薄明宮の奪還 更新日:2005.06.06

第2部 アドニア〜リムウル
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 第2章 /交差する運命
3.ティレルへの想い

 見渡す限りの、殺戮の跡だった。累々と死体が横たわっている。剣や槍を突き立てられたまま事切れている男たち。吊された幼い子供の亡骸のそばに、崩れ落ちるように倒れている女。慈悲のカケラもない暴力の嵐が、この街を吹き荒れていったのだ。

 街をぐるりと囲む胸壁の上に立ち、黒髪の男がその陰残な光景を眺め渡していた。
男は満足そうに笑っている。
風が運んでくる血生臭い匂いにさえ、男は楽しむように目を細めた。
その瞳は、獣のようなトパーズ色……。

 その時、風に乗って、かすかな泣き声が聞こえた。
子供の声だ。男は首をめぐらせ、そちらを見た。
残忍そうな笑みが、赤い唇に浮かぶ。
男は胸壁から身軽に飛び降りた。
剣を抜き放ち、声の聞こえた方へと近づいていく……。

“やめろっ! ……やめろーっ!!”



 アイリーンはハッとして、目を開けた。
“ティレル?……”
夢の中の恐ろしい光景が、彼女の心をかき乱し、息を上がらせていた。
ドキドキと激しく鼓動を打つ胸を押さえ、体を起こす。

 彼女の隣にいたはずのエリアードがマントにくるまって床に寝ている。アイリーンは首をかしげたが、起こさないようそっとベッドを降りた。窓のそばに寄り、空を見上げる。
 月齢24日の月は半月からわずかに細い鎌形をして、空の中程にひっかかっていた。あと5日もすれば新月だ。そしてそれから、約2週間でやっとまた満月になる……。
アイリーンは首にかけた、まがい物の"フレイヤの涙"を手に取った。

「魔力に目覚めた者にとって、金属は体に毒なのですよ」
エリアードがそう言って、器用に鎖を革ひもに付け替えてくれたものだ。
見た目はよく似ているが、それはやはり普通の紫水晶だった。微細な魔力さえ、感じられない。
" やっぱり……これではダメよね……"と、ため息をつく。

 この前の満月の夜は、牢の中だった。一晩中起きて待っていたが、ティレルは現れなかった。やはり石の力がなければ、彼に会うことはできないのだろう……。
“ティレル、あの夜あなたは会いに来てくれたの?……いつものように。ペンダントがなかったから、見えなかっただけ? それとも私が牢に入れられていたから、見つけられなかった?”

 アイリーンは夢の中で聞いた叫び声を、身震いと共に思い返した。
あの声は確かに、ティレルだった……と。
“あなたは今、ギメリックと戦っているの? それともあれは過去のこと? あるいは、未来の……?”アイリーンには、生々しいあの夢が、ただの夢とは思えなかった。

 恐ろしい……兄弟で殺し合うなんて……とアイリーンは思ったが、王家の歴史の中では、何度もあったことだとは知っていた。珍しいことではない。アドニアにも、そして隣国リムウルにも……。しかしエンドルーアの歴史については、乳母が語ってくれた夢物語のようないにしえの伝説や伝承以外は、あまり知らなかった。

 教育係の賢者様なら、聞けば教えてくれただろうに……もっと熱心に、聞いておけば良かった。
……自分は本当に子供だった。ティレルとの安らぎの時間をのみ求め、他の何にも興味を持たないまま、夢うつつの中で日々を過ごしてきた……。周囲の冷たさにかこつけ、あの日レスターに言われたとおり、何に対しても目をつむり、耳を塞ぎ……心を閉ざしてきたのだ。それがどんなに子供っぽい、無益なことだったか、今となって思い知らされる気がした。

“ティレル……あなた今どうしてるの? どこにいるの? 私のこと……思ってくれてる? せめて無事だと、私に知らせて……”

「やめてください!」
背後からの声に驚いて、アイリーンは振り返った。エリアードが体を起こし、こちらを見つめていた。
「魔力で誰かを呼ぶなど……敵に自分たちはここだと教えるようなものです、わからないのですか?」
「魔力……」アイリーンは当惑した。
「私、魔力で、呼んでいた?……ごめんなさい」
「……眠りにつく前に部屋の周囲に結界を張っておきましたから、今回は大事ないと思いますが……もう2度と、こんな真似はやめてください」
「……」
 アイリーンは押し黙った。心でティレルに呼びかけることは、子供の頃からずっとしていることで、もう半ば習慣のようになってしまっている。魔力に目覚めた今、無意識にその力を使っていると知っても、どうすることもできない。守れないとわかっている約束を口にすることは、彼女にはできなかった。

