薄明宮の奪還 更新日:2005.05.29
(07.10 一部修正)

第2部 アドニア〜リムウル
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 第2章 /交差する運命
2.市の立つ都市

“しめた! 久しぶりのカモ……いや、客だ!”
露天商の男は、目の前で足を止めた人影に、相好を崩した。朝からずっと、この大通り脇の一角に商品を広げていたのだが、普段より人通りが少ないわけでもないのに売り上げはさっぱりだった。このままでは今夜の酒代どころか、食い物にもありつけない。

「いらっしゃい! 安くしとくよ……お?」
 勢い込んで張り上げた声が、途中で止まる。彼の商品(安物や、まがい物の宝石を使ったアクセサリー)に目を奪われている小柄な人物の様子が、少々変わっていたからだ。少年の服を着て、マントをフードのようにして頭に被っている。しかし陰になっているその顔をのぞき込んでじっくり見れば、まず間違いなく誰でも、疑ってかかるだろう。

 抜けるように白い肌。優しい弧を描く眉、長いまつげと大きな瞳。可愛らしい、紅い唇。繊細な目鼻立ちのどれ一つとっても、少年というよりそれは少女のものだった。それもとびきりの美少女の。
“なんだ……? きれいな子じゃないか、何で男の子の服なんか……”
いぶかしく思いながら、しかし商売っ気は忘れず、男はいつもの売り込みにかかる。
「嬢ちゃん……だね? どれがいい? うちのはどれも最高級品だよ」

男は、少女が吸い寄せられるように見つめている紫の石を手に取った。
「これかい? これはハルメリア産のアメジスト。ちょっとこっちへ来てごらん」
少女の手を引いて引き寄せ、頭を覆っているマントを降ろすと、見事な金の髪が現れた。周りの空気までふわりと淡い光に包まれるような感覚に、男は我知らずホウッと一つため息をつく。なぜか、うやうやしく、と表現するのがぴったりの気分になりながら、そのペンダントを少女の首にかけてやった。

“あっ……?”
チリッと肌を焼くようなかすかな痛みに、アイリーンは心の中で声を上げる。
“アイリーン様”頭に響いてきた低い声に、アイリーンは振り返った。
“私のそばから離れないで下さいと言ったでしょう?”
“……ごめんなさい”

近づいてきた長身の、戦士風の男に、露天商は言った。
「この子の連れかい? あんた、どういうつもりだい、こんなきれいなお嬢ちゃ……」
突然、商人の舌が凍り付いたように動かなくなる。
“……?”
商人はあわてて、自分の口を押さえ、揉みほぐすようにマッサージしてみる。その間に、男は少女の首からペンダントをはずし、元通りマントを頭にかぶせてやっていた。
「あれれ……? あ……なんともない」
狐につままれたような顔をしてつぶやいている商人に向かって、
「……いくらだ?」そのまま突き返してくるかと思ったのに、男は値段を聞いてきた。
「10ディラ!」喜色を浮かべる商人の顔に、男の緑の目が冷たく注がれる。何もかも見透かすようなその瞳の鋭さに、商人はひやりとしたものを感じ、思わず口走っていた。
「いや、……8ディラにまけとくよ」緑の瞳は揺るがない。
「……5ディラ。……ええいっ、3ディラだっ」
ようやく、妥当だな、とでも言うように男はうなずき、硬貨を手渡してきた。かろうじて、もうけはあるものの、この露天商がこんな良心的な値段で物を売ったのは初めてだった。
“ちぇっ!……何なんだ? あいつ……妙に威圧感のある……”
行き交う人の波に埋もれていく二人を見送りながら、彼は頭の中でぼやいた。

 馬を売り買いする商人と話を始めたエリアードのそばに立ち、アイリーンは先ほど買ってもらった紫の石を取り出して、嬉しそうに眺めた。身につけるのは少し待つように、と言われたそのペンダントは、石にうがたれた穴に金具を通し、そこに細い鎖がつけられている。まがい物とわかってはいても、長い間、心のよりどころだった母の形見の宝石によく似たその石に、心が慰められた。同時に、街に入ってからずっとエリアードが自分にイラついているのを感じていたので、思いがけない彼の気遣いが嬉しくもあった。

