薄明宮の奪還 更新日:2005.05.23
(05.29 加筆)

第2部 アドニア〜リムウル
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 第2章 /交差する運命
1.泉のほとり

 リムウル国のほぼ中央に位置する広大な森の中に、その村はあった。村というより規模的には、集落と言った方が正しいだろう。ほんの30軒ばかり、素朴な作りの家が肩を寄せ合うように建っているだけの、つつしまやかな村だった。

 村の周囲をすっぽり包む森は深く、一番近い他の村まで、歩くと1日半はかかる。森と家々の間にわずかばかり開けた土地があり、そこで作られる作物と、狩りで得られる獲物が村の自給自足の生活を支えていた。

 村から伸びた細い道は森の中に分け入って、やがて小さな泉にたどり着く。
冷たく澄んだ水と共に、静寂をも滾々(こんこん)と湧き出させているかのようなその泉は、この季節、森の若葉の影を映し、吸い込まれそうに深く神秘的な翡翠色を呈していた。

  早朝のまだひんやりとした空気の中を爽やかな初夏の風が吹き、かすかに立ち上る霧を分けて水面に細かなさざ波を立てる。その波が寄せてくる泉のほとりに立って、今、若い男女が向かい合っていた。

「カーラ、おれと所帯を持ってくれ」
「ゲイル……」
幼なじみの突然の申し出に、カーラは、美しいハシバミ色の瞳を曇らせた。
雰囲気を察したゲイルがあわてて言う。
「待った! わかってる、お前にそんな気ないってことは!……でも即答しないでくれ、頼むから。おれは何年だって待つつもりなんだ」
「……そんなこと言ってたら……あたし、おばあさんになっちゃうかもよ」
「そのころにはおれもりっぱなじいさんだ、問題ない。おれたち、どこまで行っても似合いのカップルだぜ!」
「……」
「そりゃーおれは魔力持ちじゃない。けどそれを補うために、誰よりも剣の鍛錬を積んできたつもりだ。お前を守るためにな」
「……」
ゲイルは照れたような笑いをうかべ、頭をかいた。
「あー、ちょっとキザだったかな? ……ま、返事は期待してないから。あんまり気に病まないでくれ。ただ、いつか……結婚してもいい、って気になったら、一番におれのこと思い出してくれよな。……それじゃ。礼拝のじゃまして、すまなかった」
言いたいことは言った、とばかりに、晴れやかな顔で片手を上げ、ゲイルは村へと足を向けた。が、ふと思い出したように振り返る。
「ああそうだ、次の買い出しの護衛はおれに決まったよ」
「そう……、よろしくね」
「変な気ぃ起こしたりしないから、心配すんなよな」
そのサバサバした明るさに、カーラは思わず微笑む。
「ええ、おっかないお目付役もついてますからね」
「はは、全くだ! じゃあなっ!」

 ゲイルの後ろ姿が見えなくなると、カーラは泉の方に向き直った。岸辺を回って泉の向こう側へ行こうとした足を止め、再び村の方を振り返る。
「ポル?」
呼びかけに応えて木の陰から姿を現したのは、10歳くらいの男の子だった。
誰が見ても姉弟か、少なくとも親戚だろうと思うほど、二人はよく似ている。つやつやと輝くような、健康的な肌と、ふっくらとした唇。ポルはくるくるっとした表情豊かな、大きな黒い瞳をしている。カーラは少しだけ切れ長の茶色の瞳で、黒いまつげが美しい。二人とも黒髪だったが、カーラは長く伸ばしたストレートをポニーテールにし、ポルは短めの巻き毛だった。

「おっかないお目付役とは何だよ。おれ、ゲイルの兄きなら邪魔したりしないぞ」
少しだけふくれっ面をして見せながら、ポルは言った。
「何よあんた、見てたの?」
「ゲイルが社会勉強だ、見てろって言うからさ」
「……何ですって?」
「お前もいつか、好きな子に告白する時のために、だってさ。ただしオレは反面教師みたいなもんだからあんまり参考にならないだろうけど、とか言ってた。……ねぇちゃん、ハンメンキョウシって何だ?」
「……悪い例だから真似するな、ってことよ……」
「ふうん?……けど、おれは、いいと思うぞ」
「いいって、何が?」
「ゲイルの兄きだよ。ダンナにするなら、ゲイルしかいない!」
カーラは苦笑した。小さいときから、弟は彼によくなついていた。まるで自分がゲイルと結婚しそうな勢いだ。
……そうね、確かに、真っ直ぐで、正直で……
強くて優しいけど、押しつけがましくなくて……いい人だわ。でも……
「彼には悪いけど……そんな気ないわ」
重い気持ちを振り払うように、カーラは芝居がかった仕草で言った。
「……美しすぎるワタシがいけないのね……」
「……ねぇちゃん、言ってて歯が浮かないか?」
「……うん。ちょっと」
二人は顔を見合わせて笑い出した。
「さ、礼拝に行くわよ。あんたも来る?」
「ま、ついでだからな。つきあってやるか」
「何よその生意気な口は」
じゃれあうような言い合いをしながら、二人は泉の反対側へと足を運んだ。

 泉の向こう岸に回って少し行くと岩肌の露出した崖がそびえていて、そこに大きな空洞が口を開けている。あまりに大きいので、今日のように良く晴れた日なら、少し中に入ったくらいまでは十分な明るさがある。その、外の明かりが届く範囲の場所に、小さな石碑が立っていた。
 カーラはその前にひざまづいて頭を垂れた。ポルもそれにならうが、姉ほど熱心な様子ではない。しかしカーラは気にしなかった。もともと、自分が気休めにしているだけで、特に意味のあることではないのだ。昔、この場所で、エンドルーアを再興した王女が幼少の頃白竜に育てられたという伝説があると聞き、何となく祈りに来るのが日課になってしまった。エンドルーアを逃れてこの村に隠れ住んでいる自分たちが、一日も早くエンドルーアに帰れる日が来ることを願って、カーラは毎朝、ここに来るのだった。