「どうしたのです? 約束して下さらないのですか?」
エリアードは起きあがってきて彼女のそばに立った。背の高い彼に向かい合って立たれると、威圧感で息が詰まりそうになる。彼の苛立ちが伝わってきて、ますます彼女を萎縮させる。
“何を考えているのです? どうして答えて下さらないのです?”
頭の中に直接響いてきた彼の声に、アイリーンははじかれたように顔を上げた。
非難するような、怒っているような彼の顔を見て、アイリーンは自分の中にもフツフツと怒りが湧いてくるのを感じた。
「やめてよ! 必要もないのに心を読もうとしないで!……私には、好きなように何かを思う自由さえないの?」
「アイリーン様……?」
 たまに会う人間に無視されたり、意地悪をされることには耐えてきたアイリーンだった。しかし四六時中そばにいる人間に、しょっちゅうイライラされることには慣れていなかった。それは当然、アイリーンの中にも、ストレスを溜めていたのだ。エリアードは巧みにその苛立ちを隠していたが、態度や言葉に表れていなくても、魔力を持つ者同士にとって、お互いがどんな気分でいるかということぐらいは、手に取るようにわかってしまう。しかもアイリーンは特に、そういう力に長けているようだった。

「もういいわ、あなたはアドニアに帰って! 私に魔力の使い方を教えてくれたら、それでいい、私は一人でレナンダールへ行くわ!」
「何を、バカな……! そんなこと、できるはずがないでしょう!」
 突然の彼女の反抗に、エリアードはとまどいと同時に激しい怒りがまたつのってくるのを感じていた。
“いったい何のために、俺がこれほど苦労していると思っているんだ……!”
とりあえずは、彼女を殺すことも、傷つけることもするまいと思った矢先だった。しかし目眩がするほどの怒りの中で、その迷いがまた頭をもたげてくる。

 それはほんのつかの間だった。しかし彼から発せられる殺気を、アイリーンは敏感に感じ取った。突然、忘れていた彼への恐れを思い出す。思わず後ろへ下がると、背中に窓のふちがぶつかった。
「危ないっ!」素早く前に出たエリアードが彼女を抱きとめる。
危うく二階の窓から落ちるところだった。自分の腕の中で大きく息をつき、かすかに震えるアイリーンを、彼はそのまましばらく抱きしめていた。

 どうとでもなりそうなほど、華奢な体だった。魔力にもまだ目覚めたばかり、今なら、たやすく命を奪ってしまえるだろう。このまま生かしておいて、果たして本当に、時が満ちたその時……自分の思うとおりにさせることができるのかどうか……? 一見、おとなしく従順かと思えば、時折見せる腹立たしいほどのこの頑固さ、強情さはどうだろう? 彼女の御しがたさ、気丈さと気高さを改めて思い知っていた。

 しかしやはり、自分にはこの少女を殺すことはできそうもない……。そもそも最初から、それができれば今頃は……こんなところで、こんなやっかいな旅などしていない。
 彼は、 腕の中の彼女の温もりと柔らかさに、心を乱されている自分を自覚せざるを得なかった。となると、先ほどはどうしてもできなかった行為を、怒りにまかせて……いや、怒りの余韻が煽る激情にまかせて、してしまいそうになる。
 エリアードは彼女を放し、さっと身をひるがえした。部屋から出て行こうとする彼に、アイリーンは困惑した声をかける。
「エリアード……?」
「少し外の風に当たってきます。あなたはここから出ないで下さい、危険ですから」

 振り向きもせずに出て行く彼の背中を、アイリーンは悲しい気持ちで見送った。
何てバカなことを言ってしまったのだろう! 一人でレナンダールへ行く、なんて……エリアードの言うとおり、そんなこと、自分にできるはずがないのに……。彼が怒るのも当たり前だわ……。
ため息をついて窓の外を見ると、ちょうどエリアードが宿から出て、細い路地を遠ざかっていくのが見えた。

 ぼんやりとそれを目で追ううち、アイリーンはあることに気づいてハッと身を乗り出した。
“何かしら……、あれは……?”
彼の後を追うように、一つの影のような姿が移動していく。
“もしかして、敵……? 大変!!”
エリアードはむろん気づいていない。不意に襲われたら、いくら彼でも……。
アイリーンは必死になって彼に呼びかけた。

“エリアード!!”
怒りのために心を閉ざしているのだろうか? 彼は全く気づかない様子だ。
“あっ、そうだわ、結界が張ってあるんだった……!”
この部屋の中からは、彼に心で話しかけても届かない。と言って、声を出してもとても届きそうにない距離だ。アイリーンはあわてて部屋を飛び出した。
“早く知らせなくちゃ……!!”
宿の狭い階段を駆け下り、戸口から路地に出ると、彼が去った方向に目を走らせる。
心で会話する方法を習ったとき、彼に注意されたことを思い出していた。

「あなたから私に呼びかけるときは、私を目で確認してからにして下さい。うまく結界が張れないうちは、不特定多数に向かって呼びかけるのは危険です、もし敵が近くにいたら、魔力の気配を悟られてしまいますから」
 闇に包まれた路地を見透かしてみたが、エリアードの姿はもう見あたらない。 アイリーンは泣きそうになったが、まだそんなに遠くには行っていないはずだ、と心を奮い立たせ、路地の突き当たりまで走った。T字路の先端で素早く両側を確認したけれど、やはり彼の姿はどこにもなかった。
“どうしよう……エリアード、どっちへ行っちゃったの?”
仕方なく、勘だけを頼りに、アイリーンは夜の街をさらに先へと進んで行った。


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