。歳もかなり上だ。長い間、アドニアで孤独に過ごしてきた彼女だが、こんなにも冷淡で残酷な顔は、未だかつて見たことがない。もう一人の男は身なりや態度から、どうやら銀髪の男の部下か従者、といったところだ。主人のことを恐れているのが何となく伝わってくる。

 銀髪の男が閉じた扇の先でアイリーンの顔を上向かせた。
「アドニア王宮内で幻獣を倒したのは、お前か? それともあの男か」
「……」
「お前の連れのあの男、凄まじい魔力を持っているそうだな……一体何者だ?」
「……」
「奴は今どこにいる?」
「知らない……」
男は酷薄そうな笑みを浮かべた。
「まぁいい。宿で待っていれば、いずれ帰ってこよう。そこでお前が囚われたと知ったら、我々の言うことを聞かないわけにはいかないだろうさ。クク……」
“ああ、何とかして彼が捕まる前に、ここから逃げなくちゃ……だけど、どうやったら……”
自分は一度、魔力を使って幻獣を倒したのだ。あの時できたことが、できないはずはない。
「おい、こいつの記憶から、宿の場所を読み出せ」
部下の男が額に手を当ててきた。
「あっ…!」
心に侵入してくる不快な感覚に、思わず、アイリーンは苦痛の声を漏らした。
「く……うぅ……っ!」
歯を食いしばり、体が震えるほどの苦痛に耐える。
「……ダメです、読めません」男が、主人におびえた目を向ける。
男の手が額から離れたとたん、アイリーンはがっくりと首をうなだれ、肩で息をした。
「このっ! 無能者がっ!! えぇい、私がやる、どけっ!」
銀髪の男はアイリーンの髪を掴んで仰向かせ、額に手を当てる。先ほどよりさらに強く心に押し入ってこようとする魔力に、アイリーンは必死に抵抗した。
「くそっ!」やはりうまくいかないらしく、男は舌打ちしたかと思うといきなりアイリーンのみぞおちに拳を入れた。気を失い、ぐったりとなった彼女の額に再度、手を当てる。しかし結果は同じだった。男は目を見開いた。
「意識を失っていても記憶を読ませないとは……女にしてはたいした魔力だな。それとも何か他の力が働いているのか……?」
 彼は改めてまじまじと彼女の顔を眺めた。なかなかに美しい。そして、まだ成長しきってはいないが、充分に娘らしさを備えた体に目が止まる。あらわになった、ほっそりとした手足。柔らかな曲線を描く胸や腰。きめ細かな白い肌は手触りが良さそうだ。
男は目を細めた。
「フム……女は、初めての交わりで魔力のほとんどを失うそうだな。試してみるのも一興……」
「し、しかしルバート様!」控えていた男があわてたように言う。
「この娘は……恐れ多くも主君エンドルーア王の妹君、フェリシア様の娘。そのようなことをされては、後におとがめを受けるのでは……?」
「フン!……魔力を持つ者は見つけ次第殺せというのがこの10年、変わらぬ沙汰ではないか。命令通り、身につけていた物と所持品のいっさいを送ってやれば文句はないだろう。いざとなれば、知らなかったで通せば済むことだ。どうせ本国にとってここは辺境の地……何もわかるまい」
男は部下にあごで合図した。
「したくをさせて、私の部屋に連れてこい。ぐずぐずするな」


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