 帰り道、いつに似ず神妙な顔つきをしていると思ったら、ポルは珍しく口ごもりながら、尋ねた。
「……でもさ、ねぇちゃん。ホントに、結婚する気、ないの?……村の守りのことなら大丈夫だよ、おれ一人でも十分なぐらいさ、それに魔力を持つ子もいっぱいいるじゃないか。だからねぇちゃんは何も気にせず、好きな人と結婚すればいい!」
自分を気遣う真剣な眼差しを受け止めて、カーラは微笑んだ。
“あんなにちっちゃかったこの子が……こんなこと言ってくれるようになったんだ”
「ふふ、頼もしいわね」カーラは目を細めて、年の離れた弟の頭をなでた。ポルはうるさそうにその手を払う。
「子供扱いすんなよ、おれもう11だぞ!」
「まだなってないでしょ。誕生日、来月なんだから。……でもありがと。心配してくれる気持ちは嬉しいわ。だけど、好きな人なんていないのよ、本当に。だって結婚するなら、あたしより魔力の強い人って決めてるんだもの」
「……」ポルは真顔で少し考えるそぶりをしていたが、顔を上げると言った。
「ねぇちゃん、それはマズイよ。おれたちホントの姉弟じゃないか」
「……? 何言ってんのよ、バカね!」カーラは大笑いし、ポルも笑い出した。
けれど心の中は複雑だった。
“この村にはおれの他にそんなやついないから……やっぱりねぇちゃんは一生、独身かな”
弟のひいき目を差し引いても美しいカーラが、まだ18とは言えこのまま誰の求愛も受けず年頃を過ぎていくのは、もったいない気がした。かと言って姉自身が言うとおり、強い魔力に恵まれた彼女が、そんじょそこらの男のためにそれを失うのも確かにもったいない。
“まぁいいか。てことは、おれのねぇちゃんはず〜っとおれだけのねぇちゃんだ”
ポルは自分のその考えに満足し、とたんに元気になって足取りも軽く駆けだした。
「おれ、先に行ってるよ! 村長のところに行って、次の買い出しのこと聞いてくる!」

 子犬のように駆けていく小さな姿が、泉のふちを回って村へ続く道の奥に見えなくなると、カーラは足を止め、つぶやいた。
「まったく……村一番の魔力を持ってたって、まだまだ子供ね。隙だらけだわ……何が“ず〜っとおれだけのねえちゃん”よ」一つ、ため息を吐く。
ちょっと気をつければ誰にも心を読ませないだけの力を持っているくせに、安全な村の中で、しかも気心の知れた姉が相手となるとすっかり無防備になってしまっている。
“これだから……やっぱり、今私が魔力を失うわけにはいかないわ”

 魔力の現れは性別の遺伝に関係するらしく、男子と女子でハッキリした違いがある。魔力を持って生まれてくる割合は女子の方が圧倒的に多い。しかし男子に比べ、女子の魔力の大半はごく弱いものだった。しかも、初潮を迎える頃、その力は自然に薄れて消えてしまうのが普通だ。大人になっても魔力を維持する女子はほんの一握り。今この村では彼女ただ一人だった。
  そんな彼女にしても、普通に恋をして、結婚し、温かな家庭を築くという夢にあこがれる気持ちが、ないわけではない。けれど……近年のエンドルーアの不穏な動きに、カーラは不安を覚えている。
 エンドルーアを逃れて来てから、10年……。これまで、この地の霊力と昼夜の張り番による村人の結界に守られ、何事もなく平和に暮らしてきた。しかしだからと言って、これからもそうだという保証はどこにもない。もしもエンドルーアがリムウルの国境を破って進軍し、この辺りまでやってきたら……。こんな小さな村、一個小隊で取り囲んでしまえる。武力と魔力の両方で攻められては、結界など役に立たない。あっというまに皆殺しになってしまうだろう……。

“それにしても……”カーラは泉のふちに佇んだまま、考えをめぐらせた。
 確かにポルの言うとおり、この10年で村に生まれた子供のほとんどが魔力を持って生まれている。ありがたいことには違いないのだが、この事態は……異常だ。エンドルーアの貴族の血筋ならともかく、そもそも庶民の間では、たとえ両親ともに魔力を持っていたとしても、その子供に魔力が受け継がれる確率は半分以下……だったはずなのに。現にカーラとポルの両親は二人とも魔力を持っていたが、その間に生まれた5人の子供のうち魔力を受け継いだのは自分とポルだけだった。

 魔力は、闇を封じるために与えられた、神々の恩寵だという……。だとしたら、この先、いったい何が起こるというのだろう……。
木々の落とす影が、不意にその色を濃くしたような気がして、カーラは身を震わせた。
“紫の貴婦人……あの方がいらしたら……”
カーラは記憶の中から浮かんできた美しい女性の姿を、まぶたの裏に思い浮かべた。
“どうして……。私たちにはあなたが必要なのに。闇へと向かう世界を予見しながら、あなたは、なぜ……一人で行ってしまったのですか……?”

 もう4年近くも会っていない……。いや、認めたくないだけで、本当はわかっている。彼女はもう……この世にいない。卓越した魔力が感じ取ってしまったあの恐ろしい喪失感……それを分かち合ったのは、同じく強い魔力を持った弟、ただ一人だけだった。
 白銀の満月が全てを闇の中に包んで凍らせてしまうかのような、あの夜……全世界を覆い尽くすほどの慟哭に、大地が、大気が震えていた。あれは……“彼”の声だったのだろうか……。

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