 二人が城を出てから、一週間が経とうとしていた。 すっかり森の旅に慣れたアイリーンは、川で水浴びをすることさえ平気になっていた。エリアードはいつも紳士的に後ろを向いていてくれたし、盗賊と怪物に襲われたあの夜以来、他の人間に出会うことも一度もなかったからだ。
 しかし、アイリーンがエリアードに慣れた、あるいはエリアードが彼女に慣れたかと言うと……それは何とも言えなかった。二人の間には相変わらず、なにか見えない壁のようなものがあるとアイリーンは感じていた。エリアードの彼女に接する態度は、あの夜、迷惑ではない、と言ってくれたにもかかわらず、次の朝には元のよそよそしいものに戻ってしまっていた。

 それは魔力の使い方を教えて欲しいと、彼女が繰り返し頼んだせいかも知れなかった。
「レナンダールに着くまで、待って下さい」困った顔で、彼は言ったのだ。
「攻撃の魔法はパワーが強く、魔力の気配は広範囲に渡って届いてしまう。それを防ぐには、攻撃の魔法が及ぶさらに外側に、強固な結界を築いておく必要があるのです。旅の途中で練習をして、もしあなたの魔力が私の結界を破ってしまったら、我々の居場所を敵に嗅ぎつけられてしまいます。レナンダールに着いたら、時間をかけてしっかりした結界を張りますから、それまで我慢して下さい」 それがもっともな話なのか、どうなのか、アイリーンにはわからない。そう言われれば、黙って引き下がるしかなかった。

 ただ、馬を交換するために、どうしても街へ出る必要があるとなったとき、エリアードは魔力を使って心で会話をする方法を教えてくれた。人前で彼女の名前を呼ぶわけにはいかないからだ。いくら国民の前にほとんど姿を見せたことがないと言っても、自国の王女の名前くらいは皆、知っている。庶民の間でも珍しいというほどではない名前だが、彼女の容姿と物腰とを合わせて考えると、用心に越したことはなかった。

 アイリーンは、市というものを見たのは初めてだった。街の中心である大通りと広場には、近隣の村の野菜や果物を売る農夫たちや、はるか遠方からもやってくる、様々な物を売る商人たちが所狭しと品物を広げている。それらを買い求める人々でごった返し、通りのにぎわいはそうとうなものだ。
 当然と言えば当然なのだが、見るもの聞くもの、全てが物珍しいのだろう、大きな瞳を好奇心でキラキラ輝かせ、きょろきょろしながら、アイリーンはエリアードの後ろを歩いていた。そのため、ただでさえ人混みを歩くのに慣れていない彼女は、人とぶつかってばかりいる。しかも、興味を引くものがあるとすぐに、フラフラとそちらへ寄って行ってしまうのだ。エリアードは気が気ではなかった。何度も、あやうく怒鳴りつけそうになり、そのたびに“従者は姫を怒鳴りつけたりしない……”と自分に言い聞かせて耐えた。
 どうしてこうも警戒心がないのか。本当に、命を狙われているという自覚があるのか?
これだけ大勢人がいれば、どんなに神経を尖らせ、魔力のアンテナを張っていても、敵の気配は紛れてしまう。
 全く目が離せない彼女にとうとう業を煮やしたエリアードは、彼女の肩をがっしりつかんで放さなくなってしまった。そうでもしないと、どこへ行ってしまうか、誰について行ってしまうか、わかったものではないという気がした。

 市で必要な物を買いそろえ、適当な宿を決めたときには、エリアードはかつてないほどの疲れを感じていた。アイリーンが湯を使う間だけ外に出ていた彼は、部屋を一つしか取れなかったことを詫びながら、自分は床に寝るから、と言って早々に休もうとした。
「どうして? 一緒に寝ればいいじゃない? そりゃちょっと狭いかも知れないけど……床は固いわ」
「……」
ベッドの端に腰掛け、心底不思議そうに聞いてくるアイリーンに、一瞬、エリアードは絶句した。
“この、純粋培養のお姫様育ちめ……!”
軽いいらだちがまたもや彼を襲ってくる。物心ついてからの彼女の孤独な生活を考えれば無理もないことだったが、度を過ぎた無知は、あまりにも危なっかしい。それとも、従者というものは完全に無害だと、信じて疑っていないのだろうか。ほんの少々、意地の悪い気持ちも手伝って、彼は何喰わぬ顔で答えた。
「そうですね。では失礼して……」
マントを脱ぐと彼女の隣に滑り込んで身を横たえた。とたんに、彼女の体に緊張が走るのがわかる。彼はその華奢な体に手を伸ばしてぐいと引き寄せ、自分の隣に横にならせた。そのまま腕に力を込めて抱きしめると、ますます体を硬くしてとまどっている様子だ。
「狭いですからね、こうした方が落ち着くと思いますよ」
「……え、え〜っと……そ、そうね……」
言葉とは裏腹に落ち着かなげに身じろぎする様子に、彼はほくそ笑んだ。しばらくしてから、「どうです? 眠れないでしょう?」と起きあがって、いくらかなりとも、彼女の認識を改めてやるつもりだった。

 ところが。
腕の中の心地よい温もりを手放すのがためらわれ、ついそのタイミングを測りかねているうちに……気がつくとアイリーンは、安らかな寝息を立て始めていた。
“しまった……”
焦ってみても後の祭りである。いまさらどうしようもない。
“何をやっているんだ、俺は……”
目的を果たすため、長い間探し求めていたフレイヤの涙を、やっと手に入れたというのに……こんな少女一人に振り回されているとは……。全ては、天下無敵の力を与えてくれるはずだったその宝石、フレイヤの涙に裏切られたことが誤算の始まりだった……。
彼は、それに気づいたときの、アイリーンに対する凄まじい怒りと憎しみを思い出した。
“……そうだ。こんなことをしている場合ではない。やはりひと思いにこいつを殺して、手っ取り早く……”

  彼の心に不穏な思いが生まれた、その時。
背中を向けていたアイリーンが寝返りを打ち、庇護を求めるひな鳥のように体を寄せてきた。彼女の髪の香りが、甘く鼻腔をくすぐる。思わず、柔らかなその体を抱く腕に力を込めてしまい、彼は心の中で舌打ちをした。
“くそ……俺はお前の保護者じゃない、むしろ敵なんだぞ……”
そもそも自分が彼女や彼女の父をあざむいてアドニア国の騎士を装ったのだ。彼女の強い魔力が自分の正体を見破らせるのではないかと警戒し、エリアードの記憶を探って彼の生い立ちを頭に入れておいた。エリアードの魔力に関すること以外は、彼女に語ったことはほぼ真実だったから、説得力もあっただろう。おかげで、すっかり彼を信じたアイリーンは安心しきっている。そのことに、逆にいらだちを覚えている自分が不可解だった。

“それとも……”
彼は魔力でそっと彼女の体をわずかばかり持ち上げ、下敷きになっていた自分の腕を引き抜いた。上体を起こすと片ひじをついて頭を支え、無防備に眠っている彼女の顔を眺める。魔力のおかげでかなり夜目が利くため、間近で見る彼女のなめらかな頬に、長いまつげが落とす一本一本の影をも見分けることができた。
“絶好のシチュエーションだ。この際、もう一つの手段に出るか……?”
わずかに身を乗り出すだけで、息がかかるほど彼女の顔が近くなる。
彼はふと、無邪気に眠るアイリーンの寝顔の上に、銀の髪の少年の面影を重ねた。
“あれはいつのことだったろう。幼いあいつの遊び相手になって、じゃれあうようにむつみ合ったあの日々は……”
それは彼にとって、今はもう、あまりにも遠い記憶だった。
“……ティレル。お前の大切な者を俺が奪ったと知ったら、お前はどうするかな……”


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